ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

2-1. 全裸マントと内臓鬼

エピソードの総文字数=2,437文字

 最も近縁たる異形を定義するならば。
 それは〝ペナンガラン〟と呼ばれる馬來(マライ)の吸血鬼が該当するだろう。

 首の下に胃袋と内臓をぶらさげた、空を飛ぶ女の首。
 夜な夜な首と内臓が、ずるりと身体から抜け出して、人の血を求めて宙を舞う。そういった、恐ろしくも慎ましやかな吸血鬼の伝承だ。

「こわぅるるるるるるるるル……」

 女の首。その下には内臓。その点において、そいつは確かにペナンガランの伝承に合致する。
 しかし、ぶら下げた内臓の量が尋常ではない。何百人分もの内臓の自重で、空を飛ぶことはままならず、身体を引きずるようにして動いている。

「へるけとままもりまきむまきむももめとらるぱらううまはらううまらはももるじくつるもこわりこわりつるも」
 
 腸を束ねて作られた触手が、女と伊織介を睨む。
 得物を見つけた歓喜だろうか。あるいは憎悪をぶつける前触れか。女首は、血走った目を眇めて、吼える。

「――こぉ・わ・りァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 咆哮。人の腕ほどに太く撚られた触手が、生臭い液を垂らしながらしなる。

「『伏せ』っ!」

 女が鋭く叫ぶ。
 瞬間、伊織介は自分が身を屈めるのを自覚した。
 頭の上を、猛烈な速度で触手が通過する。伊織介たちを叩き壊す筈だった触手は、代わりに棚ごと壁を叩き潰した。

「え、何が、どうなって」
「説明している時間は無いっ! 『持て』!」

 手渡されたものは、青貝散らしの鞘に据えられた小太刀。
 伊織介の愛刀だった。
「これって……」
 数寸ほど刃を覗かせて見れば、輝くほどに磨き上げられている。元服式で父に授けられたそのままの姿で、胸に懐かしさが去来する。

「何呆けてる、『来い』!」
 女は言って、さっきまで壁だった場所から部屋の外に駆け出す。
 夜風でマントがはためいて、白い尻が剥き出しになる。伊織介はその尻に向かって、誘われるように走り出す。
 外に出てみれば、そこは石造りの家屋が立ち並ぶ薄暗い街路だった。四方を見渡しても、伊織介には見慣れない光景で、そこが異国であることを意識させられる。
 
 どうやらあの内臓の化物は、図体がでかい分だけ動きは遅いらしい。あの部屋――外から見れば、それは煉瓦造りの粗末な小屋だった――から窮屈そうに這い出そうとしているのが見える。

「勿体無いが……喰らえっ!」
 女が麻袋から何かを取り出して、化物に向かって投擲する。
 それは化物の足元に落下し……しかし、何も起こらない。
「伏せろっ!」
 再び伊織介は地面に押し倒される。
 
 ――直後、爆音。火柱が上がる。
 
 ごうごうと、夜を明るく照らすほどの炎が、小屋だった場所から立ち上っていた。
「こァァァァァァァァァ……こァァァァァァァァァ……」
 炎に巻かれて、苦しげに化物が呻いている。
「ちっ……やはりこの程度では死なんか。ああ、高かったんだけどなぁ……わたしのコレクション……」
 身体についた埃を払いながら、女は立ち上がる。黒衣のマントは膝上程度の長さしかなく、悩ましい部分がちらちらと垣間見えた。
「仕方がない、迎え撃つぞ。まずは体勢を整える」
 色んな意味で呆気にとられる伊織介の手を引いて、女は早足で夜の街を駆けていった。

「そうだ、思いついたぞ!」
 足は止めずに、女は楽しげに声を上げる。
「イオリ! イオリノスケは良い響きだが、長い! だからお前のことは、イオリと呼んでやることに決めた。今決めた! わたしが決めた!」
 女の走りにスキップが混じる。跳ねる度にマントがめくれる。あんな化物に付け狙われているというのに、恐るべき豪胆さ――あるいは羞恥心のなさである。

「イオリ! わたしのイオリ……ふふ、悪くないな。東洋らしい響きもある」
「あの……」
「そうだな! 皆まで言うなイオリ! わたしの――イオリのご主人様の名前を教えてやる!」

 女は急に足を止めて、くるりと伊織介に向き直る。
 鼻がくっつきそうになるほど顔を近づけて、女は実に楽しげに、高らかに宣言する。
 

「我が名はル=ウ! ル=ウ・フィッツジェラルド! 『悪魔憑き(トランス)のル=ウ』『魔女団の主(ミストレス)』『創生する闇鍋(ロードカルデロン)』『黒髪冷鬼(フェイハラングイ)』『赫奕たる暴食(タラスク)』……いろいろと異名はあるが、此処ではこう名乗っている。――『船喰らいの魔女(メハシェファ)』のル=ウだ!」


      * * *


「ちなみに」

 ル=ウを名乗った女は、麻袋から何かを取り出す。
「余計なことを思いつかないうちに、首輪を見せておこうと思う」
 彼女が手に持っているものは、

「これが――わたしと。イオリの。絆だ」

 手に掲げているものは、どう見ても。
 有り体に言って、やや黒ずんだ肌色の棒。
 身も蓋も無く表現するならば、

 〝男性器〟

 に見える。

 男性器――の模型だろうか。それにしてはやけに造形が生々しい。
 それを手にもって得意げに胸を張るル=ウは、控えめに言って痴女にしか見えない。

(関わりたくないなぁ)
 と、伊織介がそろそろ深刻に逃亡を考えようとしたとき。
 ぎゅ、とル=ウを男性器を強く握った。ように見えた。
 瞬間、
「っっっっ痛ぁ!!」
 締め付けるような痛みが、伊織介の股間を襲う。

 嫌な予感。伊織介の背を、汗が伝う。

「ふ……確認してみるが良い。イオリ。自分の、ブリーチ(ズボン)のその中身を!」
 ル=ウはくつくつと肩を震わせている。
 言われた通り、慌ててイオリは己の下衣(ブリーチ)を覗き込む。
「嘘だ……嘘だ! そんな、そんな莫迦なことがある訳が……」

 そう、ある訳が無かった。

 伊織介の股間には。本来あるべきものが。
 男性器(ちんちん)が、無くなっていた。

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