オーバー・ザ・フェンス~十字架と罪過は誰が為

第三十八章 詩編百三十章二節

エピソードの総文字数=2,419文字

『主よ、この声を聞きとってください。嘆き祈るわたしの声も耳を傾けてください。』詩編百三十章二節
 
 やるべきことはやった。だがそれで終わったわけでもない、まだやれることは多く残っていた。そういう点では俺はコナーに嘘を言ったことになる。だがこれからの予定をコナーに話したところで良い顔はしないだろう。真夜中に崩れ落ちていく神社の裏庭で穴を掘り起こすのはともかく、これからすることは紛れも無く犯罪だ。
 目を覚ますと昼の三時を越えたところだった。コナーの姿はすでにカウチにはなく、スマホを見るとメールで『家に戻っている』と書かれていた。
 頭にかかった靄は眠る前よりも薄まっていた。その向こう側に書かれたリストを見やって抜け落ちているのがないか、もう一度想いを馳せた。大丈夫だ、問題はない。後は運と運と度胸だけだ。
 その時テーブルに投げ出していたスマホが低く呻いた。手に取ってみると夢奈からの連絡だった。
「もしもし?」
「あ、琥珀さん?その……昨晩はどうでしたか?」夢奈の声は固かった、しかしその一方で期待しているとも見えた。
「明後日だ。明後日の昼過ぎに家に家族を全員集めてくれ」
「え?」
「頼む、大事な事なんだ。今日から明後日までの費用はいらない。ただ時間が必要なんだ」
 俺の言葉に夢奈は黙り込んだ。沈黙が続くかと思いきや、静寂は破られた。
「わかりました……姉さんがどこにいったか、その時にきちんと教えてください。今みたいに、誤魔化しも、はぐらかしもしないで……」
「約束する」
 それで通話は切れた。俺は気怠い体を起こした。

 最初にT葉のホームセンターまで電車で二時間かけて赴いた。買ったのは1M四方のブルーシートに作業用軍手だ。それから古着屋をいくつか廻ってスニーカーと上下揃った黒のジャージ、それからダッフルバックを揃えた。
 酷く臭う上にハエの飛び回る公衆トイレにダッフルバックに今着ている服も靴も押し込んだ。そして着替えた。汚れの染み付き、ハエのたかるガラス越しに自分を見た。まるでどこぞのチンピラだ。こわばった顔を無理やり笑わせてその場を後にした。
 
 そこからすぐにS玉行きの電車に乗った。すでに日が暮れて夜が辺りを覆い隠していた。だが電車の中に乗り込んでいる堅気の連中は疲労に覆われていた。眼の下に隈、あるいはこうべを垂れて居眠りしている。そうでないならイヤホンを耳に付けて音楽を聞いているか、スマホの小さな画面の向こうにある世界に没頭していた。
 俺は中吊りの広告を見やった。芸能人の不倫についてや政治家たちの汚職についての雑誌だった。いつも通りだ、良くも悪くも。
 電車の中の人ごみはさほどなかった。だが電車がとある駅に着いた時、何人かが乗り込んできた。そのうちの一組に俺は目を奪われた。
 それは親子だった。だが子供の来ているコートはやや薄汚れ、その子供の顔は土気色でげっそりとしていた。眼は虚ろであらぬ方向を見ていた。母親の方は早々に近くの椅子に座って化粧を直し始めた。自分の顔を小さい鏡越しに見ていた。だが子供はその場で立ちすくんだまま、床を見ていた。 
 その様子をじっと見ていた。子供はこちらを向いて目があった。俺の中の子供が悲鳴をあげた。『同じだ』、と。
 俺は椅子から立ち上がってその子に笑いかけた。
「立ったままだとつらいだろ、ほら、座りなよ」
 子供は俺と母親を見比べた。母親はきっと睨んだ。
「この子を甘やかさないでくれますか?結構です」
「あんたに言ってないんだよ、化粧の続きでもしたらどうだ?」
 俺は子供に座っていた椅子を指し示した。その子はもごもごと何かを言い、椅子に座った。母親はこれみよがしにため息をついた。俺は踵を返そうとしたが最後に子供に笑みを見せて立ち去ることにした。

 別の車両に新聞が一部忘れられていた。俺はそれを手に取り、素知らぬ顔でダッフルバックに入れた。それを見ていた女は鼻を鳴らした。その女の香水に俺は鼻をつまんだ。

 S玉に入り、そこからあの忌々しい神社についたのはもう深夜を回ったころだった。すでに体のあちこちが休息を求めていたが無視した。駅前のコンビニでアルコール度数の高いウイスキーを一本、そしてマッチを手に入れた。栓をぬいて香りを嗅ぐと芳醇な香りが鼻の奥を擽った、アルコールと言うよりメープルシロップが入っていそうだった。思わず一口飲みそうになるが、首をふって栓をした。そして軍手を身に着けて先を急いだ。
 
 A雅神社は昨日訪れた時と変わっていないように見えた。ただじめじめとした湿気が肌に纏わりついてくる。最初に裏手の方に回って例のトランクを再び見た。これもまた最初に見たように墓石のように佇んでいた。そのわきの突き立てられたシャベルも名も無き死者のための……あるいはトランクに詰められた知恵のための墓石に見えた。
 ダッフルバックからブルーシートを取り出して広げると、シャベルをその中に置いてブルーシートで包んだ。そしてバックに無理やりおさめた。
 それから神社の方に回った。境内に入ると穴の開いたの床が軋んだ。新聞を広げてぐしゃぐしゃに潰して境内のあちこちに置いてまわった。そしてその一枚一枚に瓶を傾けてウイスキーを垂らして濡らしていく。境内の中が甘ったるくも香しい香りに満たされていく。
 そしてマッチを取り出して擦り火をともした。爪の先のような小さい火種をその新聞紙に放ってゆく。火を投ずるたびに濡れた新聞紙が火を上げて腐った床をちろちろと舐め広がっていく。
 ウイスキーの瓶もマッチの中も空になった。境内の中はすでに炉のように燃え盛っている。マッチの空箱は中に投げ入れた。夜の中で神社は地獄の釜を煮る火の様に猛り狂っていく。
 獣が巣穴に隠れているならば、巣穴から燻りだせばいい。何事も火が重要だ。灯りとなり合図になる。

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