【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

1-01 プロローグ/英司

エピソードの総文字数=2,344文字

……zzz。
(……っ!)
 鈍い衝撃を感じて、山野英司は目を覚ました。
 電車が急停止したのだと分かるまでに、わずかな間があった。
 新宿から都下Y市に向かう東都線の支線。H市に向かう本線と分かれると乗客の数もぐっと減る。急行も各駅停車も関係なくすべての駅に停車するようになってローカル線の様相を呈していた。
 平日の午前中だったこともあり、その車内には乗客の姿はほとんどなかった。

ご乗車中のお客様にお知らせいたします。

信号の故障により、現在電車の運行を停止しています。

安全の確認が取れ次第、運転を再開いたします。ご迷惑をおかけしますが、発車までしばらくお待ちください。

(何か、夢を見ていたんだよな。子供のころの夢……だったような気がする)
 ぼんやりと放送を聞きながら、英司はそう思い出していた。
 どんな夢だったのかはっきりとは覚えていないが、額にじわっと脂汗が浮き出している。いい夢を見ていたとはとても言えない。
(寝不足のせいかもな……)
 昨日はインターネットのチャットルームに朝方までいて、ほとんど寝ていない。
 久しぶりに盛りあがったチャットは、

『俺、そろそろ出勤の用意しなきゃ』

 ……という参加者の言葉でお開きになった。

 チャットルームにいたのは毎度おなじみの連中ばかり7人で、大学生が半分、社会人が半分、というところ。オンラインゲーム『ミノタウロスの迷宮』が共通の趣味。ゲーム中にネット上で知り合った仲間だ。
 英司は今日は大学の授業もないし、バイトも休み。その気になれば一日寝ていたっていい身分だったが、他の連中はみんな眠い目をこすりながら大学や会社に行ったりしているはずだった。
……ふぅ。
 英司は伸びをしようと腰を上げた。固い椅子で手すりパイプに頭を預けて寝ていたせいで背中や首に軽い痛みがあった。

 窓の外に目を向けて、英司は今自分のいる場所がどこなのかを確認する。

大間だ……。
 身体がわずかに震えた。
 終着駅のY駅まであと3駅ほどで、駅間が長い場所だった。前後の駅は着々と開発が進み、車窓からの光景も家や商店が立ち並ぶものとなっている。それなのに、ここだけは取り残されたように沼地と藪しかない本来の姿をとどめていた。
 英司の住まいは中野区でこのあたりは生活圏ではなかったが、散歩気分でよくこの路線を利用するため窓の外の光景は見馴れたものだった。
 以前は、ここに大間という駅があった。
 現在使われている路線から少し離れた場所にかつての線路が枝分かれするように残り、駅舎が撤去されてプラットホームと数本の柱だけが残った大間駅跡へと続いている。
 駅前のロータリーがぼっかりと口をあけて、途中まで舗装された道路が藪に飲みこまれて行く光景があり、巨大な真四角の壁が視界を阻む場所で行き止まりになる。
 壁の向こうには、かつてひとつの街があった。
 英司が子供のころの数年を過ごした大間団地は、あの壁の向こうで静かに眠っている。
 10年前、英司が9歳のときに団地の崩壊事故が起こり、街は一夜にして消えた。

 大間団地はこの周辺の開発の先駆けだったと言ってもいい。全8棟の計画で17年前に開発が始まり、その2年後に英司の住んでいた1号棟が完成した。英司の家族は第1期入居家族のひとつだったのだ。
 事件が起こった10年前には3号棟までが完成して入居が完了しており、商店街や病院なども整備されていた。4号棟、5号棟も建設が始まろうとしていたところだった。
 大間駅は当時路線が伸びてきたばかりの東都線Y支線の終着駅で、巨大な団地と団地を東都線がつなぐ開発の構想が輝かしく掲げられていた。まだ沼地と藪しかなかった土地の値段が日に日に釣り上げられているさなかの崩壊事故だった。
 当時1号棟から3号棟には計176世帯、693人が住んでいたのだそうだ。
 深夜起こった崩壊事故で1号棟は完全に崩壊焼失、2号棟、3号棟も半壊し、300人以上の死者が出た。中でも1号棟の被害は甚大で、生き残ったのは50人足らず。その半数以上が乳児を含むこどもだった。
 巨大団地を襲った未曾有の惨劇は、集中豪雨のあとの大規模な地すべりをきっかけにガス爆発が起こり、火の手が上がったことが原因なのだと報じられた。しかし、当時から無謀な開発や手抜き工事が原因だとも囁かれ続けている。

 真相は不明だ。

 地すべりや建物の倒壊の畏れが懸念され、建設中だった4号棟と5号棟、まだ更地だった6号棟、7号棟、8号棟の建設予定地まで一切合財が高い壁に囲まれて立ち入り禁止となってしまったからだ。
 事故調査どころか、
行方不明者の捜索さえ完全には行われていない。
 現在もあの壁の向こうには、炎に焼かれた半壊の建物が撤去もできずに残されているはずだ。
 崩壊事故の後、英司は子供のない親戚の家に養子として引き取られ、現在も住んでいる中野区の家に引っ越した。
 その後は新しい父母に可愛がられて平穏に育ち……崩壊事故のことを思い出すことは滅多になかった。ただ時折こうして、車窓からかつて住んでいた場所を眺めたくなる。それだけだ。
 やがて英司の乗った電車は何事もなかったように発車した。車内放送は運行の不手際を事務的に謝罪し、残る3駅それぞれの5分遅れの到着時間を2度繰り返して終わった。
…………。
 だが英司はドアのそばに立ちすくんだままだった。大間駅あとにぽつんと残されたプラットホームに目を奪われていて、車内放送など耳に届いていなかった。
 プラットホームに残された柱の一本に錆だらけになった紺色のプレートが残っていて、角の丸い白文字で「おおま」という文字が読み取れる。
 その柱のそばに人影があった。
 遠ざかっている光景の中で、人影はじっと英司を見ているようだった。

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