【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-18 白い花

エピソードの総文字数=4,710文字

果歩ちゃん、どうしたんです? ひとりですか?
のろのろと歩いてくる果歩に、最初に気づいたのは茂だった。
…………。
 声をかけられて、果歩は驚いて顔を上げた。ソファを挟んで2メートルくらいの距離に彼らがいることに、初めて気づいたという様子だった。

 果歩はその場に立ち止まったまま、じっと茂を見つめた。由宇の兄だと思うが、自信が持てなかった。なぜここにいるのかも納得がいかないという気がした。それから英司、さらに床に座り込んでいる小霧へと視線を移していく。

 あまりにも不自然な取り合わせだ。

…………。
 状況が、さっぱり飲み込めない。

 手にはまだ食べかけの赤飯おにぎりを持ったままだった。思い出したようにそれを一口かじって、果歩は茂たちのいるほうではなく、ホールから出る廊下のほうへ歩き始める。ホールの中央部分に開いた天井の穴からの光もそこまでは届かず、廊下は今も薄暗い。

 だが果歩は、そんなことはお構いなしにのろのろと歩みを進めていった。

おい、果歩。篤志さんはどうしたんだよ?
 英司も声をかけた。

 だが、果歩は立ち止まらない。

寝るって……。
 そう一言、言っただけだ。

 その口調が、少し震えている。

おい、ひとりでふらふらするなよ、果歩。

果ー歩ーちゃん?

 もう一度声をかけたが、返事はなかった。

 果歩の姿は廊下の壁に阻まれて、もう英司からは見えない。

しょうがないヤツだな……。
え、追いかけるつもりですか?
 立ち上がった英司に、茂は意外そうな表情を見せた。

 言葉尻に、「やめといたほうがいい」と言いたげな含みがたっぷりだ。

だって危ないだろ、ひとりでうろうろさせといたら……。
それは確かにそうですが……。

でも、泣いてたみたいじゃないですか。

(英司くんが一緒にいたって、別に安全じゃないと思うけど……さすがにそこまでは言えないですよね。実力が伴っていなくても、英司くんは英司くんなりに果歩ちゃんを守ろうとしているみたいだし……)
やっぱりさ、あんたもそう思う?
えっ、何がです?
 一瞬、考えを見透かされたのかと驚いた。

 ……が、英司はまだ果歩の歩いていった廊下のほうを見つめたままだ。

泣いてたみたいだって、あんたが言ったんじゃないか。
あ……ああ、そのことですか。

こんな状況です。女の子が泣き出したからって、別に……。

あいつが何か言ったんじゃないのか? 果歩を泣かすようなことをさ。
篤志がですか……?

んー、まあそうだったとしてもあまり不思議はないかもしれませんが……。

ずいぶん素っ気ない言いかただな。

そんな人じゃありませんよ、とか、そういうフォローないの?

 英司は毒づいた。

 こんな状況なのだ。少しくらい安心できる材料をくれたって良さそうなものなのに……。

篤志はもともと細かい気配りのできるタイプではありませんし、女性や子供と話をするのは大の苦手ですよ。それ以上に、女性や子供にとっても良い話し相手ではないでしょうね。短気だし、言葉も荒っぽくて……。
やめて……。どんどん不安になってくっから。
私は事実を言っているだけです。
ええとさ……。

あんた、あいつの友達なんじゃないの?

まあ別に私は女性でも子供でもありませんからね。チンピラ顔でちょっとくらい凄まれたからって、別にどうということは。私の半分は……つまり、福島茂は篤志と友人関係にあるわけですし。

――ですが得体が知れないという意味では、私にとっては篤志も、果歩ちゃんやあなたも変わりません。

……。
 英司はちょっと考え込み、それからどさりとソファに腰を落とした。
結局……放っておくんですか?
え。ああ……うーん。

こういうときって、どうすべき? ひとりにしといたほうがいいの?

私に聞かないでくださいよ。

どっちでも、好きにしたらいいじゃないですか。

最初に止めたのアンタだろっっっ!
どっちも行かないなら、俺が行こうか?
どっからそういう発想出てくんだよ。

おまえがいるから果歩は向こうに行ったんだろうが。

 英司が毒づき、床に座り込んでいる小霧に軽く蹴りを入れた。
ああ、そう言えばそうですよね。
 茂がいまさらのように納得して大きく頷く。

 その言葉通りのことを心底思っているらしいあたりに、英司はどっと不安が押し寄せてくるのを感じた。

え、なにその鈍さ……。
考えてもみませんでしたが、有り得る話ですよね。


勘弁してよ……。
 英司は盛大にため息を洩らした。

 このわけのわからない状態で、茂の……というか、威月の情報は命綱といっても過言ではない。

 だがこういう反応を見てしまうと、その茂でさえ状況を把握できてはいないのだと思い知らされる。

ずっと寝てたし、あんたの説明も聞いてない。

俺たち以上に果歩は状況理解できてないと思うんだよな。

年頃の女の子が、得体の知れない場所で得体の知れない男たちに囲まれて目を覚ましたって考えたら、むしろありえないほど落ち着いてるっていうか……。

あの水狐を操っていた小霧に、警戒心を抱くのも当然……ですか。
 あれがゲームで、すでにゲームオーバーとなった小霧は害のない存在だ……ということも、果歩は理解していないのだろう。

 いや、理解したとしても小霧に対して抱く感情は変わらないかもしれない。

 そもそも果歩が王牙を呼んだのは小霧を倒すためなのだ。

おまえって、悩むポーズまでキメてんだな、威月。

やめとけよ。あんなちっこい女の子に優しくとか、そーいうキャラじゃないじゃん。

 小霧は茂と英司のやりとりを興味深そうに眺めていたが、そう笑って茶々を入れた。

 別に本気で果歩のところへ行こうと思っていたわけではない。

 だが、威月があんな子供の扱いに頭を悩ませているのが可笑しくてしょうがなかった。小霧の知る限り、威月という妖怪は相手が男でも女でも常にクール。決して深く付き合おうとはしなかった。人間の身体に〈滞在〉することになったからといって、こうまで性格が変わるものだとは思ってもみなかった。

(福島茂って、よっぽどおせっかいなやつだったのか……。それとも案外、威月って果歩みたいなのが好みのタイプだったとか?)

 そう深読みをせずにはいられなかった。

 ついちょっかいを出したくなるのも、そのせいだ。
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あの虎の絵、ずっと前に見た。

ここを走ったこともある……。

 果歩はおにぎりをかじりながら長い廊下を進んでいた。

 崩れてきた土砂に半ば埋もれていたが、ところどころペパーミントグリーンの床材が覗き見えている。その色が、おぼろげな記憶を蘇らせる。ここを走ったとき、誰かが追いかけてきて果歩をホールに連れ戻そうとした。

 そのことを……かすかに覚えている。

あれは誰だったんだろう。

英司? あっちゃん?

走ってたのは、ホントに〈果歩〉だったっけ……?

 廊下の先に何があったのかは思い出せない。

 なぜここを走ったのかも……。

 こわかったからかもしれない。例えばホールにある虎の絵が。それともあのお伽話が……?

 あるいはただ遊んでいただけだろうか。

 鬼ごっこのように〈誰か〉に捕まらないように逃げる……遊び?

このおにぎり……甘い?
 口の中にあるのは赤飯の米粒なのに、まるでチューイングガムを噛んでいるときのように甘く感じられた。味……ではない。甘い匂いが口や鼻の奥に満ちているのだ。
なんで……。
 不思議に思って周囲を見回した。

 薄暗くてはっきりとは見えないが、あたりにも同じ匂いが立ち込めていた。足を進めるたびにその匂いも濃くなっていく。


こっちに……何かある?
 甘い匂いに誘われるように、果歩はさらに廊下を進んだ。

 だがほんの数歩進んだだけで、床の状態ががらりと変わった。

 崩壊事故のときの地すべりは廊下の突き当りから襲ってきたのだろう。床は途中から沈み込んで斜めに傾き、途中で途切れて水没していた。

 地下水なのか、破れた水道管から漏れた水かはわからないが、廊下は途中から池のように深い水たまりになっていた。天井のひび割れから幾筋かの光がもれて、案外に透き通った水の底へと射し込んでいる。水の底には、苔に覆い尽くされた土砂や、壁の破片が沈んでいて、そのいくつかは飛び石のように水面から突き出していた。

 壁の右手にはすらりと窓が並んでいたが、すべて埋もれてしまっている。破れたガラスの向こうから露出した土砂に雑草が生い茂っていた。

…………。
 果歩はその箱庭のような光景に見入っていた。

 淡い金茶色の蔓が数本、窓から水の中に垂れ下がっている。ハートの形をした葉が、次第に小さくなっていくのを数えるように見下ろしていき、果歩は水面に触れるあたりにある白い花へと視線を移した。

 天井からもれる光のせいか、その花弁は淡く発光しているように見える。

……。
 果歩はローファーとソックスを脱いで、水の中に足を一歩踏み入れた。水がひんやりと冷たい。淀んだ水底のぬるっとした嫌な感触を足裏に感じた。甘い匂いは、いっそう強くなっている。

 水面から突き出た壁の破片に、2歩目を踏み出す。

 果歩が足をかけたとき、足場は少し揺れて水底から沈殿していた砂を巻き上げた。3歩目の足場はまた水没していたが、4歩目の足場に上手く飛び移ることができれば、その花に手が届きそうだった。

 持っていたおにぎりを口にくわえて、果歩は勢いをつけて4歩目の足場に着地した。

 風もないのに蔓が揺れたのはそのときだった。

……。
 果歩はたじろいだ。

 だがそのときにはもう、しなる鞭のような音を立てて飛びかかってきた蔓が果歩の手を捕らえていた。蔓はまるで生き物のようにうごめきながら果歩の手首に巻きついていく。

 バランスを保つことができず、果歩の片足がずるっと水の中へ滑り落ちる。蔓はまだ動きを止めていなかった。果歩の腕を締め上げながら、這い登ってくる。ふと気づけば、手首だけでなく、足にも、胴体にも、首にまで何本もの蔓がとりついている。

あ、あ…………。
 驚きのあまり、言葉が出なかった。

 果歩が今や膝まで浸かったその水面に、ひとりの男が立っているのだ。

 背の高い男。淡い金色の髪がまっすぐ水に落ち、その髪のあいだから金茶色の蔓が延びていた。

 蔓は果歩の首をひとまわりして、じわじわと締め上げながら水の中へと引きずり込もうとしていた。水の冷たさに身震いしながら、果歩は水面に立っている男の姿から目が離せなかった。

 その男の頭部に、大人の親指ほどの小さな角が生えていたからだ。

(ユニコーン……みたいだ)
 男がゆらりと動き、水面に膝をついた。じっと果歩を見下ろしている目は、まるで感情のすべてを拭い去ったように表情がない。あの魔界の水が形作った小霧と……同じだ。

 なす術もなく水の中に引き込まれた果歩は、自分の口から溢れ出してくるあぶくの向こうに角のある男の姿を見上げていた。

 息苦しい。

 口いっぱいに水が流れ込んできている。

 あの甘い花の匂いがまた強く香っていた。

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果歩……?
 30分以上経っても。。果歩はもどってこなかった。

 英司もさすがに心配になって探しにきたのだ。

おい、無事か……? 果歩、どこにいるんだ。
 水没した廊下の一番奥。その水際に立って、英司は薄暗がりを見回した。

 果歩の姿はどこにもない。

 天井から漏れる青白いマーカーの光に照らされている水たまりの光景に、英司は目を凝らした。もはや広がりきって消える寸前……と見える同心円状の波紋に縁取られて、一輪の白い花が浮かんでいる。

何があったんだ……。
 廊下全体に、甘い匂いが充満している。

 その白い花のすぐそばに、さっき果歩が持っていた食べかけの赤飯おにぎりが沈んでいた。

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