ブラの名前

エピソードの総文字数=4,938文字

 「……まず、これらの問題は、何か知識を試そうとしているのではないんだ。むしろ、容疑者がどんな姿勢や気持ちでこれを読んでいるかに注目している」
 気楽は、そう言いながら自分の作った設問の意図を、める子に解説していった。
「時間を計っているのは、本当ならぱっと文字を見た瞬間に反応できるのにわざと答えを変えようとしたり、どう答えたら有利になるのかを悩んだりしているかを見たいからなんだ。犯人ならそこを悩まざるを得ないように、しかけを潜ませてあるという仕組みだ」
「へー。何言ってるかぜんぜんわかんないけど、とりあえず答え合わせしてみてよ」
 める子には、ごちゃごちゃ御託を並べるより、実際に見てもらうほうが早そうだ、と気楽はさっそく彼女の答えを示す。
「じゃあ、最初の問題から。ああ、冒頭にライバル会社の「アミーダ」の話を入れたのは完全にフェイクだ。いきなり宗教の話をし始めたら、あまりにも不自然なので、キリスト教やら仏教やら、いろんなモチーフがあるってことを事前に提示している」
「だろうね。ビックリしたわ。女の下着を見たことがないはずのあんたが、なんであたしも知らないような業界の裏情報知ってんのかと思ったじゃない」
 まて、まてまて!言わせておけば、『女の下着を見たことがない』だあ?失礼にもほどがある!
 しかし、そこをあえて指摘すると、本筋へ戻って来れそうにないので、我慢なのである。
「さて、安土の場合は、仏教の仏様として『あみだにょらい』やら『おじぞうさん』やらを書いている。キリスト教のほうは、ここでは神様を書くのではなく、天使について尋ねているのがポイントだ。安土の答えは『ミカエル』と『ガブリエル』『アリーエル』当然といえば当然の答えだな。こないだからその話をしているから。最後のやつは商標的にもきわどいが、夢の国のキャラか、洗剤かなんかか?」
「……えー、何かそんなのがいたような。ティッシュとかにも使われてない?」
 なんでもエルがついたら天使だと思っているのなら大間違いだぞ、と言いかけて、あれ?と気楽はあることに気付いて苦笑する。ああ、たしかに『エル』という語は、古代ヘブライ語では神のような存在を意味するのだから、合ってるといえば合ってるのか。
 まあ、とりあえず彼女の知識がマジなのかボケなのかはさておき、この設問にはトラップが仕掛けてあるのだ。
「さて、ここで大前提となるのは犯人以外、『聖書をミカエルの代わりに置いてあることは知らない』という重要な事実だ」
「そうね、真犯人だけが聖書のことをよく知っていて、他の人はそうじゃないというわけね」
 その通り!と気楽はここで意味ありげな微笑を浮かべる。
「何その顔、気持ち悪い」
 辛辣すぎるめる子のツッコミにめげず、メンタルに多少の耐性がある気楽は、話を続ける。
「だからといって、犯人の気持ちになってみた場合、自分に聖書の知識があることをひけらかそうとすると思うかな?」
「そうねえ、そうだわ!自分が聖書のことを知っていると思われるのは心理的に嫌がるはずだから、逆になるべく素知らぬフリをするってことね!」
 める子も、気楽の仕掛けたトラップになんとなく気づき始めているようだった。
「ご名答。この問題群は、宗教やキリスト教にまつわることをじわじわと尋ねるようになっているが、真犯人であればあるほど、聖書がらみの答えを避けたいと意識するはずだ。なので、もし回答に不自然に時間を要したり、答えに迷ったり、あえて知っていることを知らないフリをしようとしている気配があれば……」
「そいつが怪しいってことになるわけね」
 ふむふむ、とめる子も満足げな表情を浮かべている。
「でも、先生!ひとつ疑問があるわ。あんたが疑ったように、もしあたしが真犯人なのだったら、そのテクニックは通用しないのよ。だって、あたしが聖書を置いたとして、でもそれをあんたにすでに知られていることを把握しているのだから、あたしは聖書がらみの回答をそのまま書いても、あるいは知識がなくて書けなくても、どちらでも判定できないことになるわけでしょ?」
 きっとアホなのではないかと思っていためる子ながら、なかなか鋭い指摘をする。
「まあ、それはそうだが、それでも安土が真犯人ではないと、この問題の回答から判定できる自信はあるね」
「へー。なんで?どうしてわかるの?」
「じゃあ、続きの答え合わせをしていこう」

「さて、聖書がらみの答えを避けたいと思うなら、先ほどの天使シリーズでミカエルのみを答えて、それ以外はスルーしたっておかしくない。さすがにミカエルも答えないとすれば、このプロジェクトの意味すら理解していないどアホか、逆に怪しすぎることにもなる」
「そうね」
「そうした判定の微妙なラインは、以後の設問で補完できるように考えた。では第二問だ。安土の答えは……」
「神道の神様といえば『天神様』、受験でお世話になったのよ。それから仏教に神様がいるのかわからなかったから、『風神雷神』にしたわ。なんかそんな屏風があったでしょう?」
 半ば吹き出しそうになるのを抑えながら、気楽はめる子の答えをうんうん頷いて聞いている。
「いいんじゃないか。そういう感じで全然かまわない」
「で、イスラム教は『アラー』の神様でしょ?問題はキリスト教なのよね。あたしそんなにキリスト教に詳しくないから、思いつきで書いたんだけど」
「……ぶ、ぶははははっ!」
 こらえきれなくなったのか、気楽はついに吹き出す。
「何がおかしいのよ!人のテストの答え見て笑うなんて、あんた教師として最低だわ!」
「ま、まあまあ。ごめんごめん。いや、おかげで安土が犯人ではないと確信するに至ったんだが、実に君らしい答えだった」
「これのどこがいけないのよ!」
 そうふくれながら指さした回答欄には、キリスト教の神として
『スーパー・ゼウス』
の名が書かれていた。
「さすがにこれを見て確信したね。真犯人が意識して聖書を避けようと書いても、この名前は絶対に出てこない。聖書や聖句で何かを伝えようとする敬虔なクリスチャンなら、絶対にこいつの名前だけは出てこないはずだからだ」
「へー、やっぱり難しいことは何言ってるかわからないけど、あたしは良いこと書いたんだ。つまり、あたしは犯人ではないと証明できたのね」
 ああ、できたね。実にめでたい、と言いながらもまだ思い出し笑いが抜けないのか、気楽は横腹を痛そうに押さえている。
 賢明なる読者諸君にはもはや説明は不要だと思うが、念のため補足しておこう。
 スーパー・ゼウスなる神は、聖書には登場しない。キリスト教と完全に無関係かと言われれば微妙な部分もないわけではないが、まず教会関係者に崇拝されることはない。
 なぜならこの神は、子供がついつい集めたがるチョコのおまけのシールにしか登場しないからである。もう、こんなネタバレ、書かせるなよっ!

「で、第三問は?」
 気を取り直して、解説の続きである。
「お葬式の様子を答えてもらう内容だな。実は葬式というのは、その人がどんな宗教に属しているかを如実に示す良いツールになるんだ。葬式を見れば、宗教宗派がわかると言って良いくらいだ」
「へー。じゃあ、あたしの宗派もわかるのね。おじいちゃんのお葬式の様子を思い出していたんだけど、棺があって、お花があって、テレビとかでもよくやってるお焼香もしたわ。あの間違えて外国の人が『食べてるんじゃないか?』って誤解するやつ」
「実に面白い答えだね。今の安土の説明で、お焼香のお香を食べてるように見える話が出てきたが、宗派によっては食べ物と誤解されることはないんだ」
 へえ!と目を丸くするめる子。ちょっと興味が出てきたらしい。
「どういうこと?お焼香もやり方が違うの?」
「そう。食べてるように見えるのは、顔の前やおでこのあたりで軽く念じる作法で、それをせずただお香を焚くだけの宗派もある。もっと細かく言えば、お香を何回焚くかも違う。そして、安土の回答の続きで、宗派が確定するんだよ」
「お坊さんがいっぱいいて、ドンガラガッシャン何か楽器を鳴らしている、って書いたこと?」
「その通り。仏教の葬式では導師と呼ばれるお坊さんが一人必ずお経を唱えるが、お経のハモりを担当したり鉦を鳴らしてライブになる宗派がある、曹洞宗という禅宗の一派だよ」
「へー。おなじ仏教でも全然違うってことね」
「ああ、浄土真宗系だと棺の上に守り刀を置かないとか、唱えるお経が『南無阿弥陀仏』か『何妙法蓮華教』の違いとか、細かい違いがあるのでわかる。あるいは地域によっても差があるから出身地までわかることもある」
「じゃあ、逆に、キリスト教のお葬式ってどうやるの?」
 いい質問である。真犯人が素直にキリスト教式の葬儀の様子を書いてくれるかどうか保証がないので、ここでぜひ説明したいところである。
「実は、安土がキリスト教式のお葬式に出席できる確率は非常に低い」
「えー?なんで?ほら、映画とかで兵士が宇宙人に殺されたり、隕石にやられたりして、墓地でみんな泣いてるシーンとかあるじゃん。そういうのじゃないの?」
「また、いいこと言うなあ。それは外国の場合だろ?十字架が並んだ墓地で白い棺を穴に下ろしたりするのな。ちなみにあれは土葬なので、遺体はそのまま埋めている」
「マジ?!ほんとに?焼かないの?」
「ああ、日本では火葬がほとんどの自治体で義務づけられているから土葬はできないが、クリスチャンは本来火葬を避けたがる。最後の審判の後に復活があるという教義に関連したものだろうね」
「へー」
「さて、なぜキリスト教式のお葬式に出会う機会がないかと言えば、実は日本のクリスチャンは全人口の1%程度しかいないからなんだ。ということは、この社員数百人規模のこの会社の社内でも社長がクリスチャンなら、残りあと1人か2人いればいい方ということになる」
「そんなに稀少種なのね」
「なので縁起でもないが、とし江社長がお亡くなりの際は、ぜひ参列することだ。聖歌や賛美歌を歌ったり、典礼を行ったり、なんとなくチャペルで行う結婚式のイメージのほうが近いかな」
「面白いのね~。あたしもなんだか、あんたの比較宗教学の授業に出たくなってきたわ」
「それは光栄だな」
「じゃあ、次の問題へいきましょ!宗教や宗派は、若い人はみんな意外と無宗教だったり自分のお寺なんか知らないんじゃない?」
「そう思うね。これも予備的に設けた質問で、実はお葬式のところで、内容を書いてさえくれれば概ねこっちは宗派の判定まで済んでいるっていう寸法だ。でも、ウソをつこうとすれば、ここで矛盾が出てくる。また、クリスチャンなのに仏教徒のフリをしようとすれば、この欄に回答する時間が増えるってわけだ。必死で考えないといけないからね」
「なるほどねー。じゃあ最後の質問は?」
「これはもう、ここまで宗教やキリスト教を意識させられれば、おのずと答えにバイアスがかかるのが普通だろ?アイドルとくれば『偶像』、ダ・ヴィンチなら『最後の晩餐』、ラブソングは『天使』、新世紀は『エヴァなんとか』だ」
「えー?あたしはアイドルはKGBだし、ダ・ヴィンチはモナリザだし、ラブソングは月9で、新世紀は……あらやだ、エヴァなんとかだわ。悔しいけど」
 その答えに満足げな気楽はどや顔をして見せた。
「な?この4つで聖書から離れて回答するのは至難の業なんだよ。つまりは、ここでは通常であれば聖書がらみの答えが必ず出てくる。でも、真犯人はあえてそれから避けようとするからここでの回答が4つとも全部聖書と無関係な場合はかなり怪しいってことになるんだ」
 それを聞いて、さすがのめる子も、気楽のトラップには一定の理解を示したようだった。
「そうと決まれば、早く一人ずつ呼んできましょ!」
とめる子は、部屋の外へ飛び出してゆく。果たして、これで犯人が馬脚を現すのであろうか。
 気楽は、それでも不安を覚えながら、孤独に用紙を人数分コピー機にかけるのだった。

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