もしも敬虔な女子高生が〈神は死んだ〉のニーチェ作『ツァラトゥストラ』を読んだなら

『毒の調合者』

エピソードの総文字数=2,520文字

三人が読んでいるツァラトゥストラは三者三葉、それぞれの表現で、『超人』についての長広舌を振るっていた。


(いわ)く、

 超人は大地の意義である。あなたがたは意思の言葉としてこう言うべきである。超人が大地の意義であれと。

 兄弟たちよ、わたしはあなたがたに切願する、大地に忠実なれと。あなたがたは天上の希望を説く人々を信じてはならない。かれらこそ毒の調合者である。かれらがそれを知っていてもいなくても。

 彼らは生命を侮蔑している、ゆっくりと死んでいこうとしている、みずからも毒にあたっている、そして大地もこのような者どもに倦々(あきあき)しているのだ。この地上を去りたければ、去るがいいではないか。
 以前は、神を冒瀆(ぼうとく)することが最大の冒瀆だった。だが神は死んだ。と同時に、神を冒瀆する連中も死んだ。この地上を冒瀆することが、いまでは一番恐ろしいことなのだ! 究めつくせぬ者の内臓を、この地上の意味よりはるかに大事だと思うことが、一番恐ろしい。
などなど。
「ふえええ。なんだかすごい力説っ! してる感じはしますけど、また言ってる事がよくわからない感じ、かもです……。」
「たしかに力のある文章ですわよね。ただ内容がピンとこない感じかしら?」
「細かく読み取れば、そんなに難しい文章でもないがな。ひとみ君はどのあたりがわからないのだ?」
「ええっと、まず、『意思の言葉として』『超人が大地の意義であれ』と言うべき。ってのがよくわかりません。私の佐々木訳も同じような言葉だし……」
「そんな時はわたくしの丘沢訳がわかりやすくってよ」
「超人とは、この地上の意味のことだ。君たちの意思は、つぎのように言うべきだ。超人よ、この地上であれ、と!」
「あ、これならわかりやすい感じです。やっぱり意味はいまひとつわかんないですけど」

「そうだな、『大地の意義』というのは、この大地の持っている意義そのもの。というところだろうか。

 丘沢訳では『地上であれ』と省略されているぐらいだしな。

 超人とは、大地が持っている意義のようなものだ。と冒頭では言いたいのだろう」

「それを、自分の意思の言葉として言うべきだ。と言っているわけですわね」
「まわりくーどーいー。もっと簡単に言えばいいのにー」
「おそらくはこうやって文章を飾って恰好をつけているのさ。それよりも次の言葉はどうだ?」
「兄弟に切願してるやつですね。私たちには兄弟(ブラザー)じゃなくてシスターって言ってほしいところですけどー」
「まあまあ」
「大地に忠実なれ、はまあなんとなくわかりますが、その先はやっぱりまたわかりません……」
「このあたりは聖書への当てつけっぽいな」
「え? そうなんですか?」
「大地に忠実なれ、というのは、キリスト教でいうところの神に忠実であれ、主に忠実なれ、という言葉のパロディに見える。そして、このあとの節で言っていることを見ると……」
「『あなたがたは天上の希望を説く人々を信じてはならない。かれらこそ毒の調合者である。』ってところですわね」
「そう、この『天上の希望を説く人々』は誰の事かわかるかい?」
と、また ひとみにふる栞理先輩。
「ええっと……。天上の希望を説く? 天上って、たぶん天国のことですよね……天国の希望を説くって、もしかして……?」
「そう、ずばり、我らがキリスト教の教えだな、これは。

 それを説く人々を信じるな。そいつらこそ毒を調合していて、自らも毒に当たってるぞ。と言ってるわけだ」

「うっわー、ダメじゃないですかこれ。この本、いけない本です!」
「いけない本なんですってば」
「ふふふ、どんどんいけなくなっていくぞ。この先も。

 どうする? もうやめておくかい?」

数舜、迷っているふうなひとみであったが、軽く頭を振りって迷いを断ちか切ったのか、はっきりとこういった。
「い、いえ、がんばります!」

「よろしい。では続けよう。


 その彼らは『生命を侮蔑している』わけだ。

 この生命は『大地』につながる意味合いだろうな。天上界は死んでから行くところだから。キリスト教の教えを極端に意訳すると、『現世がたとえ貧乏でつらくとも、神に忠実に、清貧に頑張ったら死んで天国に行けて幸せになれますよ』ということだろう」

「身もふたもないですわね……」
「なので、死んだ先のことを説くものは毒の調合者なのだな。みずからも毒にあたっていて、ゆっくりと死んでいこうとしているわけだ。その教えに忠実ならば、死んだ先のほうが幸せなわけだから。

 そんな彼らには『この地上を去りたければ、去るがいいではないか。』とまで言っている」

「ほんっとにキリスト教キライなんですねこの人」
「ニーチェはもともとは熱心な信者だったそうよ」
「ああ、父親が牧師様。じいさまも、かな? 家ごと熱心な信徒だったらしいな」
「あそっか、本人が言ったことにできないからツァラトゥストラって二次元キャラに代弁させてるんですね」
「うーん、そ、そうなのか?」
「二次元かどうかはわかりませんけど」

「ともかく、地上の、大地に満ちる生命の意義が超人で、対する天上への意思が死にいたる毒ということはわかるだろう。

 そして、神が死ぬより前、『以前は、神を冒瀆(ぼうとく)することが最大の冒瀆だった。』が、今では『この地上を冒瀆することが、いまでは一番おそろしいこと』になったわけだ」

「ふはあー」
「どうなさいましたの? 変な声だしちゃって」

「ちょっと、ニーチェさんの毒にあたってます……」

「『究めつくせぬ者の内臓を、この地上の意味よりはるかに大事だと思うことが、一番恐ろしい。』

 『究めつくせぬ者』は、文脈からするとキリスト教や神の教えのことだろうか。それが地上の意味、つまり超人より大事と思うことが恐ろしく、冒涜的だ。といっているわけだな」

「ふへぇー」
「ひとみちゃん、お目々がぐるぐるしてましてよ」
「全体的に表現がきっついですよねー。たまにぐるぐるしちゃいます。でも……」
「でも?」
「それが、癖になっちゃいそう……」
「わかりますわ。この学校、あまり刺激ありませんものねえ」
「おいおい……」
妖しく笑う二人の目に妙な光を見たような気がして、若干心配になる栞理であった。


〈つづく〉

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