頭狂ファナティックス

交渉

エピソードの総文字数=6,836文字

 ここで恒明は意外な行動を取った。蛇口から流れ出す血によって自分の制服が汚れるのにも構わず、校舎に引き返して化学室に入っていったのだ。銀太はほとんど相手の行動を理解する余裕を失っていたが、恒明が自分からどこかへと離れていったことは理解していた。
 恒明が自分のところに戻ってくるまで、銀太には数時間も経ったように感じられたが、実際のところ恒明はその行動を迅速に行ったのだった。銀太のところに戻ってきたとき、恒明は自身の出血によって血塗れた人体模型を抱えていた。すでに大量の出血により眩暈を起こしており、呼吸が浅くなっていた。
銀太くん。まだ会話をするだけの力はありますか? このままでは、二人とも死ぬのが落ちです。なので交渉をしましょう。二人とも死ぬか、二人とも生き残るか、決めるのはきみです。
交渉材料は人体模型と蛇口の取っ手の在り処です。銀太くんが蛇口の取っ手を隠している場所を教えてくれるのならば、この人体模型を渡しましょう。きみの『緑の家』に加えたもう一つの能力、僕はその名前を知りませんが、その能力ならば、人体模型によって欠損した下半身を補うことができるのでしょう?
 銀太は口を開かなかった、あるいはもはや口を開く力も残っていなかったが、自分の胸ポケットを探ると、蛇口の取っ手を取り出して相手に向かって投げだした。つまり銀太は交渉に応じたのだ。
きみの下半身と一緒に蛇口の取っ手も吹き飛ばされていなかったのは感謝すべき幸運ですね。
 そう言いながら恒明は人体模型を相手の隣に横たえると、蛇口の取っ手を元の場所に接合して、それをひねり出血を止めた。そして銀太が上半身だけの身体をどうにか駆使しても、人体模型を切断するのに手間取っているのを見ると、その作業を手伝ってやった。恒明は相手の手に自分の手を添えて人体模型を腹部で切断し、その下半身を銀太の切断面に当てると、予想通り接合した。
 死闘が引き分けという結果で終わった今、静けさがあたりを支配していた。銀太はうつ伏せのまま身動き一つ取らず、恒明は地面に腰を下ろして蛇口が元の自分の鼻へと変化していくのを確かめていた。銀太の下半身も徐々に人体模型のものから、銀太本人のものへと変化していき、そのためにわずかながらも気力を回復したらしく、銀太は口を開いた。
なぜ僕を殺さなかったんですか? 人体模型を持ってくる余裕があるならば、もう一つ隕石を落としてとどめを刺せば良かったでしょう。
誤解していただきたくないのは、きみに情けをかけたわけではないということです。きみを殺さなかった理由を説明しましょう。コンプレックスはほとんどの場合、能力者が死亡するとその能力も消滅する。しかしきみのコンプレックスの場合、あのタイミングで殺したとすると、蛇口から鼻への変化が止まって、永久に出血を止められなくなる可能性が高かった。
なるほど。実際に死んだことはないので、本当のところ、どうなるのかは僕も把握していませんが。ところで、勝負はまだ続いているんですか? その鼻が完全に元に戻ったとき、僕は殺されるのでしょうか?
いえ、そのようなことはしません。勝負は引き分けということにしましょう。そもそも僕たちは互いの積年の恨みを晴らすために決闘を始めた。しかし二人とも死ななかったとは言え、ここまで凄惨に殺し合いをすれば、多少なりとも恨みは晴れたのではないでしょうか。
和解、とまではいきませんが、互いを対等に見る関係にはなったと思います。その証拠として、きみの二つ目のコンプレックスの名前を教えていただけませんか。
引き分けという形で勝負を終わらせていただき感謝します。僕からの一応の友情の証として、コンプレックスの名前を教えましょう。僕は励起したコンプレックスを『石蹴り遊び』と名付けています。能力はすでに理解していると思いますが、異なった物質を接合するものです。
 当たり前だが――というのも味方だろうと敵だろうと自分のことについて饒舌になるのは軽率だからだ――銀太は『石蹴り遊び』の詳細までは言わなかった。『石蹴り遊び』は『緑の家』によって切断した異なる物体を接合する能力である。接合する二つの物体はどのような組み合わせでも可能というわけではなく、全体の質量と体積、切断面の面積、そのものの性質が似通っていなければならない。そして異なる物体が接合しているあいだ、その二つの性質は混じり合う。そのために恒明の鼻の部分に接合された蛇口は「体内の血液を放出する」という性質を獲得したのだ。また接合された二つの物質は永久にその状態を保っているわけではなく、優先度の高い方の物質に収束する。人体模型に接合した銀太の腕が人体模型の性質に変化したり、恒明に接合された蛇口が鼻に変化したりしたのはそのためだ。変化の優先度は元の物質の二つの質量や体積の割合、性質の普遍性の度合いなどによって決定するが、具体的にどちらの性質に変化していくかはこの能力の保持者である銀太にしか理解できないことである。変化の速度は二つの性質が近いものほど速くなり、二つの性質が異なったものほど遅くなる。
銀太くんは今後、綴さんを殺した犯人を探し出すおつもりですか?
もちろんです。僕は必ず犯人を突き止めて、そいつを殺します。
 銀太は未だに地面にうつ伏せになったまま返事をした。
やはりですか。僕も同じ決意を秘めています。そもそも僕たちは決闘をするような間柄ではなく、綴さんを殺した犯人に復讐を誓う同士であるべきなんです。僕と共同戦線を組みませんか? 何も相手が死にかけているときにその救出に駆けつける、というほど強固なものでなくてもいいのです。
ただ互いの情報を共有するだけでいいんです。それだけでも犯人に大幅に近づくことができる。僕は理事会側についている。そこからしか得られない情報もたくさんあると思います。
それはいい提案だと思います。犯人探しをするときにも意地を張って、協力者を失うというのはあまりにも愚鈍すぎます。僕たちは協力するべきなのでしょう。しかし僕の方はあくまで学園に閉じ込められた学生の一人にすぎない。守門先輩の有益になるような情報はあまり教えられないと思いますが。
そのようなことはありません。あなたが知っている、あるいはこれから知ることになる情報は十分に有益なものです。一つ目の情報として、綴さんがどのように殺されていたか教えてくれませんか? 僕はどのように彼女が死んだのかもさえ知らない。
 銀太は思い出すことさえ拒絶の気持ちが起こるといった様子で、その死に様を答えるまでに時間がかかった。
真っ二つに切断されていました。それも上半身と下半身を、ではありません。縦に切断されていたんです。つまり頭から股にかけて切断されていたんです。
 銀太の話を聞くと、恒明はわずかに俯いて何かを考え込む仕草になった。その姿は綴の酸鼻たる殺され方に嫌悪を感じているというよりも、何か引っかかるものがあるといった様子だった。
綴さんの最期を教えていただきありがとうございます。協力関係を築く以上、僕の方からも情報を提供しなければなりませんね。しかし今から言うことは決して口外しないでください。空白組に、と言っても常盤先輩と瀧川さんを除いた五人にですが、教えられていることがあり、その事実は漏洩させてはならない、と念を押されています。僕が次のことを口外したと知られたら、殺されかねないことです。
綴さんの殺され方、すなわち身体を縦に裂かれるという殺され方ですが、実は前例があります。まず理事長。無論、公表されていないために、表向きは生きていることになっていますが、理事長はすでに死亡しています。綴さんと同じ殺され方で。理事長室でその死体が発見されましたが、死亡の直前まで何をしていたのかは不明です。次に理事会の役員の一人。その名前までは僕も教えられませんでしたが、理事会の内部で同じ殺され方をした人間がいます。間違いなく、三人を殺した犯人は同一人物です。もしかしたら、僕が知らないだけで同じ殺され方をした人間が他にもいるかもしれない。綴さんの死体に犯人に繋がる手がかりは何かありませんでしたか? 僕自身は誰の死体も直接には見ていないので。
お姉ちゃんは死に際にシンボルを残していきました。奇妙なことですが、お姉ちゃんのコンプレックスは死後も能力が継続する性質があるようです。お姉ちゃんのコンプレックスは知っていますか?
『バベルの図書館』ですね。昔、教えていただいたことがあります。僕の方も『重力の虹』の詳細を教えることを条件に。シンボルの豆本の中身までは見せていただけませんでしたが。その豆本が残されていたのですか?
そうです。犯人もシンボルが死後残り続けることは予想外だったのでしょう。偶然ですが、お守りにと思って、持ってきています。
 銀太は着ている上着の最も深いところから、その豆本を取り出して、恒明に渡した。恒明はそのページをぱらぱらと捲ったが、目につきやすいところには手がかりらしいものは何も書かれていないとすぐに悟った。
綴さんがこの豆本を残した以上、この中に犯人に繋がる何かが書かれていると考えて間違いはないでしょうか? いや、僕にはその手がかりが書かれていると断言することができる。その理由を言いましょう。実はですね、学園の封鎖が実行に移される前に、僕たち七人に加えて優秀な生徒を空白組に所属させ、特別生徒会として再編成して理事会に組み込む計画があったのですよ。ところが理事長の不自然な死や、理事会役員の死が招いた混乱の中でその計画はうやむやになりました。
しかしですね、空白組に一人も加入されなかった、というわけではないのです。一人です。一人、空白組に加入した生徒がいます。死亡した清美先輩と吾妻さんを含めての話ですが、現在、生徒会は八人で構成されているのですよ。ところがですね、どういうわけかその生徒の正体は他の空白組には誰一人知らされていない。生徒会長である桑折先輩ですら、その生徒が誰なのか知らない。八人目の生徒会役員が秘匿されている理由はわかりません。しかし僕にもその生徒についてはっきりしていることが一つあります。それはその生徒の生徒会での役職です。何かわかりますか?
 恒明の問いに銀太はまったく見当もつかない――実際は死闘の疲れから考えることも面倒になっているだけかもしれなかったが――と言った調子で首を振った。
暗殺です。その生徒は生徒会暗殺の役職についています。このことから、一つの仮説を立てることができます。理事長や理事会役員の一人はその生徒に暗殺された。この封鎖には政府が関わっているのであり、その政治的な駆け引きから殺される理由はいくらでもある。つけ加えて言うならば、殺された理事会役員はそもそも今回の封鎖に異論を唱えていた人物です。
そのあたりを考えると、綴さんはなぜ殺されたのか、という話になる。彼女は無論、政治に関わるような立場ではなかった。それでも殺されたということは、政府にではなく、暗殺の役割を担っている生徒に不利になる情報を握っていた可能性が高い。そしてその情報は疑いようもなくこの豆本のどこかに記されている。知っていることは何でも書き留める、それが綴さんの癖でしたから。もしもこの豆本の存在が知られたら、必ず犯人は銀太くんも殺しにくる。今のところ、ここに豆本があることから、犯人が豆本の存在を知らないことは明らかです。そこで再び交渉をしましょう。
 恒明はここで話に間を開けたが、銀太は何も言わず目だけでその交渉の内容を教えろと催促した。
僕は実験棟で本来の空白組以外の生徒がいるのを見たことがありません。ということは八人目の生徒会役員は一般生徒の中に混じって生活をしている可能性が高い。もしも空白組に招き入れられるほどの実力のある生徒が封鎖の中で生活するとしたら、どこに拠点を置きますか? 仮にあなたがその立場にあったら、どこに身を寄せますか?
ショッピングモールですね。常盤先輩が占拠しているという。学園にある物資の大半はあそこに集まっている。
 銀太は即答した。
僕も同じ答えです。八人目の生徒会役員はショッピングモールにいる可能性が高い。しかし僕が犯人の調査のためにそこに出向けば、常盤先輩と戦闘になる可能性が高い。あの人は現在の理事会と生徒という対立構造がなくとも、空白組の人間の嫌っている節がありましたから。何より常盤先輩はすでに吾妻さんを殺しています。そこで銀太くんには常盤先輩の傘下に入って、ショッピングモールの調査をして欲しいのです。
僕から与える交渉材料は次のものです。今回の決闘において、銀太くんは僕に勝利したということにして、そのように常盤先輩の耳に入るようにします。僕が命乞いをして、銀太くんがそれを受け入れる形で決着が着いたと。空白組の生徒に勝てる実力があると知れば、必ず常盤先輩はあなたを仲間として受け入れてくれる。
なるほど。言い変えれば、矜持を交渉材料にするわけですね。守門先輩が僕に負けたと知られれば、空白組であるあなたが汚名を被ることは免れない。その屈辱を甘んじて受け入れるというのでしょう。それで僕は何を提供すればいいのですか?
この豆本です。この豆本は1000万を越えるページがあると綴さんは言っていました。その中から犯人への手がかりになる情報は僕が探します。この交渉はなかなか理に適っていることだと思いますよ。この豆本の存在を知れば、犯人は必ずこれを消したがる。しかし同時に犯人は他の生徒会役員から正体を隠すために実験棟に来ることをしない。それならば、きみよりも実験棟で生活をしている僕の方が豆本の存在を隠しやすい。
さらにどのみちショッピングモールの調査は行わなければならない。その調査をきみに任せて、豆本の方の調査は僕が行う。どちらの調査も一週間以上はかかると思われるので、作業を分担する方が効率的ではないでしょうか?
些か守門先輩に不利な交渉ではないですか? もちろん僕としては喜ぶべき提案なのでしょうが。僕の方はショッピングモールの庇護下に入る権利を得ることができる。損害と言えば、お姉ちゃんの形見を手放す不本意という感情的なものだけです。一方、守門先輩の方はおそらく十万冊以上の書物に匹敵する情報を精査しなければならない上に、その豆本の存在が犯人に知られれば殺されるリスクがある。さらに僕に対する敗北という不名誉も耐え忍ばなければならない。
それで構わないのですよ。僕の目的はショッピングモールの調査を引き受けてくれる人間を見つけることにあります。それは空白組ではなく、一般生徒でなければ、つけ加えて言うなら常盤先輩に認めてもらえるほどに優秀な生徒でなければいけません。そのためなら、僕に不利な交渉だって辞さないのです。
もしも豆本の存在がバレて犯人につけ狙われることになったら、ダイイングメッセージくらいは残していきますよ。正直なところ、綴さんを殺した犯人は空白組の誰よりも強いと考えた方がいい。そうでなければ、理事会側にいる人間の暗殺などという大役を任されるはずがない。
そういうことならばその交渉を受けましょう。あなたにお姉ちゃんの豆本を渡すというのはやはり癪ですが。しかし今回の決闘のように感情に振り回されて行動することもこれ以上は慎んだ方がいいのでしょう。お姉ちゃんを愛してくれたあなたのことです。その豆本を粗末に扱う真似はしないと思いますが、一応大事にしてくださいと言わせていただきます。そういうわけなのでショッピングモールの調査の方は僕に任せてください。
ありがとうございます。そろそろ銀太くんの下半身も自由に動かせるようになっているのではありませんか? 僕の鼻はもう完全に治りました。最後に一つ、約束をしてください。僕と銀太くんの協力関係は誰にも口外してはいけません。もちろん瀧川さんにも、それと葬儀に同席していたあの方……失礼、名前を失念しました。
埜切秋姫さんですか?
そう、埜切さんだ。彼女にも僕たちの関係を教えてはいけません。それほどに理事会側の人間と生徒側の人間に繋がりがあることが露見すると互いに不利益を被るのですよ。その上、協力者が増えるほどに、犯人に追跡を感づかれる可能性が高くなる。だから彼女たちにも協力を仰ぐことは避けた方がいい。
互いの情報を交換するために顔を合わせるときも、僕たち以外には秘密にするように手配します。彼女たちにも僕たちの決闘は銀太くんの勝利で終わった、と伝えてください。それでは僕は行きます。一日でも早く犯人を見つけられるように互いに尽力しましょう。
 恒明が立ち上がり、そして第三校舎の中に消えていくまで銀太は腹這いになったままだった。それからようやく立ち上がると、紅月の部屋へと戻っていった。

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