『みじょかもんの祈り ー 心の貧しい人は幸い? ー』

02. 「教育現場から。」

エピソードの総文字数=2,677文字

校長先生との面接の時、病気のことを正直に話した。
そのために、中途退職したこと。

介護福祉士の資格を取るために学校に通っていることも。

何を経験し、何を学んだかも話した。
有り難いことに、校長先生は、理解を示して下さった。

「介護で得た奉仕の心などを、本校で教えて下さい」。
数日後、採用の連絡をいただいた。

ただ、介護福祉士を目指して2年間お世話になったのに、ハローワークにも、専門学校の先生にも申し訳なかった。

頭を下げた。

「大丈夫です。就職先が見つかったことが何よりですから。」
有難い言葉をいただいた。

もう一度、介護で学んだ経験や知識を活かして、人生をやり直そうと思った。

ーー そして、現在。

採用されてから、すぐ‥‥

学校の経営と人事が大きく変わった‥‥。

校長先生や事務長など管理職が解雇されてしまった。
親身になって話を聞いて下さった校長先生は現場を去ってしまった。
こういうことは、私立であったりする。

以後、4年間勤めたが、契約の更新はいただけなかった。

結局、私の人生は、揺れたまま。
不安定なままだった。

現在まで、潰瘍性大腸炎とは、仲良く付き合っている。
薬も随分良くなった。
毎年、内視鏡検査している。

しかし、ストレスを感じると、とんでもなく痛みが出る。
第二の脳と言われる大腸。
良くも悪くも、心の動きと一緒に、腸も動いてくれる。

つらく、塞ぎ込みそうな時、思い出す「みじょかもんの姿」。
Fさんの祈りの姿。

祈る姿は何も語らないが、「人間、誰しも神に認められた存在」であることを教えてくれる。

解雇が決まった年、不思議なことに恐れはなかった。

ーーーー「生きていれば、何とかなる」。
そう思えるようになったのも、あの2年間で出会った人々との経験からだ。

「今年度中に就職、決まらないかな‥‥」。
と思っていた3月の末。

あと数日で年度が終わろうとしていた時、関西の学校から電話が掛かってきた。

そして、2017年現在、関西で執筆している。

だからと言って、これで自分の人生が安定したわけではない。
次に何が起こるか分からないのは、今までと何ら変わっていない。

それなら、恐れず、前へ進もうではないか。
その時、与えられた試練を。

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偉そうではありますが、自分の経験から以下のことを読んでいただければ幸いです。

「今、現在、何かで苦しんでいる人へ」

どん底にあって気分が沈み、生きていくのが辛い方。
誰からも見放されて心と体の感覚が麻痺している方。

人間関係で苦しむ方は、自己否定されて立ち直れないのかもしれません。

勤務時間が長く、過重な仕事を任せられているのかもしれません。

何かを成し遂げないのに、うまくいかない人がいるのかもしれません。

自分の置かれた場所に、不満を持ち、納得できない方もいることでしょう。

もし、必死で頑張って、やるだけやっても無理そうな時
逃げられるのであれば、逃げて下さい。

今思っていること、実現したいと思うことは、あなたのこだわりなのでしょう。
あなたの思い通りのプランがあり、その順序でしか物事は進まないと思っていることでしょう。

でも、それが全てであるとは限りません。
遠回りする道も用意されている場合があるのです。

もし、逃げたとしても、あなたのその場所が「神から置かれた場」であることは、間違いないと思います。

「神は乗り越えられない試練を人には与えない」(コリントの信徒への手紙)

試練とは何か。
それは、自身のプライドから来るものではないでしょうか。

自分が他者から、どう思われているか。
誰かに認めてもらいたい。
誰かに認めてもらえない。

私の苦しみの根源は、そこでした。

あの体験から私は「幸せの片鱗」は、この自己承認欲求からの解放であることを学びました。
「幸せになりたい」と思っていれば、全く違う方法で神は試練を与えるようです。
私は、色んな方との出会いから学ばせていただきました。

今、苦しみにある人は、チャンスなのかもしれません。
あなたが手に入れたいものは、もうすぐ掴めるはずです。
ただ、それは、目に見えるものとは限りません。

富、名声、健康。

私が遠回りして得たこと、それは、ある高齢者の「みじょかもんの祈り。」の姿でした。
彼女の姿は、これから生きる私にとって、大きな力となるようです。

認められようとばかり、考えていた私に、「私は、すでに認められている存在」であることを教えられました。
それは、個人的な体験ですが、この世の中の人、全ての人を見つめられる絶対的存在の姿を感じました。

自分より、身体的には小さい女性に、「私自身の精神的小ささ」を突きつけられたような気がしました。
世の中には、もっと大事なことがあるのではないかと思います。

ただ、少しの行動が必要です。
時に、逃げるのも行動の一つです。
しかし、それだけではダメのようです。

社会に認められなくても、絶対的な存在である神は、すでに私という存在を認めて下さっているのだなと思います。
それだけでも、満足できれば、とても幸せなのかもしれません。

ーーーー 終わり ーーーー

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