リリーの微笑み

始まりの鐘

エピソードの総文字数=1,601文字

 静謐な空間に響き渡る鐘の音。
 祭壇の奥に鎮座している荘厳な十字架と、その背後から射し込む金色の光があらゆる穢れを浄化するかの如く、優しい輝きを放っている。
 入堂した司祭を信徒たちの『入祭の歌』が温かく迎え、大聖堂はパイプオルガンと人間の織りなす旋律によって、さらに清められていく。
 その神秘的な空気に取り囲まれた俺は助けを求めるようにして、すぐそばで忌憚なく歌う碧眼の少女へ目を向ける……。
 穏やかに波打つ金髪は黒色のリボンで合流し、後頭部から白色の首すじにかけて一本に流れている。顔は少し丸みを帯びており、そこから感じる幼さは彼女の年齢につり合うものだろう。ピンク色の唇を大きく動かして、たびたび笑窪を出現させている姿は天使のように愛らしい。
 社会の荒波に揉まれ、捻くれ、愛想を失ってしまった者に安らぎを与えてくれる。
 俺が彼女に見惚れている中――音が止んだ――。視線を祭壇の方へ移すと、格調高い祭服を纏った男性がその顔を会衆に向けている。いよいよだ。
 司祭は、十字を切りながら異国のイントネーションで発声する。
「父と子と聖霊の、み名によって――」
 会衆も同じように十字を切り、「――アーメン」と言って手の平を合わす。
「主、イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に――」
「――また、司祭と共に」
 短い挨拶が交わされ、それが終わると次は『悔い改めの祈り』を捧ぐ。
 自らの罪を全能の神と兄弟たちの前で認め、主に許しを請うのだ。そして、永遠の命に導いていただくために信徒たちは――。
 パイプオルガンが鳴り響き、ミサ曲の『あわれみの賛歌』と『栄光の賛歌』が立て続けに唱えられる。当然、俺は歌えるはずもないので再び助けを求めるべく、かたわらにいる天使に目を遣る……。
 小さな手でミサ曲集を持って、小鳥のように鳴いている――誰かに癒されるのは何カ月ぶりだろうか――。さらなる癒しを求めて野鳥観察にのめり込む。
 ちなみに、式の中でたびたび耳にする「アーメン」とは、同意、願望、誓いなどを意味しており、かなり重要視されているようだ。
 二曲の賛歌を歌い終えた後に続く『集会祈願』は、祈りと沈黙。そして司祭の先導のもとで唱える簡潔な文章。これらを通して神と向き合い<開祭の儀>は締め括られる。
 ここへ導かれる前、笑窪の少女から無理やり基礎知識を教え込まれていなければ、恐らく俺はこの時間のほとんどを野鳥観察に費やしていただろう。
 次は<ことばの典礼>。
 信徒であろう中年の男性が、マイクの置かれた朗読台で『旧約聖書』の音読を開始する。実直な俺は用意された本を開き、記載してある文章を渋い声に合わせて目で追っていく。これも何とかなると思ったが、ダメだった。
 渋い声のおじさんは正直、活舌がよろしくなく、聞き取りづらいけど――マイク、あるいはスピーカーのせいかもしれない――文字を追う分には問題ない。内容も今の所は理解できている。では、なぜダメかと言うと。このミサは日曜日の朝十時に開祭されたのだ。そして予習のため俺は、朝七時に召集されて笑窪の先生から説教を受けた。詰まるところ、眠いんです……。
 気づくと式は『答唱詩編』へ移行しており、会衆の『答唱』と代表者の『詩編』が交互に唱えられていた。――これには朗読された聖書の理解を深め、一同の積極性を促す目的があるとのこと――。
 暫くして、白髪のお婆さんが朗読台の座を引き継ぎ『使徒の書簡』を読み始めた……が……その巧みな話術は、皮肉なことに睡魔を助長するものだった。
 睡魔と、聖域内にいた刺客によって俺は、ゆっくり、眠りに誘われ――。





 
 正しい者の道は、夜明けの光のようだ。 いよいよ輝きを増して真昼となる。
                          (旧約聖書。箴言4:18)

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