【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

1-14 虎の記憶

エピソードの総文字数=1,619文字

 半ば引きずられるように茂の部屋へ連行された百合は、1歩足を踏み入れた瞬間に、自分の身体が震えるのを感じた。
 ほんわかピンクとお花のイメージで統一された玄関や廊下と、茂の自室の黒っぽいインテリアの違い……というだけではない違和感が、室内の空気に淀んで存在している。
………………。
 百合はゆっくりと室内に目をやった。
 ブルーのカバーがかけられたベッドに果歩が制服のまま寝ている。
 そしてその横に工事現場から抜け出してきたような男(つまり篤志のことだ)と、ピンクのトレーナーを着た女の子(こっちは由宇だ)の姿があって、百合を見上げていた。そのちぐはぐな取りあわせも奇妙なものだったが、部屋に入ってきたときに押し寄せてきた違和感に比べれば、どうってことないわと思えるものだった。

 窓が開け放たれていたが、部屋の中には焦げくさい臭いがかすかに残っている。
 そして最後につけっぱなしになったパソコンの画面に目をやったとき、百合は心臓をわしづかみにされるような衝撃を感じた。

『ジャングルに虎がいる』というお伽話を知っていますか?
 百合の脳裏に、弾けるように十年前のあの夜の光景が蘇った。
 轟音。
 床や壁が次々と崩れて行く。
 電気はとうに消えて、その光景を燃え上がる炎が赤々と照らし出していた。
 あのときにも、百合はこの部屋に充満しているのと同じ臭いをかいだ。
 天井を焦がしながらじりじりと迫ってきた炎が、虎の目で百合を見下ろしていたのを今でもはっきりと覚えている。
『お姉ちゃん、お姉ちゃんっ!』
 かつての自分の声が、百合の耳に蘇ったような気がした。
 姉が炎の中に飛びこんでいったのは……そのあとだったか、前だったか……。
果歩がいないのっ! あの子、部屋で寝ていたはずなのにっ!
 泣き叫ぶようなその声も、すぐに轟音と炎に飲みこまれて消えた。姉が立っていた床そのものが炎の中に崩れ落ちて行ったのだ。床だけじゃない。部屋全体、団地全体……何もかもが燃え上がり、崩れて、炎の虎に飲みこまれて行こうとしていた。
お姉ちゃんはどこ? お義兄さんは? 果歩は……生きているの?
 あっちこっちから悲鳴が聞こえていた。
 炎の中に……誰の姿を見つけ出すこともできないのに、悲鳴だけが聞こえてくるのだ。
このままじゃ……死んじゃう。
 百合はひとりで炎の中を逃げた。
 いや違う。ひとりじゃなかった。
 男の子が、百合の手を引いてくれたのだ。あの男の子が手を引いてくれなければ、百合は立ちあがることはできなかっただろう。真っ暗な空を焦がすように膨れ上がったあの火の虎から、逃れることなどできなかったに違いない。
『ここで待ってて。きっともうすぐ助けが来るよ』
 蚊でいっぱいの藪の中に百合を座らせて、彼はそう言った。
 藪の中で眠っていた百合が救助隊に助けられたのは朝になってからで、そのときにはもう男の子の姿はなくなっていた。それっきり……会うチャンスもない。
 背の高い男の子だった。名前は、もう覚えていない。顔を思い出すことさえ困難だった。
 百合にジャングルの虎の話を聞かせてくれた……初恋の相手。

 あれは14歳の時だった。
 もう10年も経つのに……大間団地を襲ったあの惨劇を、百合は今も忘れることはできない。
大丈夫ですか、百合さん……?
 棒立ちになってパソコンを見つめて棒立ちになっている百合に、茂がそう声をかけた。
何があったの? このブログ、何? 果歩は……一体どうしちゃったの?
 百合は振りかえって茂に詰め寄った。
 だが、茂に何が答えられるわけもなかった。むしろ、百合からこそ何かを聞けるのではないかと考えて呼び出したのだ。
とりあえず……最初っから全部話しますよ。ここに座ります? それとも、お茶飲みながらの方がいいですか?
(これは冗談なんかじゃない。気のせいでもない。また……始まるんだ)
 茂の顔を見つめて、百合はそう悟っていた。
そうね、お茶……欲しいわ。思いっきり熱いヤツ。

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