ブラの名前

19 エピローグ

エピソードの総文字数=4,900文字

 その後の話である。
 あれから、める子たちはキタコレの成功に向けて再度仕切り直し、残された時間を存分に仕事に費やした。
 聞くところによると、ファッションショーは大成功に終わり、ヴィクトリー・ファッション社の製品は高い評価を得た。そのおかげもあって、「誰もが振り向くスタイルブラ、ミカエル」は早々に市場に投入されるという。とし江が目標としているように、多くの女性たちの支えとなることだろう。え?下乳を支えるだって?ちがう違う、もちろん心の支えに決まっているではないか。
 アキは、自分の罪を恥じて掃除婦の仕事を辞める、といって聞かなかったらしいが、とし江が必死に引き留めたという。いまでも、今度は誠実に自分の仕事を続けているという。
 二人の立場は変わらず、一方は大会社の社長、一方は一介の掃除婦のままであったが、時に立場を離れて二人でお茶をするなど、関係は修復できたようだ。
 メンバーの女の子たちは、それぞれまた別のプロジェクトを立てたり、める子の下で次の企画に取り組んだりしているという。あんなに大変な目にあったのに、愚痴一つ言わず、今もみんな頑張っているらしい。微笑ましいことだ。いやむしろ、あれほどチームが結束したことは、後にも先にもなかったと、みんなは言っているらしい。犯人探しという疑心暗鬼を乗り越えて、彼女たちはあの数日に命を懸けたのだから。

 なーんにも変わらないのは、三浦気楽助教授ただ一人である。いやむしろ、彼にとってはマイナスの出来事ばかりが起きている。
 一週間近くも講義をほったらかしにしたせいで、大学の事務室からは嫌味を言われまくり、師として仕える教授からは、『おまえはやる気があるのか』とこっぴどく叱られる始末。喜んだのは休講続きの学生たちのみ、という状態で、まさに踏んだり蹴ったりである。
 それでも、講義の時間は否応なしにやってくる。
 再び一般教養科目「比較宗教学」の授業のために、いつもの階段教室の入り口のドアを開けると、
「よっ!」
と、片手を上げる見てはいけない者の姿が、あろうことか今度は最前列に陣取っているのが見えた。
 ああ、と頭を抱える気楽助教授である。
「……なんでこんなとこにいるんだ。そして今度はなんだ。俺はおまえにつきあっている暇はないんだ。すぐに帰れ!新幹線に乗ってどこへでも行ってしまえ!ついでに、こないだの交通費返せ!」
 気楽は目の前でにっこり笑っているめる子を怒鳴りつけた。
「いやーん。もう、つれないなあ!大プロジェクトを成功させたということで、せっかく長期休暇を取ってあんたの講義を聞きにきてやったというのに、それは冷たいんじゃない?」
 相変わらずの減らず口に、すでに教室に入っている学生たちが指をさしてくすくす笑っている。
「ああ、それなら黙ってそこで90分聴講してろ!私語禁止だぞ。話しかけたらつまみ出すからな!」
と申し渡して、完全無視の刑を決め込む。
 める子は、講義の間じゅう、変顔を見せつけたり、ノートに『アホ・バカ・マヌケ』と書き付けては教壇に向けて気楽に読ませようとしたり、ありとあらゆる悪行を重ねたが、神に仕える身である気楽にとっては、悪魔の誘惑をはねのけてこその修行である。
 ああ、荒野においてイエスキリストも悪魔からありとあらゆる嫌がらせを受けたというが、まさにこんな感じだったに違いない、と思いながら、ただ淡々とつまらない講義を進める気楽であった。
『つまんねえぞ!』
とか
『ギャグのひとつくらい入れろ!』
とか、
『イエス!高柳クリニック!』
とか、これまた番組進行を指図するADのごとくフリップを前に向けるめる子であったが、何本か脳の血管を破裂させながらも耐えた気楽は賞賛に値すると言ってよいだろう。
 頑張れ三浦気楽!負けるな三浦気楽!と読者諸君も、ぜひ彼を応援してやってほしいものである。できれば来年の講義登録で、彼の授業を希望してくれれば、ああ、もう!もれなく単位を贈呈しようじゃないか。ついでに年末の講義アンケートで、三浦先生の授業は良かったです!と書いてくれれば、来年のコマ数も安泰というものだ。

「……で、この期に及んで何の用だ」
 はてさて、それからのことであった。講義後の学内カフェには、端から見ればそれはもう恋人同士にしか見えないような気楽とめる子の姿があった。
「あたしね、こないだの事件でわかんないことがあって、それを尋ねに来たのよ」
 ……それで再び京都までってか?本当にアホじゃないのかこいつは、と思いつつ、気楽はめる子が勝手に選んだキャラメルマキなんとかをすするのである。
「あんたさあ、社長がテストに答えてる時に、真犯人に気づいたんでしょ?もちろん、あの後、社長もたぶん記憶をたどりはじめたんだろうけど」
「ああ」
「あの時、いったいなにがどうなってたの?あんた教えてくれなかったじゃない」
 そういえば、そうだった。める子には真犯人にたどり着いた肝心の謎解きを教えていなかったのだ。しかし、それを聞きにわざわざここまでやってくるなんざ、やっぱりこいつはただもんではない!
「める子は、社長の回答をちゃんと読みとってたはずだが。いいとこついてるな、と実は関心したんだ」
「『エホバ』のとこでしょ?そうそう!あれ不思議だったのよ。どこぞの新興宗教に入ってるならともかく、バリバリの古参カトリックの社長が、どうして『エホバ』なんて書いたのか。やっぱり、そこがポイントだったの?」
 その問いかけにこそ、にやり、と気楽は不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、まさにあれがきっかけだったね。厳密に言えば『エホバ』じゃない、とし江社長は『ヱホバ』と書いたんだ」
「えほば?」
 はてな、という顔をしているめる子である。気楽はそこで、胸元からペンを取り出すとカフェの紙ナプキンを一枚拝借して
『ヱホバ』
と書いてみせた。
「なんじゃこりゃ」
 める子は目を丸くしている。
「旧字体だよ。あいうえおのエじゃなくて、わいうえをのほうのヱだ」
 へえ!とめる子が驚きの声を上げている。
「で、それがどうしたっての?」
 ふふふ、と気楽はつい嬉しくなる。まさにここが、今回の事件の種明かしにつながる部分だったからである。
「最初、実際に現場であの聖書を見たときに、実は変な違和感を感じたんだ。でも、あの時は、その違和感の正体に気付かなかった。イザヤ書の聖句を読んでいても、本来なら気付くべきところをスルーしてしまっていた」
「どういうこと?」
「あの聖書は、文語訳聖書だったんだよ」
「ブンゴヤク?」
「そう。古典の言葉で書かれている聖書で、つまり、古いスタイルの翻訳ってことだ」
 現在世間で使われている聖書には、いくつかの訳がある。文語訳聖書は、古語で訳してあるが、今では現代語に直してある「口語訳」の聖書が流布している。
「でさ、テストの時に、キリスト教徒は神様の名前を秘匿するって話をしたじゃないか」
 うんうん、とめる子は頷く。
「ヤハウェって書いてない、って話でしょ?」
「そうそう。それ。でも、文語訳聖書だけは、神の訳語を『主』ではなく正しく『ヱホバ』と訳出しているんだよ。これはうっかり見逃していた」
「だから、社長が『ヱホバ』って書いたので思い出したのね!」
 その通り!正解!と気楽はめる子の頭を軽く撫でた。
「文語訳聖書は、もちろん今でも入手できるし、私は仕事で使うから逆になんとも思わなかったんだが、本当は早い段階で気付くべきだったんだよ。今、教会で主流なのは「新改訳」「新共同訳」などの口語訳聖書だ。それなのに文語訳聖書があそこに置いてあったということは」
「犯人は、若者ではなく、『年寄り』だ、ってことになったわけね。納得!」
 その通りだ。若い人なら文語訳聖書を使わない。あれが文語訳だということは、古い時代から聖書に親しんでいる人物ということになる。あるいは、長年教会に通っている者だ。とすれば、ヴィクトリー・ファッション社で真っ先にその年代に相当するのは、とし江社長その人、ということになる。
「そして、社長自身が犯人でないとすれば、彼女に対して何かアピールをしている人物が真犯人だと考えた。今める子が言った通り、それに当てはまるのは物理的にお年寄りということになる。それで、警備員さんに話を聞いたことを思い出したんだ。ビルテクノサービスの人間で、高齢者でも働けるとすれば」
「掃除のおばさん、の可能性がある、と」
「そう!それで、警備員室で社員の名簿を借りて、掃除婦の名前をピックアップしようとした。結果は簡単。掃除のおばさん、いや、おばあさんだったわけだが、める子の会社には2人しか派遣されていなかった」
「でも、じゃあ、どうして長崎まで行かなきゃならなかったのよ」
「もちろん、そのうちの一人である三田さんをただ問いつめることだってできたが、『知らない』と突っぱねられたら、全く証拠がないだろう。それでもしミカエルを本当に捨てられてしまったら、元も子もない。だから、平戸で、三田さんととし江社長の関係をきちんと洗ってから、教会というつながりを立証したかったんだ。結果的には、平戸の教会で十字架のしおりという物的証拠まで見つかったから大正解だったわけだが」
「なるほどね~」
 腕組みしながら、める子は感心していた。
「ミカエルが捨てられていない、ってのはどうしてわかったの?」
「それについては確信はなかったよ。ただ、三田さんの目的が、たとえば偶像をやめろみたいにとし江社長を糾弾したかったわけではなく、しおりの十字架を見て気付いてほしい、ということが真の目的だと思ったから、それならミカエルを捨てることは本意じゃないんじゃないか、と推理したんだよ」
 さっすがあ!とめる子が手を叩いた。

 以上が、三浦探偵の名推理の一部始終であった。話を聞くめる子はとても嬉しそうで、まるで見終わった映画の感想を語り合うカップルのように、いつまでも事件の話をし続けた。
「気楽って、意外に頼りになるのね。見直したわ」
 そう言って、実は彼女なりに最大限の賛辞を送っていることに、気楽は気付いていないのだが、この二人のことだ。そのうち、もっと接近できるような事件に遭遇するに違いない。
「あ、ところで」
 ふと、める子が言う。
「今回の事件で社長がいっそう聖書ネタに入れこんじゃってさあ。また新しいシリーズを作る、って聞かないのよ」
「ほう。ガブリエルは没になったんじゃなかったのか」
「それが、聞いて!今度の下着は聖人シリーズで行くって言い出したの」
「聖人?」
 下着と聖人に何の関係があるんだ、と眉をひそめざるを得ないが、とし江社長のことだ、どうせろくでもないネーミングをぶつけてくるに違いない。
「なんだっけ、……そうそう。夜の聖人、『桃色ヨハネ』だって」
 あっかーん!思わず、気楽は人目も気にせず関西弁で叫んだ。
「あかん、あかん!それ、商標的にもまずい!ヨハネも天上でぶち切れるから絶対やめとけ!」
 いやいや、どこかの衣料メーカーからおしかりを受ける前に、それだけは止めておこうと本気で思う。
「ところで、ヨハネって何した人なの?!」
「……厳密に言えば3人くらいいるからな。最低でも2人。じゃあ、つまんない話が長くなるけど、それでもいいのか?」
「もちろん!」
 にっこり、める子が笑った。
 どうやら、二人の話はまだまだ終わりそうにない。ここらで一つ、後は若い二人に任せて、我々はそっと失礼しようじゃないか。
 この後、二人にあんなことやこんなことが起きるのかはわからないが、それはまた次の機会のお話ということで、今日のところはこれでお開きということにしよう。
 ああ、言い忘れていたが、める子の下着が、今日は勝負下着で、気楽も思わず欲情する試作品のガブリエルであることは、な、内緒なんだから、ね!
 おあとがよろしいようで。

(了)

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