ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

3-1. おやつ気分で体液交換

エピソードの総文字数=2,847文字

「んむぅ」

 息が苦しい――そのせいで目が覚める。

「ん……んん……?」

 声が出ない。身体が動かない。それも当然だ。

「ん……!? ンン――!!」

 伊織介は自身の置かれた状況に気付くと、身を捩って抵抗する。だがそれも両腕を抑え込まれて、身動(みじろ)ぎすらも許されなくなる。

 仰向けに寝かされた伊織介の上に跨ったル=ウが、伊織介の()を吸っていた。頬を上気させて、貪るように、音を立てて啜っている。
 狭く薄暗い小部屋に、二人の荒い息遣いだけが響いていた。


      * * *


「ひどい……」
 
 そこは小さな部屋だった。ル=ウが背筋を伸ばせば巨大な羅紗帽(キャスケット)が引っかかってしまうだろうほどに天井は低く、圧迫感を感じさせる。四畳も無い床は、半分以上がベッドと机に占拠されていた。ただでさえ手狭であるにも関わらず、怪しげな書物やら骨やら小物やらが足の踏み場も無いほどに散らかっている。

「犯された……」

 薄布(シーツ)を手繰り寄せて、部屋の隅でぼそぼそとそう呟いたのは伊織介だ。両膝を抱え込み、俯いて小さくなっている。

「お前そんな、接吻(キス)くらいで大袈裟な……」
 机の上に腰掛けて、頬を膨らませているのはこの部屋の主、ル=ウだった。不満げに両腕を組んで脚をぶらぶらさせている。
「僕は武士です!」
 伊織介は薄布(シーツ)を被ったまま、目を腫らして反論した。
「だからなんだよ」
「武士は女淫を犯さぬのです!」
「サムライの規範(ルール)か何かか? お硬いやつだなぁ……」
 ル=ウはひょいと机から降りて、窓にかかった(カーテン)を締めた。小さな窓しか光源の無かったその部屋は、ただそれだけであっという間に暗くなる。
「な……何ですか! また何か始める気ですか」
 伊織介が後ずさって、身を固める。

「そうだよ」

 怯えて縮こまる伊織介に、ル=ウは舌舐めずりして笑顔を向けた。
「イオリ――どうやら勘違いしているようだから、教えてやる」
 底意地の悪そうに表情を歪めて、子供に言い聞かせるように優しく語りかける――その様は、まさしく子供を太らせては食らう魔女そのもの。
「――〝動くな〟」
 びくり、と伊織介が震えて動きを止める。自分の意志に自分の身体が従わなくなる。

「ひとつ。イオリはわたしのもの(・・)だ。イオリはわたしに逆らえない。わたしがイオリに何をしようが自由だ」
 ル=ウは薄布(シーツ)を引き剥がした。衣服はぼろぼろのまま、上衣(ダブレット)下衣(ブリーチ)も破けてすっかり見窄らしくなった伊織介が現れる。

「ひとつ。さっきのアレは遊びや酔狂じゃない」
 言いながら、ル=ウは赤子を寝かせるように優しく伊織介を組み敷いた(・・・・・)。再びル=ウは伊織介に馬乗りになって、押さえ込んだ形になる。
 相変わらずル=ウが身につけているものは外套(マント)ぐらいだ。身体が密着してしまい、その意外なほどの柔らかさに伊織介は狼狽する。思ったよりずっと軽い体重、布越しに伝わるたわわな感触、剥き出しの腿の肌触り――。耳まで赤くなるのを隠したくって顔を背けようとするが、あいにく動かせるのは目線だけだった。

わたしの舌(・・・・)を回収する必要があったからな。腕以外のものを生やすのは、けっこう疲れる」
 伊織介は、自身の口の中に異物感が無いのを思い出す。昨晩の戦いで、確かに伊織介はル=ウの舌を口内に埋め込まれていた。魔女の舌が好き勝手に喋るものだからひどく気を揉んだものだったが、今はそれが無くなっている。ル=ウの言う通り、確かに口移し(・・・)で吸い出されたのだろう。
「それにだ。イオリの身体は捕食器官(・・・・)として特化する形に設計した。故に、イオリの体内に取り込まれた馬來鬼(ペナンガラン)の核は、そのままでは消化できない」
「……っ!」
 どうして失念していたのだろう。ル=ウの言うとおり、昨晩伊織介の身体から伸びた顎は、化物の頭部を丸呑みにして腹の中に引っ込んでしまったのだ。であれば、腹の中に化物の頭が収まっているのも道理だろう。自分の身体の内側にとんでもない化物が棲んでいるような気がして、伊織介は今度は顔を青くする。
「このままでは、腹を壊すぞ、イオリ。だから……」
 不安な表情を浮かべる伊織介の頬を、ル=ウは愛おしげに撫でた。

「吸い出してやる。口から(・・・)が嫌なら、こういう方法もある」
 
 言って――ル=ウは伊織介の首筋に噛み付いた(・・・・・)

「あ、あ、あああああっ――」
 吸われる。血を吸われているのが解る。恍惚とした喪失感とぞっとする快感に、伊織介は声が漏れるのを抑えられなかった。

 ル=ウが鋭い犬歯を突き立てて――血を啜っている。まるで西欧(ヨーロッパ)に伝わる吸血鬼(ヴァンパイア)のように。

「あむ……ん……ふふふ、大丈夫だ。わたしは船喰らいの魔女、そして闇鍋の魔女。どんな異形(ばけもの)でも消化できる。イオリが捕食(つかまえ)てくれたものは、わたしが美味しく頂いてあげる」
 一旦口を離して、ル=ウが笑顔を作った。口から血を滴らせて目を眇める様は、ぞっとするほど美しくて。
「ああ、おいしい。やっぱりおいしいよ、イオリ……三年もかけて作った甲斐があった」
 薄闇の中、伊織介はル=ウの青い瞳が徐々に金色に変わっていくのを見た。その色は夜闇に浮かぶ月にも似て、その怪しい輝きは人ならざる者の眼であることを雄弁に語っている。
「どうだイオリ? 血を吸われるのは、気持ち良いだろう? そうなるように(・・・・・・・)作ったからな」
 上体を起こして、ル=ウはにひひと意地悪く笑う。
「そんなの……卑怯です……」
「可愛いやつだ」
 言って、ル=ウは再び伊織介の首筋にかぶりつく。

「わたしが美味しいと思える血は、世界で一人だけ。イオリだけだ。だから、だからな、どうか――」
 
 ル=ウは、その後に言葉を紡ぐことはしなかった。

 じゅるじゅる、じゅるじゅると、下品な水音と、伊織介の微かな喘ぎ声だけが薄暗い室内に響いている。

 伊織介の身体はいつの間にか動くようになっていたが――動くことなどできようもない。そんな勇気は、伊織介にはなかった。


     * * *


 奴隷とは、人間でありながら、所有される存在のことを指す。

 所有物に過ぎない以上、その扱いは所有者によって様々だ。道具を大切に扱う主人もいよう。道具を使い潰す主人もいよう。長く大事に使った方が良い道具もあれば、さっさと使い潰して新しいのを買ったほうが良い道具もある。

 では、伊織介の場合は――魔女(ル=ウ)の場合はどうか。

 大切に扱うか粗末に扱うかは別として……少なくとも、魔女は奴隷を簡単には手放さない。それこそ、あらゆる手段を尽くして。

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