ブラの名前

エピソードの総文字数=3,824文字

「さて、状況を整理しよう」
 める子の仕事場の一角で、会議用のイスに座りながら気楽は、室内にあったホワイトボードにいろいろ書き殴りながら、考えはじめた。
「二人でまともに話せるのは今日までだな」
「ええ、明日からはバラすにしても隠すにしててもメンバーの社員が出てくるわ。……とはいえ、あと一週間なんだから隠せる気はしないけど」
 それは激しく同意する。明日の出勤時点で、プロジェクトにかかわる社員たちには事情をバラさずにはいられないだろう、と気楽も覚悟している。
「それに、代替品を同時並行で作るなら、むしろ事情をちゃんと説明して急いで作業しなきゃならないんだもの」
 それもそうだ。いずれにしても、今日という時間さえ惜しいくらいだ。
 そのためにも、一刻も早く謎を解いてゆきたい。
「ところで、ライバルの会社が嫌がらせをしたりしている可能性は?」
 とにかく、聞いておきたいことや知っておきたいことはたくさんある。
「そうねえ、ライバル会社はいくつかあるけれど、うちに明確に対抗心があって、製品を当ててくるのは一社だけだわ。ニンフ・ニンフっていう妖精をモチーフにした下着メーカー」
「その会社も今度の東京コレクションに出してくるのか?」
「トウキョウこれくしょん??」
 める子が、きょとんとした顔つきになる。何かおかしなことを言ったのだろうか。
「東京コレクションに出すんじゃないわよ。一週間後にあるのは北区コレクション」
 は?なんだそれは。
「北区?北区だけなのか?」
 思わずそう言った。それをふふんと鼻で笑うめる子である。
「北区どころか相手は世界よ。同時ネット配信で日本初のモードを盛り上げるの。今や世界の北区コレクションなのよ、通称キタコレ」
「キタコレ?!」
 冗談のような話だが、める子が言うには、すでにモード業界もネットが時代を牽引しつつあるらしい。ミラノやニューヨーク、パリなんか目じゃないわよ、これからは北区よ北区、アカバネとか世界でも通用するんだから、とめる子が胸を張るが、「絶対うそだ」と強く言えないのは気楽がそっち方面にまったく疎いからである。
「ま、まあキタコレでいいや。ニンフ・ニンフ社も、おなじイベントに製品を出してくるのか?」
「ええ、おそらくね。技術的にはうちといい勝負の製品を当ててくると思うわ。だからこそ、今回のコレクションで出遅れたら、世界は一気にあっちに流れてしまうかもしれないのよ」
 そりゃあ、大変だな。と他人事ながら今回の任務の重さを感じた。

 ずずず、とめる子が淹れてくれたコーヒーをすすりながら考える。
 果たして今回の一見は、ライバル会社による妨害工作なのだろうか。
 もちろん、その可能性がないとは言い切れないし、ニンフ・ニンフ社の名前が出たが、それ以外にも天下のヴィクトリー・ファッション社を目の敵にしている衣料メーカーがないとは言い切れない。
 しかし、そうなるとおかしな点も見え隠れする。
「なあ」
と、気楽はめる子に問いかけた。
「もし、おまえがニンフ・ニンフの新作下着を盗むなり、切り刻むなり、なにせ使いものにならないようにしたいとする」
「うん。したい。できるならそれもアリだわ」
 目を輝かせてテーブルから身を乗り出してくるめる子をまあまあ、と制しながら、
「そうしたいなら、今からその会社に乗り込んでいくわけだが、成功させるにはどうしたらいいかね」
と気楽は、ホワイトボードに項目を立てた。
『ライバル会社の製品を盗め!その方法は』
 それを見ながらめる子は、次々に思いついたことを叫ぶ。
「1、侵入する!」
「2、盗み出す!」
「3、匂いを嗅ぐ!」
「4、切り刻む!」
「5、やっぱりその前にいっぺんつけてみる!」
「6、持ち出して、公園で捨てる!」
 一応、彼女の意見を尊重してホワイトボードにもおなじ文言を書き入れるが、打ち止めになったあたりで気楽はこんなことを言った。匂いを嗅ぐは、絶対スルーだ。スルーしてやる、と決意を秘めて。そもそも新品じゃないか。匂いを嗅ぐ意味はまーったくない!
「まあ、ふつうに思いつくのはそんなとこだよな。でも、ここにはいろんな大きな壁が隠れてるんだ」
「どういうこと?」
「いいか?まず最初の侵入そのものにしても、表から堂々と入ってニンフ社がはいどうぞと安土を入れてくれるわけはない」
「そうよ。だから夜中に忍び込むのよ」
「オーケー、じゃあ実行は夜にしよう。鍵は開いてるのか?仮に警備員の目を盗んでビル内に入れたとして、どこにお目当てのお宝があるのか、わかるのかな?」
 それを聞いて、める子はちょっと考え込んでいたが、何かひらめいたらしい。
「そうだわ!私は用意周到でぬかりがないから、新作下着のありかをすでに知っているのよ!」
「はい?」
 そりゃ、なんともご都合主義だ、と気楽は思うが、まあ話を聞こうじゃないか。
「いい?事前にスパイを忍び込ませておいて、そいつから新作のありかを聞いておけばいいの!それならありかがわかるわ!」
 いやまあ、たしかに、それはそうかもしれないが。
 ……やっぱりこいつはアホかもしれない、と思いながら、気楽はおもむろにツッコミを入れる。
「いやいや、それならそいつが盗み出せばいいじゃないか。夜にわざわざ別人が侵入しなくても、仕事帰りにでもそのスパイが持って帰ればいい」
 あら?とさすがのアホでもすぐに気づいたらしく
「そうね、じゃあそこまでスパイに命じるわ」
とあっけらかんとしている。

 しかし、気楽としては、める子の回答は、意外にいい点をついていると思っていた。
「じゃあ、もう一度話を元に戻すが、この会社からミカエルを盗もうとすれば、わざわざ外部の人間が入って来ずとも、内部の人間にやらせるのが一番てっとりばやいということになる」
「ってことは!やっぱり内部犯行なのね」
「理論上はそうなる。そいつのボスが他社さんなのか、それとも自分の意志でやってるのかはともかく、なんらかの目的で内部の人間が犯行を行うのが最も合理的だ」
 そういうものの、果たしてそれで完璧な回答なのだろうか、とも思う。
「だが……」
 だが?なんなの?とめる子に聞き返されて、そのもやもやした感じに止まってしまった気楽は、困ったようにホワイトボードを見返した。
 そして、言う。
「ほら、見て見ろよ。仮に無事に盗み出し、新作ブラの性能も試しおえて、廃棄したとしよう」
「うん。あんた、いまあたしの下着姿想像したでしょ」
 ……いや、いまそこはいいから。
「なんで黙ってるのよ。あたしが試着したとこ……」
「いやいやいや、そこはとりあえずパスでいいから」
 必死で遮りながら、強引に気楽は話を続ける。
「いいか?捨てるとこまで成功してるのに、この流れで見て、聖書を置かなきゃならない必然性が全くないことに気付かないか?」
「あら、言われてみればそうね」
 確かにそのとおりなのだ。ライバル社のスパイであろうと、単なる裏切り者であろうと、新作ブラのミカエルを盗むということと、聖書を置くということには何の繋がりもないのだ。
 だとすれば、本当にこの事件の核心がブラにあるのかさえ疑わしくなってくる。
 ミカエルを盗むことすら、実は何かのカムフラージュで、聖書を誰かに見せつけることが真の目的だということだってあり得るわけだ。
「そうなると、この事件はとてつもなくやっかいだな。窃盗事件だけではなく、誰も死んじゃいないが聖書ダイイングメッセージ事件の2つもの事件が存在することになるからな」
 うーん、でもね、と合意しかねる顔をしてめる子は言った。
「仮にそうだとしても、あたしの立場では事件はひとつでいいのよ。要するにミカエルさえ帰ってくれば、キタコレには間に合うんだから」
 そりゃそうだ。と気楽は納得する。確かに俺は職業柄聖書がらみの点はかなり気になるが、める子からみればそれはどうでもいいこと、というのは得心がいく。
「それと、感情的にイヤなのは、さっきあんたが推理したように、ニンフ社のさしがねか、単なる嫌がらせかは別にして、うちのスタッフメンバーの中に、犯人がいる可能性が高いってことは、やっぱりショックだわ」
 める子の言葉は重い。これもまた正論で、自分たちの中に裏切り者がいることを直視しなくてはならないのだから、彼女の気持ちはいかほど辛いものがあるだろう、とも気楽は感じるのだった。
「まったく別の見立てだが、プロジェクトのメンバーではなく、この会社の他部署の社員なりが盗んでいった可能性はないのか?」
「それはないと願いたいものね。あたしのことを仮に誰かが恨んでいて、嫌がらせをしているとしても、この仕事をやってる人間ならみんなに迷惑がかかることだから、新製品をダメにしちゃうようなやり方はサイテーだわ。それに、そうだとしたらこのフロアに入れる鍵がないもの。マスターをどこかからか取ってきたなら別だけど」
「なるほど。可能性としては後回しってことだな」
 現時点では、何一つ解決していない。しかし、時間は刻々と過ぎてゆく。
 すでに傾き始めた窓の外の夕日に目をやる。明日までに、策を練らなくてはならないのだ。
「顔でも洗ってくるわ」
 そう言って、やるせない気持ちで、気楽は立ち上がった。

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