【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

1-08 篤志

エピソードの総文字数=2,748文字

1時間も待ってるなんて、おまえも付き合いがいいんだな。
昨日の留守電……聞いてくれたのか?
 美津子が晩御飯の支度をすると言ってようやく退散してくれたので、茂はソファに座って皿に並べられたクッキーに手を伸ばした。

 昨夜、茂は篤志がひとり暮しをしているアパートに電話をしていた。篤志は留守だったため『どうしても会って確認したいことがある』というメッセージだけを留守番電話に残しておいたのだ。
 だが、茂もまさか昨日の今日で篤志が家まで訪ねてくるとは思わなかった。
 篤志は、まだ硬直したまま立ち直ってないように見える。前に置かれたティーカップの紅茶はすっかり冷めているようだったが一気にそれを煽って、大きくため息をついた。
おまえの携帯の番号だけ聞いて帰るつもりだったよ、こんな格好だし。
でもお袋さんの話が終わらなくて……。
バイト帰りか? 俺、携帯の番号教えてなかったっけ?

……って、おまえにそんな話しても無駄か。
 高校の頃から、篤志がメモなんかとったところは見た事がなかった。家の場所を覚えていただけでも大したものだ。
バイトって言うか、今はこれが本業だな。ビルの解体なんかやってる会社で……案外俺にあってるみたいだからさ。
大学は?
休学してる。やめるかもな、このまま。
え、それご両親には?
……いや。高校出てから会ってないよ。
 ぼそっと言って、篤志は口をつぐんだ。
 茂が勧めたクッキーを手の中でもてあそんでいる。相変わらず、家族のことは触れられたくない話題のようだった。
 その姿を見ているうちに、『ジャングルに虎がいる』という話を聞いたとき、篤志と何の話をしていたのか、茂は思い出した。
自分の家族が、ある日突然別人になるなんて……おまえ、想像つくか?
 ――たしか高校2年生のときだ。
 篤志とは高校入学当時から仲が良かったが、あまり家族の話は聞いたことがなかった。誘えば茂の家に遊びに寄ることはあったが、多分一番親しくしていた茂さえ自分の家に呼んだことはない。家族の話を聞いたのは……あのときが確か最初だった。
別に両親が嫌いってわけじゃないんだ。
いい人たちだし、頭もいい。でも……。

俺は家族にはなれずにいる。
 10歳のとき、篤志は静岡から都下N市に引越しをしてきた。父親の転勤が引越しの理由だったのだそうだ。
でも俺には、静岡にいた記憶なんて……まるっきりないんだよ。
ある朝、目が覚めると全然知らない母親と名乗る女がいて、父親と名乗る男がいた。家も見覚えのない場所だったし、引っ越した記憶なんてなかった。

……それ以前のことは何もかも記憶がぼんやりして曖昧なんだ。
 家には篤志が赤ん坊の頃からの写真がきれいにアルバムに貼られていたし、その日からの生活は――新しい学校への転校も、親戚との付き合いも何もかもがトラブルなく続いた。静岡に住んでいた時に在籍していた(はずの)小学校のクラスメイトがみんなで作ったのだというお別れの手紙集が郵便で届いたりもした。
 だが篤志にはそういうもののすべてが他人事のように思えてならなかった。
N市に引っ越してくる以前にはっきりした記憶はひとつだけだ。
いくつもソファが置かれた広いロビーみたいな場所で『ジャングルに虎がいる』というお伽話を聞いた。
 それは一回だけの体験ではなかった。
 ソファに座って何かを待っている間、何度もその話を聞いた。ロビーにはたいてい小さな子供が何人もいて、篤志がその子供と遊んでやりながらお伽話を聞かせてやったこともあった。
 その話を、母親に尋ねたこともある。
 母親は『ジャングルに虎がいる』なんてお伽話は知らなかった。でも多分、それはよく行っていた小児科クリニックの待合室だったんじゃないかしら、と語った。待合室に大きな虎の絵がかかっていて、小さな子がよく怖がっていたのよ……と。
他にもいくつか断片的な記憶はあったけど、どれもこれも違和感だらけなんだ。
……でも、次第に馴れたよ。犬を拾ってきた記憶とか、火事の記憶とか、なかったはずのことを覚えているのも、おふくろの言う通り夢だったのかと思うことができるようになった。
そうすりゃおふくろを泣かせずに済むしな。

でも……どうしてもあの夫婦を両親だと思うことができなくて息苦しいんだ。
 結局篤志は大学進学をきっかけに家を出てしまった。
 仕送りの類もいっさい断り、バイトで学費を捻出しているのでかなり苦しいらしい……というのは、茂が別のクラスメイトから聞いた話だった。
……で、話って?
 クッキーをぽりぽりやっていた茂に、篤志がそう話を切り出してきた。
 茂は、キッチンで鼻歌を歌いながら料理に精を出している美津子の方をちょっと振りかえった。こっちの話に耳をそばだてている様子はない。多分、篤志や、由宇が連れてきている23センチのローファーの持ち主にも夕食を食べさせようという算段なのだろう。
この間、すぐ近所で中学生が焼身自殺したんだ。
 茂はそう言って、あの夜のことを……警察の連中が失笑をもらした炎の獣と『ジャングルに虎がいる』という最後の言葉を中心に話した。
 炎に包まれて死んだ中学生がインターネットのオンラインゲームに熱中していたこと、そしてそのオンラインゲームに同じように熱中しているEIJIという大学生が個人所有するホームページ上で『ジャングルに虎がいる』というお伽話を知っている人を探していたことも……。
………………。
 篤志はほとんど無反応のままだ。
 その様子に茂にはちょっと拍子抜けしていた。もう少しハッキリと、期待ハズレの手応えを感じてしまった……と、言ってもいい。
 あの時、茂が目撃した中学生の最期。それは誰に話しても眉唾な話だった。調子付いた大学生の酒の上のホラ話――としか受け止められなかった。
 でも篤志なら、まともに取り合ってくれるのではないか。いや、篤志以外にこんな話に耳を傾ける者はいないだろうと思っていたのだ。
興味……ないか、こんな話? それとも、おまえも信じられないと思うか?
 話の最後に、茂は言った。
 篤志の表情はまだ動かず、空になったティーカップをじっと見下ろしている。
なあ、フク。
 篤志は茂をそう--高校時代と同じように呼んだ。
俺はおまえみたいに頭で考えてどうこうするのは性にあわねえよ。俺に何かをさせたいなら、何をすればいいのか、それだけを言ってくれ。
おまえは、その……信じてくれるのか?
信じるって何をだ? 火の虎の話か? お伽話の存在を?
……それともおまえが正気かどうかをか?

お伽話を最初におまえに聞かせたのは俺なのに?
 篤志はばっさりとそう言い捨てた。
 こういうものの言い方も、高校の頃から変わっていない。
 篤志はゆっくりと顔を上げ、その目を茂に向けた。
知りたいのは……俺の方だ。

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