パナギアの童女は茶室で微笑む ――その女は死を知らず、ただ眠るのみ――

牛に引かれてル・ジャルダン参り

エピソードの総文字数=5,004文字

 途中、黙っているのもおかしいと思い、俺は建築物の仔細を観察ながらも、瓶白に訊いてみた。
「このマンション、『ル・ジャルダン三十三』は、かなり巨大な建造物に見えますが」
「はい。この街には海外からの家族ぐるみの長期来訪者が多い割には、そのニーズに沿った賃貸住宅がほぼ存在せず、それならば作ってしまいましょう、とかなり安易な理由でこのマンションは建てられました。マンション名も、楽園町の三十三番地だから、『ル・ジャルダン三十三』と名付けられたそうです……もっとも、『楽園』を天国(ル・パラディ)の意とするか、エデンの園(ル・ジャルダン・ド・エデン)の意とするかで、少々もめたそうですが、祖母の一声でル・ジャルダンとなりました」
 なるほど、ここの地名は確かに楽園町三十三番地。ル・ジャルダン三十三とは、そのような意味だったのか、と、やりとりを続ける中、彼女は少し言い難そうに切り出した
「ところで私達、共に現在、高校一年生なんですよね」
 首肯即答。
「でしたら、金剛寺さん、私には敬語とか使う必要はないと思います。どうぞお気楽に。普段どおりの言葉使いで大丈夫です」
「了解。じゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 部屋に着くと、瓶白は鍵を開けた。中に入った俺は、測量のダンドリを考える為に、いくつかの部屋を歩き回ってみた。測量といっても、図面が書ける程度に、持参した巻尺でアレコレ計るだけではあるのだが。ただ、持ち込んだ家具が通る、通らないの問題があるので、ドアを開けたところの幅と高さだけは正確に取って来い、との指示もあり、それはそこそこ正確に測らねばならない。ついでに、コンセントの位置と数の調査に関する指示もある。あとは、カーテンサイズを決めるための窓の大きさも測るべきだが、ここは既にカーテンが取り付けられた部屋であった。しかし、部屋の広さ、ドアの多さには圧倒される。全部計測するのには、どれだけの時間がかかるのか。更に言えば、この部屋は、先のカーテン以外にも、エアコン・照明・ソファやベッドなどの家具・キッチン周りの備品が一通り準備された状態になっている。冷蔵後もあればレンジも付いている賃貸物件である。これは日本の一般的な、家具やカーテンなどが付かない賃貸物件とは異なる、コンドミニアム形式の物件、そう多鹿部長が言っていたっけ。そういえば、在家信者から金剛寺に対し、以前寄進された海外の部屋も、このタイプだった。一通り部屋を見渡した頃、瓶白が、こちらから訊かずとも、この部屋の特徴を説明してくれた。
主寝室(マスターベッドルーム)が一部屋、客室(ゲストベッドルーム)が三部屋、それとキッチンとダイニング、ダイニング用のトイレ。すべてのベッドルームには風呂とトイレが付きます。ハウスメイドを雇われる場合は、大抵は一番狭いゲストベッドルームを利用させるそうです。ちなみに、キッチン回りは冷蔵庫を含めて、アメリカからの輸入です。駐車場三台と、共同利用の屋内プールもあります。お湯は全て、マンション共通のボイラーで沸かして供給するタイプですので、各部屋には給湯器は存在しません」

 日本のように、一つの浴槽を使いまわすというのを嫌う国や文化というのもあり、そのニーズに対応する為に、ル・ジャルダンは予め設計されていたようである。また、家の中にはハウスメイドが居て当然という国や文化も存在する。ま、それはそれでいいのだが、その家庭内格差を生み出す為に、いちいち、風呂・トイレの大きさや湯船のデザイン、いや、『風呂・トイレの格』というのが見てわかるように全室異なっており、その差異の記録は少々面倒である。家庭内不平等を生み出すその間取りを記録しつつ、部屋が一望できる箇所から、西ドイツ製の広角レンズがマウントされた北欧産の中盤カメラで、客に見せる為の写真を撮っていった。――四月冒頭時点では、まさかこの露出計もないフィルムカメラが使いこなせることを、将来他人から評価される事があろうことなど、わかるはずもなかったのだが。
(作者注:当時、カメラは銀塩とデジタルが共存していた時代です)

 途中、瓶白が
「お持ちしましょうか?」
 持ち込んだ測量用道具――ただの巻尺だが――を持って手伝おうとする。部屋を貸す側の人間にしては珍しく、少なくとも、俺が考えるところの人並みの優しさを彼女は持っていた。残念ながら、九割程度の貸主《オ-ナー》はこうではない。〝戦後の農地解放が、地主と豪農から僅かばかりの善を奪い、悪へと狂わせた〟というのは戦前生まれ・多鹿部長の口癖ではあるが。
「手伝ってくれるのはありがたいが、俺一人でやってみたい。福音商会から正式なバイト料が出る、初仕事でもあるし」
 俺は、彼女の思いやりを辞退した。自分の垂らした汗と脂で、仔牛の肉と脂を購入したいのだ!というところまでは言わずいたが。俺は唯でさえ普段から兄貴や姐さんに色々と守られている。だからこそ、自分の手で何かを成し遂げてみたい、という、子供じみた我侭。それに瓶白をまきこんでしまい、申し訳ないのだが。
「わかりました――ところで、福音商会(エヴァンジェル)って、不思議な名前ですね」
 間を空けず、興味深そうな顔をした瓶白が訊いてくる。最初から、真っ先にそれを訊きたかった、という顔。
「確かに。社長や部長、部長補佐がクリスチャンなので、そういう名前になったらしい。そう、例えば……俺は朝晩の食事は大抵、福音商会の食堂で頂くが、食前にお祈りタイムがある。また週に一度は夕方に牧師がやって来て、応接室で聖歌や賛美歌を歌を唄い、説教を聞く。そういう、飯付き、オルガン付き、オルガン奏者と牧師付きの楽しい職場だ」
「それは素晴らしい職場です!ですが、例えばキリスト教徒以外、金剛寺さんって名前からして仏教徒、というより、地下鉄の駅名にもなっている、あの(・・)お寺ですよね?仏教徒であっても、会社イベントには強制参加なんですか?」
「強制参加。さらに、それだけじゃない、平日の朝礼では参加者全員で、順番に聖書を読む、いわゆる輪読をする事になっている」
「それはなかなか――キリスト教徒以外には少々重くはないですか?」
「そうだな、重い。ヘビーだ。ただ、その(ヘビー)とやらは、踵を噛んだりはしないだけマシだが」
 瓶白は笑っている。女性にしては珍しい、親父ギャグに寛容なタイプか?……楽しい福音商会にも欠点はある。キリスト教とかそういう部分ではなく、うっかり親父ギャグを言おうものなら、氷のような冷たい視線を送ってくる、怖くてキツい、女子大生アルバイトが一人いることである。悪い人ではないのだが、キツイ人ではある。

 さらに激しい質問は続く。
「その蛇の件ですが、旧約聖書も、朝礼で読まれるのですか?」
「旧約から新約まで、六十六の書、全てを読む事になっている。新約の最後まで行けばまた、旧約の創世記から。中学校のころから頻繁に出入りしている不動産屋なので、俺はもう何周しただろうか?聖書の文章は全部覚えてしまった」
「ええッ!全部ですか?」
彼女は驚いた口調で答えた。しまった、うっかり口が滑った。
「いやその、全部覚えたような気がする、ような、気がしないような、普通なら全部は覚えたりしない……よな?」
 俺のシドロモドロの言い訳を聞く気がないのか、瓶白の目が爛々と輝いている気がした。
「では行きますよ――いつも悦べ、絶えず?」と切り出す瓶白。
「絶えず――ああ、〝絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである〟だったかな。(いつも)(よろこ)べ、と俺の名が入っているといわれているので良く知っている。第一テサロニケ5:16~18」
「章と節の番号まで?では、預言者をからかった子供が、突然出てきた熊によって、ヒドイ目にあうところ」
 む、来たな変化球。この表現からの脳内検索はキツイ。だが、覚えている。
「彼はふり返って彼らを見、主の名をもって彼らをのろった。すると林の中から二頭の雌ぐまが出てきて、その子供らのうち四十二人を裂いた。列王記下2:24」
「す、すごいじゃないですか!では次に……」
 次の質問が出される前に、俺は先に切りこんだ。
「いや待て瓶白、すまないが聖書検索ゲームは終わりだ。その、できれば終わってくれ。俺は仕事がしたい。昼までに終わらないと、多鹿部長から少々小言を頂くハメになる」
「わ、私とした事が申し訳ありませんでした」
 彼女は深々と頭を下げている。素直で宜しい。
「先ほどの話ですと、私が手伝うのはダメとのことですが、私が貴重な労働時間を奪ってしまいましたので、やはり手伝わせて下さい。お役に立つといいのですが」
 彼女はそういうと、何やら最初から持参していた印刷物を広げ始めた。よく見るとこの部屋の図面である。持っているなら、最初から言ってくれ。いやしかし、実にありがたい話である。図面まで準備してくれる貸主《オ-ナー》は、実際のところかなり少数派である。

「図面とはありがたい。コピーを取らせてもらっていいか?」
 俺の質問に、瓶白は答える。
「いえ、この図面自体がコピーですので、差し上げます。お渡しするつもりでしたので、どうぞ」
 コンセントの数と位置までが書き込まれた図面であり、俺の任務の半分は終わったとみなせる。後は、写真を撮り、全てのドアの開口部、その幅と高さを測るのみ。ドアに関しては、およそ一つの定まった規格があるので、一つ二つ正確に測ってしまえば、ほぼ、後は正確に測る必要はない。同じだけの幅と高さになるのは必然である。念のために、問い正しておく。

「このドア等の内装も、輸入品?日本ではあまり見かけないデザインだが」
「はい、そうなります。父の会社の傘下には、国産資材を用いた瓶白ホームと、海外資材を用いた瓶白ハウスがありますが、このマンションは、後者の瓶白ハウスの協力で建てられました。瓶白ハウスですが、輸入住宅メーカーと考えて頂ければ、理解しやすいと思います。資材は全て、コンテナ船で輸入し、職人に関しても、何割かは海外から雇います」
 どうりで。見かけないものがそれなりにあったわけだ。
主寝室(マスターベッドルーム)のトイレ、俺は今までそれなりの数の物件を観て来たが、あんなのを見たのは初めてだ。便器が二台も、横並びで据付けられているなんて」
「……あの、金剛寺さん、あの内の一台は便器ではなくてビデです。先ほどのように、様々な角度からあまり写真を撮るものでもありません……」
 なぜ何故Why(ワーイ)と質問しようと、声が喉まで出かかったが、とっさにこれは訊き返してはならないトラップ問題である事を彼女の表情から理解した。俺は政治的に正しい英断を下しつつも、アドバイスに対して小さく感謝し、何か話題を逸らそうとしていた。

「……あの、この部屋、お暑くないですか?冷蔵庫に、冷たい飲み物が少し残っているのですが、いかがでしょう?私が作ったものでよければ」
 話題を逸らせてくれたのは彼女だった。実際のところ今回の仕事はほぼ終わっており、時計を見ると、昼までにはまだまだ余裕があったので、ありがたく彼女の申し出を受け、頂く事にした。

「あれ?この部屋、瓶白が使っていたのか?」
「空室の時は、それなりに。ここのオーブン、大きくて火力も強いんですよ!……あ、いえ、それは()(かく)、この部屋の鍵、そういう理由で、私が持ってるんです。しかし、今回の案内で、ル・ジャルダンから空室はなくなりました。ありがたいことに満員御礼です。私の私物は一度、茶室に入れておきます」
「茶室?」
「そうです茶室です。祖母が愛用していたのですが。金剛寺さん、茶室に興味がおありですか?あ、茶室のほうが良い食器がありますので、金剛寺さんのやるべき事が済みましたら、茶室に行きませんか?」
 彼女はそういいながら、台所と冷蔵庫の中にある、彼女の私物と思われるものを次々に大きな籠に入れ始めた。

 仕事も終わった俺は、茶室に対する好奇心もあり、ただ彼女の勧めに従っていた。

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