ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

5-3. オーヴォワールやサリュは「またね」って意味らしいよ

エピソードの総文字数=6,991文字

 艦尾甲板(クォーターデッキ)は、艦全体を一望できる指揮所だ。
 だから、そこに立つル=ウにもよく見えた――船縁から身を乗り出した異形が、頭から伊織介を丸齧りにするのを。

「いッ――」
 息を呑む。伊織介はル=ウの杖であり、肉体の延長だ。視界も共有しているし、感覚もある程度繋がっている。気味の悪い紫色の舌が見える。鋭い牙が身体に食い込み、肉が引き裂かれるのを感じる。味わうかのように齧られた後、丸呑みにされるのが解る。
「――イオリっ……!」
 ル=ウの悲鳴が響く。異形は伊織介を平らげて、すぐにそのまま船外へと引っ込んだ――じっくり味わって、咀嚼する為だろう。
「嘘だ……そん、な……」
 全身が総毛立つ。ぞっとする感覚が唐突に途切れて、伊織介の機能(・・)が停止したことを告げる。
 震える手で自身を抱きしめながら、ル=ウは甲板に力なくへたり込んだ。


     * * *


「イオリノスケくんっ……!」
 最も反応が早いのはリズだった。伊織介を喰らった異形を追って、左舷側に長銃(マスケット)片手に飛び込んでいく。
 彼女の判断は冷徹だ。異形の巨大な頭部は人間を丸呑みにできるサイズだが、だからこそ伊織介ならば(・・・)まだ助けられるかもしれない――もっとも、無事とは程遠いだろうことは間違いないが。

 狙いは巨人の胴。ひたと照準を定めたリズの目が、驚愕に開かれる。

 巨人どもは船を漕ぐ程度の知能はあった。そのためか、伊織介を喰らった巨人もまた小さな艀を足場にしている。
 その巨人が、口の中の伊織介を味わうように咀嚼した――瞬間、

 〝ぶじゅう〟

 と嫌な音を立てて、その顔面が崩れた(・・・・・・)

「なんだ!?」
 リズは撃鉄(トリガー)を引いていない。何らかの攻撃があった形跡もない。巨人の顔面が、自ずから溶けるように崩れ始めたのだ。

「Maaaaaaaaaaaooooooooooo……」
 顔面の溶けかけた巨人が苦悶の叫びを上げる。皮膚がどろどろと溶け、肉が爛れ、骨格が崩壊していく。
「……く、腐っている!?」
 リズの洞察通り――異形の巨人は、ぶすぶすと音を立てながら急速に腐っていた(・・・・・・)
 人肉の腐敗する強烈な臭いを放出して、生きながら溶け爛れる巨人。あっという間に、どろどろとした液状の血肉となって、小船を満たしていく。

「今なら!」
 事態は分からないが、とにかく目当ての巨人は死滅した。液化した腐肉の中には、確かに伊織介と思しき人影(シルエット)が埋もれている。リズが船縁を軽々と飛び越えて、小船に着地する。
 だがそこでリズは、周囲の異常にようやく気付いた。
「なっ……!?」
 左舷側に押し寄せる巨人の目線が、全てリズを――厳密に言えば伊織介が埋もれる腐肉を――睨んでいることに。

 溶けた巨人(・・・・・)の遺骸に向かって、巨人の群れが押し寄せる。

「どうなってるのさっ!?」
 リズは軽々と巨人の肩や背中を飛び回りながら、長銃(マスケット)の至近射撃を次々に叩き込んでいく。だが銃弾の数発で斃れるような相手ではない。それどころか、さらに数を増やして巨人の骸に群がってくる。
「ぎッ……!」
 やがて数を頼みに襲いかかる巨人の一撃がリズを捉える。掠めた程度の接触ですら、巨人の豪腕は華奢なリズの肉体を軋ませた。幸い、海面に落ちることだけは避けることが出来たが、リズは伊織介の身体がある船からは跳ね飛ばされてしまう。

「なんなんだ、こいつら……!」
 海面に漂っていた砲艇(ガンボート)の残骸からリズが見たものは、相争うように腐肉を貪り喰らう巨人の群れ――我先にと小船に殺到し、同朋を押しのけ、殴り、噛み付き、殺し合いながら必死で腐肉に口をつけようとしている。もともとヒトとしての知性を奪われているように見られた巨人たちだが、これではまるで獣ですらない。

 喩えるならば、餓鬼そのものだった。

「まずい……っ!」
 腐肉の山の中には伊織介が埋まっている。あの飢えに狂った巨人たちは、当然伊織介の身体ごと腐肉を喰らうだろう。
 群れに飛び込もうとしたが、身体が言うことを聞かない。リズはその場に膝をついた。肋骨に加えて、臓器もいくらか損傷している。半妖の身なれば命の危険には直結せずとも、頭上を飛び回るほどの跳躍はもはや不可能だ。
「それを――それを喰うな! それ(・・)は、ル=ウの、大事なっ……!」
 悔しさに歯噛みしながらリズは長銃(マスケット)を振るった。撃鉄(トリガー)装填(リロード)撃鉄(トリガー)装填(リロード)撃鉄(トリガー)装填(リロード)撃鉄(トリガー)。魔女だからこそ可能な常軌を逸した制圧射撃も、異形の巨躯には通じない。打撃力が、足りない。
「くそっ、またボクは……ッ!」
 リズの怜悧な瞳に悲観の色が混じる。赤熱した銃身は、もう彼女の魔術を受け付けない。

 伊織介の身体が、腐肉の山ごと食い散らかされる――。

「……〝あなたは道の長きに疲れても〟――」

 その時、凛とした声が、餓鬼の暴れる戦場に響いた。

「――〝なお『望みがない』とは言わなかった〟ッ!」

 同時に、凄まじい飛沫が上がる。海水と、血の混じった飛沫――小船がばらばらに砕けたのではないかと錯覚する程の衝撃と共に、彼女は降ってきた(・・・・・)

「フラン!」
 リズの表情がぱっと明るくなる。
「真打ち登場ですわ!」
 群がる異形の群れを一瞬にして薙ぎ払ったフランが、にっ、と笑顔を作ってみせた。


     * * *


「リズは(ふね)にお戻りなさい。ここは(わたくし)が!」
 小船に着地したフランが〝シェオルの十字〟を両手に構える。異様にタフな巨人どもを相手に真正面から殴り合いが出来るのは、現状フランだけだ。その意味では、彼女が来たのは適任だった。
「悔しいけど、今は妙に格好良いよ、フラン!」
(わたくし)はいつだって魅力全開でしてよ。今更気づきましたの?」
「余計な一言がなければね」
 言いながら、ひょいひょいとリズは小船を渡って艦に戻った。すぐに代わりの長銃(マスケット)を用意し、フランの援護に回る。

 そこで気付いた――左舷側は、腐肉に押し寄せる異形をフランが捌いているが、右舷側はもはや限界だった。水夫たちが船槍と舶刀(カトラス)を手に奮戦しているが、魔女ですら手を焼く異形が次から次へと押し寄せてくる。
「このままじゃ……!」
 誰にでも推測できる、明白な事実だった。フランの占いに頼るまでもない。

 メリメント号は、巨人の群れに蹂躙されて、終わる。

「リズ! ちょっと頼みますわ!」
 ぞっとしない予感に顔を青くするリズの耳に、フランの能天気な声が通る。
 はたと気付いた時には、それ(・・)は既にリズの目の前に飛んできていた。
「わっ! ――これって」
 小柄なリズが、慌てて全身を使って受け止めたもの。それは、無残に引き裂かれた人型――伊織介の身体だった。

 顔面は鋭い牙に裂かれて、右半分が原型を留めていない。右腕は千切れて、どこかへいってしまった。全身が疎らに噛み砕かれていて、かろうじて人型を為している程度だが、確かに伊織介の身体だ。
 フランは、腐肉の中から伊織介の身体を引きずり出し、(ふね)に向かって放り投げたのだった。

「い、イオリ! わたしのイオリ!!」
 艦尾甲板(クォーターデッキ)を放り出して、ル=ウが駆け込んでくる。
「こんなに、こんなにぐちゃぐちゃになって……!」
 引き裂かれた伊織介の身体に抱き着いて、ル=ウははらはらと涙を零した。

「確かに、届けましたわ――手のかかる、我らがお嬢様(ル=ウ)の半身を」

 荷物(・・)が無事に届いたのを確認すると、フランはメリメント号に背を向けた。
「フラン! 早く戻って! このままじゃ(ふね)が……!」
 あまり他人を気遣う余裕はなかった。リズは殆ど一人で右舷側に迫る巨人を撃ち抜いている。

 だが、フランは戻ろうとはしなかった。

「……ル=ウ! 聴こえていますわね」
 何時になく真剣な声色。叫びながらも、フランは十字を振るって巨人を海に叩き落とした。幸い、左舷側の巨人は殆どが腐肉――フランの立つ小船に向かって襲ってくる。フランは今やたった独りで、左舷側の防備を全て請け負っていた。
「ル=ウ、しゃんとしなさいな! 〝船喰らい(メハシェファ)〟の名が泣きますわよ」
「う、うるさいっ……泣いてなんか……!」
 その言葉に、ル=ウが目尻を拭って立ち上がった。一瞬だけ呼吸を整える――伊織介のことは後回しだ。いずれにせよ、このままではメリメント号は沈む。何か手を考えなければならない。ル=ウの涙目が、魔女の視線に変わる。

「提案がありますの、ル=ウ。聞いて下さいな」
 フランは豪快に頭を叩き潰し、巨人の一頭を仕留めると、穏やかな口調で語りだした。
「左舷側は(わたくし)が引き受けますわ。砲員は右舷に集中なさいな。それで四半刻は稼げましてよ」
 しかしル=ウは頭を振った。
「……だめだ。時間は稼げても、その後が保たない」
 その言葉通り――巨人の群れは、尚もその数を増やしていた。次から次へと新しい小船に乗って、島影から現れてくる。倒しても倒してもきりが無い。水夫たちの体力も限界が近い。
「話は最後まで聞くものですわ。既に〝託宣(オラクル)〟は下りました。約四半刻の後、豪雨(スコール)が来ます」
豪雨(スコール)! 確かにそれならば!」
 この地方には、熱帯特有の猛烈な雷雨が不定期に現れる。メリメント号ならばともかく、巨人どもが浮かべる小船程度は容易に押し流してしまう嵐だ。退却の好機(チャンス)になり得る。
「だがフラン、独りで大丈夫なのか!? それに――〝託宣〟の触媒はどうした。金を取るんじゃないのか」
「ええ、お任せなさいな。触媒も自前で用意しました(・・・・・・・・・)わ、ですから読みの精度(・・・・・)も心配ありません」
「……分かった。信じたぞ、フラン!」
 ル=ウが力強く頷く。
「後払いでたっぷり請求しますからね。金貨の用意をお忘れなく」
 フランが、いつものように優しげな微笑みを浮かべて――再度、十字架を構えた。

「各トゲルンスル、縮帆! 縮帆だ!」
 空は分厚い雲に覆われ、いつ雨が降り始めても不思議では無い。が、豪雨が降る等という客観的な確証は何一つ無かった。
 それでも、ル=ウは帆を減らす(・・・)命令を下した――フランの示す未来に、その判断に賭けたのだ。


     * * *


 メリメント号の乗員は、化物(フリークス)を相手に善く戦った。それでも一人、また一人とその数を減らしていく。
「機は必ず来る、魔女がそう言ったのだ! 何としても()たせるのであるぞ!」
 リチャードソンが喉を枯らさんばかりに声を張り上げ、水夫たちを叱咤する。

 フランもまた……肩で息をしながら、たった一人で左舷側の巨人を全ていなしていた。海面には、頭蓋を叩き砕かれた巨人の遺骸が無数に浮き沈みしている。
 どういう訳か、巨人どもはやけに腐肉に惹き寄せられる。行動は読みやすいとはいえ、しかしこれほど頑丈な化物が群れで襲ってきてはフランといえども無傷では済まなかった。頭から流れる血を拭って、フランは空を見上げる。

「――そろそろ、ですわね」

 いつの間にか、空は灰色に染まっていた。
 ぽつ、ぽつ、と数滴の雨粒が甲板に落ちる。

「――艦長(リチャードソン)!」
 短銃(ホイルロック)片手に上甲板で指揮を執っていたル=ウが叫んだ。
「うむ! 長櫂(スイーブ)出せぇっ! 手透きの者は全員、櫂に付け! ケツまくるのである!」
 リチャードソンの指示が下ると、両舷の砲門から大砲が引っ込み、代わりに長い櫂が押し出される。五人一組で一本の櫂を漕ぐ、古臭いが風に左右されない推進手段だ。

「フラン、お前の読み通りだ! ぴったり四半刻じゃないか!」
 ル=ウの声が弾んだ。徐々に風も荒れはじめ、巨人たちが漕ぐ小船の包囲が(ほど)けていく。
「フラン、戻って! 退却だよ!」
 リズも予断なく射撃を続けながら、フランを呼び戻す声を上げる。

 しかし、フランはメリメント号に背を向けたままだった。

「……いいえ。まだ(わたくし)には仕事が残っていますわ」

 フランは、目の前の巨人を睨んでいた。
 荒れ始めた海をものともせず大型の艀に立つ巨人は、他の巨人とは明らかに違う――頭が二つある。脚は六本、腕は歪な形で七本ほどが胴から突き出している。おそらく、異形化の過程で他の巨人と混ざってしまったものだろう。複数体が混ざっている分だけ、図体も一際大きい。

(わたくし)は此処で、殿(しんがり)を務めます」
「なっ――!」
 リズが目を見開く。
「ばっ、莫迦を言うな! もう準備は出来てるんだ、さっさと戻ってこいフラン!」
 ル=ウが船縁に身を乗り出して、フランの背中に向かって叫んだ。

 ここで殿(しんがり)として、(ふね)の背後を守り抜く――当然、合流などできる筈も無い。それは、置き去りにされるのと同義だった。

「……ダメですわ。(わたくし)には視えているのです。ここで私が退いては、このデカブツさんが(ふね)を沈めますの」
「だったら、大砲で……!」
 ル=ウが顔を青くして叫ぶ。雨は益々強くなる。
(わたくし)には視えている、と言った筈です!」
 フランが十字架を船に叩きつけるように打ち立てた。
「他に手は無いのです! (わたくし)にしか出来ないことなのです! そう聖霊(プネウマ)が示しているのです!」
「……フラン、おまえ……」
「……急なことで、挨拶も満足に出来ないのは残念ですわ。しかし、解呪師としては覚悟の上です。未来(さき)を読む者は、いつだって誰もがこう(・・)するのですわ」
 フランは振り返らない。甲板には大粒の雨が垂れ始める。
「なんで……なんでっ! そんな、急すぎる!」
 ル=ウは知っていた。フランは一度こうと決めたら梃子でも動かない頑固者だ。魔女団(カヴン)はあくまで寄合であって、同盟に過ぎない――ル=ウは彼女に命令できない。
 フランを止める言葉が、無い。

「触媒は既に捧げました――〝私自身〟ですわ。見なさいな、(わたくし)の相棒も絶好調でしてよ。〝託宣〟に狂いは、ありません。安心しなさい、貴女たち()助かります」
 彼女の言葉通り、〝シェオルの十字〟に植わる眼球は、いつにも増して煌々と瞳を輝かせている。感情を移さない瞳に浮かぶ煌めきは、主人(フラン)の自己犠牲を称えるようにも、主人(フラン)の死を待ち望むようにも見えた。

「お前、名誉を買い戻すんじゃかなったのか! ヴァレット家の名声を取り戻すんじゃなかったのかよ! ここで終わったら、ここで終わったら……!」
 雨が甲板に降り注ぐ。ル=ウの顔が濡れている。

「ええ――ですから。この仕事の報酬は、金貨30枚。きっちり支払って貰いますわよ」

 ようやく、フランは振り返った。
 その表情は、いつも通り。いつもと変わらぬ穏やかな笑顔だ。

「馬鹿だよ……フラン。大馬鹿だよ……金貨は、天国には持っていけないんだぞ……」
「知っていますわ。でも」
 駄々っ子を諌めるような、優しい口調だった。 


「主は、いつだって(わたくし)を見ていて下さるのです」


 ――あっという間に、雨粒は豪雨に姿を変える。

 周辺一帯はバケツをひっくり返したような激しい土砂降りに見舞われた。視界は灰色に染まり、十歩先程も見渡せない雨のカーテンに塞がれる。豪雨とともに突風が吹き荒れ、多くの砲艇は風に帆を取られて散り散りになっていく。
 唯一、フランの預言によって豪雨の到来を予期していたメリメント号は、既に縮帆を済ませ、次の動きに入っていた。雨音に掻き消されそうになりながらも、リチャードソンが号令を叫んでいる。水夫たちが力を合わせて櫂を漕ぎだすと、メリメント号はゆっくりと動き出した。

「ここまでご一緒できて、光栄でした。では――Adieu(ごきげんよう)
 灰色のカーテンの向こうで、確かにフランはそう言った。

「……〝見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう〟……」

 祈りの言葉を呟きながら、フランセット・ド・ラ・ヴァレットは、〝解呪師〟としての本来の使命――魔を解き、同胞を守る戦いに赴く。

 帆走の効かない小船の群れをその場に残して、メリメント号は豪雨に紛れ、櫂走で東へと逃げ延びた。


     * * *


Adieu(アデュ)〟。フランス語による別れの言葉として、よく知られている。

 だがそこに込められた意味は〝永き離別〟――二度とは会えない友に向ける言葉である。

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