『みじょかもんの祈り ー 心の貧しい人は幸い? ー』

はじめに。

エピソードの総文字数=1,718文字

これから描いていく話は、ただ今、四十おっさんの失敗談である。

2011年の夏の夕暮れ。
思いっきりため息をついていた。

「はぁぁ・・・・・・」

ベンチに座って地面の砂を見つめる。
アリが何匹も、ウロチョロウロチョロも動き回っている。
こんな小さな昆虫にも、役割があり、仕事があるんだ。
何だかうらやましい気分になった。

「・・・なんて自分は情けないんだろう。
我慢して、もっと踏ん張ってれば、頑張れたんじゃないのか?
・・・やっぱり、自分は、しょうもない人間なぁ。
軽率な判断だったよなぁ・・・。」

心の中のつぶやきを、何度も何度も反復し、止めることができない。

こんなことは、誰にも、言えない。
言ったとしても、分かってもらえないと思っていた。

この嘆きは1年前から繰り返してきた。
もう、日課のようなものだ。

こうやって、ネチネチして、割り切れていない自分にもウンザリしながら毎日を過ごしている・・・・。

ミーンミンミン ミーンミンミン。

顔を上げると、目の前は、とても綺麗な景色だ。
日曜の黄昏時、アパートの近くの公園のベンチに座る私。

ジャングルジムや砂場
そして、鉄棒やブランコに夕日があたり、反射した光が眩しい。

自分の周りでは、お父さんやお母さん、無邪気な多くの子供たちが駆けっこして遊んでいる。

怖がってるのか笑ってるのか分からない子供の「キャーキャーー」叫び声とセミの「ミーンミンミン」という鳴き声が一帯にひろがる。

自分と周りの人たちは、同じ時間を過ごしているのに、時間の質のようなものが違っている。
周りが幸せそうに見えて仕方ない。

しかし、それは瞬間的なもので、幸せな状態をうらやんだ次の瞬間には、自分のことばかり考える。
ただただ、自分の境遇が「不幸だ」ということばかり思考がいくのだ。

全く自分に自信を持っていない。

これまで、教師を10年近くやってきた。

なんだかんだ、嫌なことや苦しいことがあっても、なんとかやってきた。

しかし、離職してしまった。

「あの時、もっと根性があれば・・・」。

「挫折、失敗」という見えない事実が肩に重くのし掛かっていた。
大したことないのに、プライドだけは一人前だった。

今、私は長崎の専門学校に通っている。
自分より一回り以上離れている生徒と一緒に肩を並べ介護福祉士になるべく。

しかし、大丈夫だろうか。
介護福祉士の資格を取っても、就職できるのだろうか。
30半ばの男の再就職は、新卒とわけが違う。

こんな自分に、できるのだろうか。
自分の未来は、どうなってしまうのか。

未来に対して悲観的であった。
離職して、東京から長崎に帰ってくる途中、「死んだ方が楽じゃないか」とホテルの窓を見ながら思ったこともある。

最後の最後の命綱となったのは、幼い頃から言われてきた「罪」という言葉。
死んだら、「罪」になる。
自分は、不真面目ではあるがキリスト教の家庭に生まれた。

だけど、今現在、「神という存在」が信じられない。

「幸せになりたいから、生きる」というより、「不遜のまま死ぬと罪になる」から生きている。
ただ、引きずられるように。

今、この公園で、こうしているのは、離職してから1年半経っているのだ。
確実に、得てたものが、ある。

そして、この後も、あるのだ。
いや、この離職の最大の意義が、これから始まる介護福祉の中で出会うのだ。

しかし、まだ、この時は何も分かっていなかった。

私の文章を読み、お怒りの言葉もいただくことだと思う。

「世の中には、もっと、もっと苦労して大変な思いをしている人がいる」というご意見もあることだろう。

「お前の境遇は、まだまだ恵まれている」と言われるのも、もちろんだ。
しかし、私が述べていきたいのは、再起の仕方ではなく、心の持ち方の変化についてと、現在の介護の世界についてである。

「前を向いていれば、必ず道は拓ける」というのは、正しいと強く思う。

同じように離職で苦しむ方や、今の自分に満足できていない方に読んでいただければ幸いである。

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