地球革命アイドル学部

ビッグバンプロジェクト(6)

エピソードの総文字数=7,715文字

 今日の放課後は、自分の仕事を済ませたあとで校長室に呼ばれ、アイドル学部創設への切実な思いを打ち明けられ、帰宅時間が遅くなってしまっていた。学校や指導に何の熱意も持っていない俺は、いつもなら自分のタスクを片付ければ、そそくさと帰宅の途についているはずだったのに、今日ばかりは辺りはすっかり暗くなっている。

 そのため学校から自分の車で家に帰る途中、今日は近隣で最も大きいスーパーに寄っていこうと思い至った。女子高そばのスーパーのため、そこに立ち寄るとしばしば生徒たちに顔を合わせるから、普段なら避けていたスーパーである。ただしこの時間なら生徒たちと顔を合わせる可能性も低いし、半額セールにも期待できるはずだった。


 さっそくスーパーの駐車場に乗りつけ、なかに入りスーパーのカゴを手に取った。まずは肉売り場を物色し、鳥のもも肉をかごに投げ入れる。207グラム、税込219円の小さなものだが、野菜と一緒に焼いて食うなら十分だ。塩コショウで味付けするだけの男料理である。

 それから野菜売り場にて玉ねぎやもやしなどを適当にピックアップし、キノコ売り場方面に足を運ぶと……運悪く、うちの高校の制服を着た女生徒がシメジとなめ茸を両手に持ち、眺めているところだった。どちらを買うか迷っているのだろう。

 俺は見ていないフリを装い、さっさとブツだけ幾つかピックアップして去ってしまおうと考えた。どうせ向こうの女生徒だって、俺を見ても無視をするだけの可能性が高い。

 俺は特売のキノコ類でも買おうと売り場に近づくと、小柄のその女生徒がなんだかワナワナ震えているようだった。チラと見れば、もはや半額ですらない見切り品、ふにゃふにゃになったシメジとなめ茸を持って、それがまるで親の仇でもあるかのように凝視しているではないか。廃棄寸前なせいか、シメジとなめ茸は3パックづつがテープで巻かれてセットになっていて、値札は両方とも30円となっている。かなりお得なのだろうが、変な味がしそうだった。

 その女生徒の横顔におそるおそる視線を向けると……空手日本最強女子と謳われる特待生、九道姉妹の姉のほう――三年の九道円香(くどうまどか)


 俺がビッグバン発動を強要されたり、これだけ帰宅が遅くなってしまった原因そのものである。無双とか空手最強などという響きからはとても想像できないほっそりした体つきと可愛らしい横顔はギャップが大きいため、たしかにニュース性があり、報道したくなるのもうなずける。

 今一番関わりたくない相手だった。今日の特売になっていたマッシュルーム1パック89円だけカゴに入れ、さっさとその場を離れようと試みる。

 しかし殺気のような動物的直観を感じ、おそるおそる顔を上げた。すると九道円香が、なぜか俺に切実なまなざしを向けていた。

宗形先生ゴメンなさい……! 後生ですから、28円、どうかお貸し願えないでしょうか……?
 円香のそんな言葉を脳が処理するのに、約5秒ほどを要してしまった。
28円……?

そうすればこれが両方買えるんです。3パックが束になった見切り品シメジ30円と、これも3パックが束になった見切り品なめ茸30円……。こんなチャンスは、とんでもなくとてつもないんです。

 国語力が大いに欠如していることは把握した。実際、円香は学校の成績が非常に悪いことでも知られている。常に赤点で、ほぼ最下位を彷徨っており、特待生だからなんとか進級させてもらえているだけだった。

いっぱい何度も計算しました。消費税を合わせて64円なので、あと28円あれば足ります。

 二桁の算数は人並みにできるらしかった。

 小さな背丈にひときわ目立つ可愛らしい容姿は小動物のようで、その瞳をうるうると潤ませており、切実さが伝わってきた。そして、その美形に似合わずいつも色あせたボロボロの制服を着ていたので、廃棄直前のキノコを両手に握りしめている姿はなかなか哀愁を誘うものがある。今どき裁縫でツギハギを施した制服を着用している女子高生は、日本広しといえども九道姉妹だけなのではないか。制服は、おそらくどこからか中古を相当に安く手に入れ、2年と少々の期間ずっと同じものを着続けてきたのだろう。

ということはまさか……君の手持ちは36円……?

 円香はわざわざ財布を取り出し、俺に中を見せてきた。財布には札は一枚もなく、10円玉が2枚、5円玉が2枚、そして1円玉6枚が収められていた。円香の手持ちの全財産は、どうやら本当に36円らしかった。ちなみに財布は100円ショップで俺も見かけたことがあるもので、長年それを使い込んできたようだった。

どちらか一つなら買えますが、実は今日、妹が16歳になる誕生日なんです。だからせめて、今日ばかりは両方を買っていきたいんです。本当にこんな私でゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい。

 円香は謝罪の言葉を口にしながら猛烈な勢いで頭を下げまくった。

 いくら円香には色々と因縁があるといっても、このような相手にお金を恵む程度の情なら俺とて持ち合わせている。俺は財布から1000円札を引き抜き、円香に握らせようとした。

ほら、1000円だ。返さなくていいぞ。
せっ、1000円!? そんなに借入するわけにはいきません!
貸付じゃない。やるよ。

いわれのない大金をもらうなんて断固拒否です! これだけあれば一週間は豪華に暮らせますよ!? お塩以外の調味料も使えてしまいます。醤油や味噌が日常のテリトリーに……!

君が何を言っているのかよくわからないが、とにかくやるって。

ものすごくものすごすぎて無理です! こんな私でゴメンなさい!

どうしろっていうんだ。
28円をお貸しください、後生ですから!
なんだそれは……。1円玉なんてそう都合よく……。

 困惑しつつも俺は財布の小銭入れに目をやると、10円も5円も、懸案だった1円玉も見つかった。だから俺は28円を取り出して円香に手渡した。

圧倒的感謝です!

 そう言いながら円香は財布から名刺を取り出し、ポケットからはペンを取り出して、名刺の裏に何やら書き始めた。


28円を貸りました。ゴメンなさい。

西条女子高校 三年 九道円香

来週には、高校から毎月支給して頂いている2万円の特別給付金があります。家計は、うっかり者の私じゃなく、妹がやり繰りしてくれているんで、妹に確認してからすぐ返済いたします。私みたいなダメダメ人間のために、ホントにありがとうございました。

 円香は、それを俺に手渡そうとしてきた。「借」と「貸」を間違えているようだった。これでは貸借関係が真逆である。しばし受け取るのを躊躇していた俺だったが、円香は断固として差し出す手をひっこめなかった。しぶしぶ俺は名刺を受け取って、ひっくり返してみる。


九道道場

師範 九道円香


 書いてある文字はそれだけで、住所もない。筆で文字が大きく描かれた名刺だった。とても可愛らしい円香には似つかわしくない趣だ。

 よく見れば……名刺の角にはハサミの跡がある。

なんだこれ、お手製名刺か……?

 これは単に名刺サイズというだけで、画用紙を自分で切り、自分で筆を使って一つ一つ書いたオーダーメイドの名刺のようだった。こんなに涙ぐましい名刺を手にしたのは初めてだ。

道場の宣伝をしなくては教え子さんたちが増えないので、本当はチラシとか作りたいんですけど……とてもそんな高価なものには手を出せないので、妹と相談して名刺で代用することにしてみたんです。画用紙は学校から廃棄されたものをもらって、活用させてもらってます。

 素材をまさかの完全無料調達。

 チラシも相当に安い宣伝手段だと思うが、もらった画用紙に道場名を書くだけというシンプル仕様。そしてプリントやコピーですらなく、一枚一枚が筆で手書きなのだろうから、非常に希有なケースに違いない。ペラペラな名刺でも、真心がこもった、無限大の価値があるような気がした。

道場の宣伝?

古武術を教える塾です。13代前から経営していて、もう300年にもなるんです。先生も、よろしかったら入門を考えてみてください。皆さまにご迷惑ばかりかけまくっているダメな子の私ですけど、武道の伝授だけは途方もないほど途方もなく命がけでやってます。免許皆伝を目指してみませんか?

 今の時代に、免許皆伝とは一周回って斬新だ。

俺なんか免許皆伝なんてガラじゃないよ。しかし、どうりで九道くんが女子高生空手日本一として全国に名を轟かせているものだな。

まだまだまだまだ私なんて小者すぎて小者ですよ!

だが猛獣よりも強いとか、熊と戦ったら勝てるとか雑誌に書かれてたし、女の子がそんな言われ方したら困るよな。

私みたいなヘッポコに倒される熊さんが可哀想です。とっても申し訳ない感じです。でも勝てるとは思います。

勝てるのかよ! ……虎とかは無理だよな?

虎さんもたぶん大丈夫です。たとえ襲われても眉間に一撃でいけます。でも虎さんがお亡くなりにならないように、正拳を撃ち抜くんじゃなくて、なるべく受け流す方法を採りたいですね。それができるかどうかは、虎さんがこちらに向かって走ってくる勢いにもよるのですが……。

そ、そりゃインターハイで軽く優勝するのも当たり前か……。

空手のインターハイは単にライバルとなるべき女子高生がいないというだけなんです。年齢も関係なく、男性や熊さんや虎さんまで含めたら、簡単に勝ち上がっていけるわけではないかもです。

 スポーツ競技なら、男性や、まして猛獣まで含めるという発想を普通はしない。だが武道はスポーツではなく自身の探究なので、そもそも性別や年齢や異種族(?)で区別して考えるほうが不自然なのかもしれないと俺は思い直した。

うちの道場で教えているのは独自の古武術で、空手のほうはインターハイのためにレギュレーションを合わせて対応しているだけなんです。だから空手のレギュレーションで、試合として熊さんと正面から向き合ったら、虚を突かせていただく余裕はないに違いないですし、目つぶしとかもルール違反なので、一撃を入れるのは簡単ではないかもしれません。野山で戦えば勝てるのに、試合だと熊さんに勝てない可能性が大きいかもです。

 妙に奥深い話だ。……いやだが、そもそも熊は空手のレギュレーションに対応できないと思われる。虚を突けば熊を一撃というのもアレだし、突っ込みどころ満載のような気がしないでもないが、当の円香は真面目な表情だった。

ある意味、ハンデを背負いながら空手に合わせて対応しているわけだな。それだけの強さの原動力って何なんだ?

自分が色々ダメすぎて全世界の皆さまに謝りたいくらいです。自分と戦えるなら戦いたい、そしてこんなダメな私をやっつけて、『もっと精進しなさい』って言ってやりたい。そんな強い決意が、私の武道の原動力じゃないかなって思ってます。

 後ろ向きすぎることがなぜかポジティブに変換されている……?

 どういうことなんだそれは……。難易度が高すぎて理解しきれない部分があるものの、ニュアンスが感じ取れないわけでもない。校長がポジティブ思考すぎるのもどうかと思っていたが、円香の凄まじいまでのネガティブ思考、謝罪思考もどうかと思う。

全世界に謝るとは行きすぎだ。だいたい君は何も悪くないよ。

懺悔って私のためにある言葉じゃないかって思うんです。私はとてつもなくとてつもないおバカな人間で、色々ひどすぎてひどいと思います。第三次世界大戦が起きるとしたら私のせいかもです。

 はいはい、ヒトラーヒトラー。ある意味、謝罪のスケール感がでかすぎる……。

武人の本分は死ぬことにあります。自らを犠牲にして他人を活かすのが、私の本来のあるべき姿です。なのに私は、現実では誰かに求められることがほとんどなくて、とっても悲しい思いもしています。皆さまに迷惑ばかり掛けていて、自分の武を活かすこともなかなかできなくて、本当に戸惑ってしまうほどの毎日です。もっと皆さんに、私を酷使してほしいんです。

 品行方正ぶりがあまりに行きすぎていて、円香の言葉を借りれば、とんでもなくとてつもないような気がした。なぜだかクラクラする。

まぁ現代社会では武人に活躍の余地はあまりないからな……。そこまで自分を卑下することないと思うけど……。

でも! こんなどうしようもない私の武を、校長先生は求めてくれました。『西条女子高校で活かしてほしい。うちの高校を盛り立ててほしい』って校長先生から頼まれた言葉を思い出すと、今でも感動で泣いちゃいそうになります。信じられますか、中学のころもテストの成績なんて最下位だった私が、こんなすごい高校に迎えてもらえるなんて……。

ペーパーテストの成績なんて本当は人間の実力を何も評価してないし、そこまですごい高校だとも思わないがなぁ……。

だから空手のインターハイ優勝は私が絶対厳守しなくちゃならない義務ですし、3年のインターハイではさらに圧倒して優勝してみせます。そんな空手部はずっと私が名義上所属しているだけの一人部活だったんですが、今年になって妹も加わってくれたので2人になりました。ますます私のやる気がすごい状態です。

あんまり高校のために頑張られると逆に困ることもあるみたいでな……。もっと自分のために何かするとか、好きなことに邁進するとかあってもいいと思うんだけど。

 円香の興味が人助けに向いている限り、今年も無双高校の名が高らかに響いてしまうことは間違いなさそうだった。

私は世界のために命を燃やしたいんです。私の好きなことは、地球のために、世界の皆さまがたのためにこの生命を捧げることなんです。だから私は戦います、まだ見ぬ誰かの理想のために。

間違ってなさすぎて間違っているというか……高尚すぎて俺にはわからん……。

 要するに円香は、(わたくし)ではなく、(おおやけ)のために生きようと決めているのであって、それは正しい姿勢なのだが、なかなか常人にはできないことでもある。良い意味での公私混同なのだろうか。それとも真の意味で公私が一体化しているのかもしれない。誠の武人とは、かくあるべきものなのだろうか。

世界のために身を捧げたいという理想はわかった。だけどさ、特待生待遇を受けていて、道場まで経営しているっていうのに、どうして数十円で困ってるんだ?

本当にゴメンなさい……あんまり生徒さんが集まってくれなくて……。ときどきバイトをやって糊口をしのいだりしているんですが、色々厳しいものですねー。

 そう言った円香は、恥ずかしそうに頬を染めてうつむいた。円香は俺に心配させまいとサッパリした物言いを試みたようだったが、つい表情が曇り、視線を外すのを避けられなかったようだ。根がひたすら正直者なのだろう。

 そうした態度には親近感を覚えるものの、あまり詮索してはいけない事柄だ。家庭の様々な事情には、教師といえども踏み入ってはいけない。なぜなら近年は教師に対する世間からの風当たりが強くなりすぎていて、下手に親身に関わると手痛いしっぺ返しとして返ってくる時代だ。これも保身のため、大人の事情の一環である。

そうか……。君の理想の高さには心底驚いたし、色々な事情があることもわかった。大変だろうが頑張りなよ。

 受け取った名刺をポケットにしまいながら、俺はそれ以上の話を切り上げた。

 それにしても本当に驚異である。誰もが自分の目先の快楽ばかりを追及したがる世の中にあって、鬼神のごとき理想主義者が現実に存在していようとは。もちろん円香のなかでは、単に自分に鞭打っているわけではなくて、彼女の特殊で強靭な精神力により、自己犠牲精神と自己の快楽が結びついてしまっているのかもしれないが。

こんな私なんかのためにゴメンなさい。親切にしていただき、本当にありがとうございました。永久に感謝です。

 円香は深々と頭を下げてきた。礼儀正しいのはいいことだが、何かが根本的に間違っているような気がしないでもない。


 それから俺たちは揃ってスーパーのレジで買い物を済ませた。円香も後に続いてレジで会計をしていたが、5円玉や1円玉を懸命に並べるさまはなんともシュールな光景だった。

 いくら生徒の家庭の事情に深くは関わらないようにしていても、身のうち話に触れると気になるものだ。妹の誕生日のために見切りキノコというのはどうなのか。そんな話を聞いた以上、深い関わりは避けるにしても、せめて何かしてやるのが人情というものだろう。堅物ぶりはわかったので金は受け取らないだろうが、自然に理由付けできるプレゼントくらいは受け取る可能性があろう。


 スーパーの袋詰め台にて、俺たちは無言で並び、袋に購入した商品を詰めていく。円香はシメジとなめ茸だけだが、それぞれのパックが大きく、なおかつ合計6パックがまとまったものなので、ビニールは膨らんでいた。

宗形先生、それではお先に失礼します。ご返済は、賢い妹に聞いてからいずれしっかりします。

 先に袋詰めが終わっていた円香が丁寧にそう言ってスーパーを出て行こうとした。

 このタイミングだ。俺は何気なさを装って、円香に、購入したばかりの鳥のもも肉207g、219円を差し出した。

あっ、そうだ。妹さんの誕生日だって聞いた以上は、何かプレゼントをあげないとな。

えっ?
これ、持って帰りなよ。

そんな、お金を貸していただいたうえに、妹の誕生日プレゼントなんて……! 後生ですから、そんな肉々しいものを、どうか私に受け取らせないでください……!

いいから。妹さんによろしく。

 借用書を書いた名刺を円香が俺に押し出してきたように、俺も鳥のもも肉を円香に問答無用で付き出したのだ。そうして無理やり円香の両手に鳥のもも肉を握らせることにまでは成功した。

 すると、なぜか円香はもも肉に視線を落として震え出す。

お肉なんてそんな……! お肉なんてそんな……!

 どうやら円香は理性を総動員して拒絶しようとしていたらしかった。しかしその目は鳥のもも肉に釘付けにされており、見ればヨダレすら垂れている様子だった。

 受け取ってしまう前なら拒否もできたであろうが、両手に握りしめさせられた肉の強烈なインパクトは、抗いがたいものであるらしかった。円香は目を白黒させ、息遣いを荒げた。

 なんだか円香に変調を感じ、思わず俺は聞く。

お、おい、大丈夫か……?
後生ですから……お肉なんて……そんな……。

 最後にそうつぶやいた円香は、鷲掴みにしていた鳥のもも肉をポトリと落とした。

 あっ、と思った刹那、円香自身がグラリとよろめき、その場にバタリと倒れてしまったのだった。

 28円の借金を持ち掛けられたときと同様、俺は目の前で何が起こったのかを即時に脳が処理できなかった。おそらく、円香はあまりの衝撃で気絶してしまったのではないか。立ったままのガチ気絶を見るなんて、俺は生まれて初めてことだった。

 そこまで脳がようやく処理を終えた俺は、ふと我に返りヒザをつく。

きゅっ、救急車!

 レジのほうを見やって俺は叫んでいた。正直、俺のほうが救急車を呼んでほしいくらいの出来事だった。

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