ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

2-7. 浪人ですが東インド会社に就職しました

エピソードの総文字数=4,805文字

 魔法の杖。

 魔法使いならば、杖を持つものと相場が決まっている。魔女ならば箒でも構わない。魔術を扱う触媒であり、敵を退けるための剣でもある。

 伊織介は、それ(・・)だった。

 魔女の杖。魔女の道具。魔女の使い魔。魔女の奴隷。

 それは「お前は喋る人形に過ぎない」という宣言と同義だ。なるほど奴隷とは主人の所有物に過ぎない。その意味では、確かに伊織介は道具である。
 
 ル=ウは、殖肉の魔法を扱う魔女だった。ならば、その魔法の杖も肉人形であるのは道理だろう。
 しかしだからこそ、伊織介は思う。

 ――どうせなら、もうちょっと格好いい魔法使いの奴隷が良かった。

 正直に言って。魔法の杖(伊織介)から黒い腕をにょろにょろと生やす魔術は、グロいし、キモいし、かっこわるい。


     * * *


「父と子と、聖霊の御名によりて」

 ル=ウの食前の祈りが響くと、伊織介の腹を支点に伸びる巨大な顎が馬來鬼(ペナンガラン)の胎内に齧り付く。その牙は容易に肉を切り裂き、食いちぎり、あっという間に馬來鬼の核である女首を口内に納めてしまった。

「――Amen(いただきます).」

 ばくん、と音を立てて顎が閉じられる。口の中から微かに女の叫び声が聴こえたような気がしたが、すぐに静かになった。ぐちゃぐちゃと、気持ちの良くない咀嚼音だけが虚しく響く。

 腹部にあった〝本当の頭〟を失った馬來鬼(ペナンガラン)の身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。もともと無数の臓物の集合体であったその身体は、力が失われた傍から急速に(ほど)けていく。一体何人分の内臓を束ねていたのか、びちゃびちゃとだらしなく四方に臓器が落ちて、猛烈な臭いを発した。最終的にそこには、臓物が折り重なった真っ赤な山が出来上がる。数瞬前までは化物の体を成し、人を喰らっていたとは思えない、あっけない最期だった。

「……なん……だこれ」

 伊織介は内臓の山を前にして、ぺたんとその場に尻餅をつく。
 馬來鬼(ペナンガラン)の首を飲み込んだ黒い顎は、するすると伊織介の腹の中に戻っていく(・・・・・)。どう見ても伊織介の身体より大きかった筈の顎だが、まるで水に溶けるかのように消えてしまった。それは影も形もなくなって、ただ破けた上衣(ダブレット)だけがその痕跡を残している。

「なんだよこれぇ!」

 自分の身体から得体の知れないものが飛び出して、あまつさえ化物を食らった挙句、再び自分の腹の中に戻ってしまったのだ。文句の一つも言いたくなる。

「わたしの話を聞いていなかったのか? これがわたしの魔法だよ」

 涼しい顔でル=ウが答える。彼女は平然と臓物の山に手を突っ込んで、いくつかの臓器を検分していた。
「いや、だって! 僕の、お腹が!」
「落ち着けよイオリ。イオリの身体は魔法の触媒……具体的に言えば、わたしの魔法の発生点(アクセスポイント)なんだよ。だからほら、こんなふうに」
 ル=ウは伊織介の前にしゃがむと、つん、と額を指で突いた。

 ――瞬間、伊織介の股間が盛り上がる。
「うわあああああ!!」
 ずばん! と音と立てて下衣(ブリーチ)を突き破って出てきたのは、人間の腕(・・・・)だった。肘から先の二の腕が、伊織介の股間に屹立している。ただしその皮膚は真っ黒ではなく、滑らかな白い肌をしていた。よく見れば指も手首も細く、まるでル=ウの腕そのものだ。
「伊織介の身体なら、どこからでも腕を生やすことができる」
 ル=ウの言葉とともに、股間の腕が親指を立てて見せた。

「ぶっ」
 ふと後ろを振り返ると、フランセットが震えていた。自身の膝を叩いてどうにか声を上げることだけは抑えているものの、俯いて全身をぶるぶると震わせて笑いを堪えているのが見え見えである。よほど〝股間に生えた腕〟という絵面が気に入ったらしい。その震えは暫く収まりそうになかった。

「ひどい」

 勝利の余韻もクソもない。伊織介は呆然として、そう呟くしかなかった。

「とてもひどい」

 魔女の奴隷……想像していたものとは違う。ぜんぜん違う。魔女の奴隷というのだから、もっとこう邪悪で凄惨な儀式の生贄にされたり、無茶苦茶な条件の労働をさせられたり、そういうのを想像していた、筈だった。しかし実際は違った。少なくともル=ウの奴隷は違った。あまりにも素っ頓狂でばかばかしく、どうしようもなく卑猥で、それでいてあんまりにも悪辣だ。伊織介は、己の数奇な運命を呪った。

 あと、どうせ股間に生やすなら、せめて男性器を元に戻して欲しいと切に思った。悲しいかな、股間の腕が消えた後は、再び伊織介の股座はのっぺりとした皮膚に戻ってしまっていた。


     * * *


 その後の処理は迅速だった。事前にル=ウが東インド会社(リチャードソン)から借り受けていた十数人の兵士たちが箱や樽を持って駆け付けて、あっという間に臓物の山を片付けてしまう。

「こんなモノでも、欲しがる好事家は居るのである。いや、なかなか悪くない取引であったぞ」
 いつの間にか現場に駆けつけていた髭面の大男、リチャードソンはかんらからと笑った。
「コイツは高く売れるぞ、リチャードソン。わたしの見たところ――この馬來鬼(ペナンガラン)、相当に高度な魔術で編まれている」
 両腕を組んだル=ウが、運ばれていく箱を尻目に忌々しげに吐き捨てる。
「この混ぜ方――おそらくは、複数体の馬來鬼(ペナンガラン)を一つに混ぜ合わせたものだ。こんなえげつない魔術、ここいらの呪術師の仕業ではない」
「ほう……? それは厄介なことである。この化物めは、お嬢(ル=ウ)を狙って放たれたものであろう? それはつまり」
 リチャードソンが片眉を釣り上げて肩を竦めてみせた。いちいち芝居がかった男である。
「ああ。オランダ側に付いた魔術師がいる――それも、相当に腕の立つのが」
「ならば、魔女団(そちら)にとっては儲け話であろう。これからも頼りにしているのであるぞ、お嬢」
 リチャードソンの言葉に、ル=ウは黙って複雑な表情を返すだけだった。


「大丈夫ですか? イオリノスケさん」
 へたり込んだままの伊織介に手を差し伸べたのは、十字架を背負った金髪碧眼の女――フランであった。
「先程はばたばたしていましたので、改めて……フランセット・ド・ラ・ヴァレットですわ。解呪師(カニングフォーク)をしております」
「あ、ご丁寧にどうも……」
「今は故あって魔女団(カヴン)の一員ですわ。以後、お見知りおきを」
 フランはしずしずとスカートの裾を引き、膝を曲げて挨拶(カーテシー)した。所作は上品そのものだが、顔面は血塗れで、未だにぼたぼたと額から血が噴き出している。そんな有様で完璧なお辞儀をするものだから、はっきり言って不気味な迫力しか感じない。
「ははは……」
 乾いた愛想笑いしか出てこない。伊織介からしてみれば、はっきり言ってドン引きである。ついでに言えば、破れた衣服からやっぱりおっぱいがはみ出ている。本当に勘弁して欲しい。

「コラ。尻穴(アナル)ガバガバ修道女(シスター)

 すぱん、と良い音が鳴った。ル=ウがフランの尻を平手打ちしたのだった。
「ガバ……ッ! そんなに酷使してませんわ!」
「黙れ。乳がはみ出ている。しまえ」
「おっと失礼しましたわ」
 余った布を引っ張って、フランはどうにか胸を隠す。
「お前、血ィ出過ぎ。ケツからじゃないぞ、顔からだ」
「マジですの?」
「マジだ。どうにかしろ。いくらお前が頑丈でも、はっきり言ってかなり怖いぞ」
「……せっかくのお化粧が崩れてしまいましたわ! お先に失礼しますの!」
 お化粧とかそういうレベルじゃないくらい顔面を真っ赤に染めた彼女は、恥じらいながらその場を後にした。巨大な十字架を日傘のように軽々と背負い、優雅な所作の早歩きで去っていく。

「魔女ってあんな人ばかりなんですか……」
 思わず伊織介の口から疑問が漏れる。
「安心しろ、イオリ。アイツ(フラン)魔女団(うち)の最底辺だ。アレに慣れれば、後はどうということはない」
 そう言うル=ウは、相変わらずの裸マントである。伊織介は釈然としないものを感じるも、飲み込むしか無かった。

 そろそろ空も白み始めていた。混沌の街マスリパトナムの夜がもうすぐ明ける。
 少しずつ照らされる街並みは、白や黄土色をした見たこともない様式の建物ばかり。背の低い建物が立ち並ぶ市街が港までずっと広がっていて、遠く海には幾隻もの巨大な船が停泊しているのが見える。既に港方面では、早朝から起き出した人々が忙しなく動き始めていて、その活気を伺わせる。さきほどまで化物が暴れていた街とは到底思えない豊かな街の姿が、そこには在った。

「さて、イオリ。改めて説明しようじゃないか。忙しくなるぞ、イオリにも大いに働いてもらうからな」
 街並みに見とれかけた伊織介を、ル=ウが肘で小突く。隣に並ぶと、やはり伊織介よりル=ウの方が僅かに背が高い。己の主人ではあるが、しかしなんとなく見下されているようで、伊織介は内心、少し悔しかった。
「大丈夫大丈夫。わたしは優しい。下僕のイオリにだって、ちゃーんと給金(おこづかい)を出してやる。安心しろ、魔女団(カヴン)の後ろ盾はあの英国(イングランド)東インド会社だ。金払いは良いぞ」
 そんな伊織介の表情を勘違いしたのか、ル=ウが給料の話を持ち出した。奴隷といっても、私財を蓄えて自分の身分を買い戻す者もいる。それはオランダの奴隷になったときから、伊織介の希望だった。
「会社が……後ろ盾、ですか?」
「ああ、その辺は説明するとややこしいんだが――有り体に言えば、今の魔女団(うち)は東インド会社の傘下にあるようなものだ」

 実際のところ、英国(イングランド)東インド会社は、東方における貿易を独占する権利を国王から得ていた。海賊や違法商人を除けば、英国人として東方で商売をしたければ、何らかの形で東インド会社に関わらざるを得ない、というのが英国商人の実情だった――魔女の癖に、法を守って商売するというのも妙な話ではあるが。とはいえそれは、魔女狩りによって西欧(こきょう)を追われた彼女たちの、精一杯の処世術でもあった。

「そういう訳で……形式上ではあるが。ようこそ、英国(イングランド)東インド会社へ」

 ル=ウが嬉しそうに顔を歪めながら、伊織介の肩を抱いた。
 その表情は、これまでのような悪辣なものではなく――いたずら友達ができたときの、少年の笑顔そのもので。

(こんな笑い方もできるんだ)

 ル=ウの顔立ちは、少々目つきがキツいきらいはあるものの、とても精悍で美しい。濡羽色に輝くような黒髪を振り乱して笑う彼女の笑顔に、つい魔女であることをすら忘れてしまいそうになる。

(あれっ)

 急に――伊織介の足元がふらつく。ル=ウの笑顔に魅了された、という訳ではない。ふらふらと身体の直立(バランス)が保てなくなって、徐々に視界が狭まっていく。

(……気が抜けちゃった、かな)

 稽古中に何度も体感したことのある感覚。父や師範の課すきつい鍛錬の後は、たいていこう(・・)だった。ル=ウの言葉が正しければ、伊織介の身体は魔女の肉で作り変えられている筈なのに――立ちくらみなんか起こることが、なんだか間抜けで、自嘲(わら)えてくる。

「……イオリ? おい、イオリ!」

 ル=ウの声に重なって、払暁に季節外れの秋虫(コオロギ)がころころと鳴いている。伊織介はその音に懐かしさを憶えながら、視界が黒く染まっていくのを眺めていた。

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