(If I Could) Change The World

エピソードの総文字数=4,157文字

 貿易船ラハブ号が横浜港を出港したのは、明治42年9月3日だった。空砲が聞こえたために正午だとわかった。俺は三等航海士が焼却炉に放り込まれる塵芥のごとくすし詰めにされる船室でウィスキーを呷っていた。そのとき船室には一人で、航海士たちはみな前甲板に顔を出し、澄明な秋の日差しに顔を火照らせた日本人たちに手を振っていた。脳までがウィスキーに浸っている頭でも俺はその光景を容易に想像できた。これまで俺は港から外国へと旅立っていく交易船を何度も眺めたものだ。俺が見送られる側になるのはこれが初めてだったが。
 俺が船室に籠りウィスキーを呷っているのも理由がないわけではない。政治家に政治家の理屈があるように、酒飲みにも酒飲みの理屈があるのだ。そもそも俺は航海士ではなく、このラハブ号には「お客様」として乗船している。しかし日焼けした浅黒い肌、石切場のように突兀とした筋肉、刻み煙草をパイプでぷかぷかと吹かす姿、そのように無遠慮で能天気なオランダ人たちが俺を特別扱いするとも思えない。理由はそれだけではなく、俺がこの船に乗り込んだのは一種の亡命のようなものだから、ということもある。つまり俺は東京で「やらかして」、ほとんどやむを得ず、故国から逃げ出すようにオランダ船への乗組員に志願したのだ。
 ラハブ号は汽笛を一通り鳴らしたあと、沖に出て潮流にも乗ったらしく、三等航海士の連中が船室に雪崩れ込んできた。この部屋は二段組ベッドが四組備え付けられているせいで、手足を十分に伸ばせないほどに狭かった。三等航海士たちは奥のベッドに挟まれた床に座り込み、酩酊している俺を一瞥しただけで、話しかけてこなかった。男たちがそれぞれのベッドで私物を漁り、航海の準備を始めると、部屋はますます狭くなり、鼻腔を刺激する熱気と臭気が充満した。俺はウィスキーを呷った程度で酔いつぶれるような体質ではなかったが、こればかりは参ってしまい、思わず嘔吐しそうになった。
 この船の航海士たちと言葉が通じないわけではなかったが、俺も追い立てられるように乗船したために、そもそもこの航海自体乗り気ではなく、こちらから話しかけるつもりもなかった。しかし一度船に乗ってしまった以上、すでに退路はなかった。
 オランダ人と言葉通じるというのは、すなわち俺がオランダ語を話せるということである。といっても、読み書きはできず、会話ができるのみに留まっているが。俺がオランダ語を話せる理由は至極簡単である。父親が蘭方医なのだ。淀藩に生まれた尾形精悟(おがたせいご)は大坂の蘭学塾でオランダ式の医学を学んだ。しかし22歳のとき、文明開化に日本中が湧き、元々生まれの地方の因循な風土に辟易していた父は西洋の価値観を求めて上京する。そして東京で三年ほど放蕩三昧を味わったあと、当時、洋食屋の女中をしていた母と結婚し、身を固めるために故郷に戻り開業医として働くことにした。その後、京都で三男一女を設け、尾形家の三男にあたるのが俺だ。俺は医者として生計を立てている父から日常会話に不便がない程度のオランダ語を学んだのだ。実際のところ、大半のオランダ人は英語も話せるため、必ずしもオランダ語を使わなければならないということもないのだが。
 航海士たちが船室から出て行くと、俺は柳行李をベッドの下から引き寄せ、中身の点検を始めた。航海生活に必要なものは船にほとんど揃っているとのことだったので、荷物は少なかった。そして行李の中身はほとんどが紙幣だった。この金は大学時代に作った人脈を使って、拠金したものだ。俺はこの金を元手にして、荒稼ぎをするつもりだった。友人や知人も俺の計画を十分に聞いた上で、投資をしてくれた。
 ラハブ号の表の目的は日本の絹織物をオランダに輸出することだ。この事業だけでも食うに困らないだけの利益を上げることができる。これまでの時代、上質な絹と言えば、清のものと相場が決まっていたが、明治以降、富国強兵の下、養蚕業と製糸業に心血を注いだために、今では日本の絹が最高級品とされる。その立役者は何と言っても富岡製糸場だ。そのために日本の絹というだけで西欧列強は大枚を叩く。しかし絹織物による貿易はあくまでも税関を抜けるための口実だ。
 俺は紙幣を元の通りに仕舞いこみ、柳行李をまたベッドの下に隠すと甲板に出ることにした。覚束ない足元を支えるために壁に手をつきながら、ようやく甲板に出て外の空気を吸った。俺はどれだけ酒を飲んでも頭痛を起こしたり、嘔吐したりすることはなかったが、空腹のために今は足が痙攣を起こし、胃が締め付けられるように痛んだ。度を過ぎて飲むと歩くこともままならないことが多々あった。
 甲板から向こうは凪の海と雲一つない空が広がり、その境界線は溶けて、上が空なのか、下が海なのかわからなかった。陽光は小さな塊になり、数珠のように連なって波とともに揺曳しており、ウィスキーによって瞳孔の開いた俺には痛いほどに眩しかった。左手の方を見ると、横浜港がひらめのように長く横たわっていた。思っていたよりも船の速度は速いようだ。三本の帆柱(マスト)には風を孕んで広がるシーツのような白い帆が三枚ずつ掛けられており、どうやら今は風を捕まえているだけで船が進むらしい。航海士たちもそれぞれの気休めを楽しみ、イタリア拳をしたり、ダブリン金貨を噛んで真偽を確かめたり、短剣を研いだりしていた。
 俺が初めて見る海の広大さに呆然と立っていると、船長が話しかけてきた。巨躯に白髪の頭髪と頬髯を蓄えた頭を乗せ、益荒男の印象を与えるが、これでなかなか頭の切れる男だった。
「どうだケイザブロウ? 初めての航海は?」
「思っていたよりも悪くないですね」
 俺はぎこちないオランダ語で答えた。
「海洋小説を繙くと、船乗り気質の語り手は陸に上がってもすぐに鬱憤が溜まって、家族も職も捨てて再び海に駆り出すものですが、確かに陸には陸、海には海の生き方があるのでしょう」
「かく言う俺も海の上じゃないと落ち着かないたちでね。日本に雇われたときも天職だと思ったよ」
 ラハブ号に乗船している乗組員は俺以外、オランダ人のお雇い外国人だった。お雇い外国人は国籍によって、雇用先が大きく異なる。例えば英国人や米国人など英語圏の人間は近代工学の講師や語学の教師が多い。フランス人は軍に所属し、軍制へ助言をする。ドイツ人は医学や物理学など近代の学問の講師になる。そしてオランダ人は大昔から海運に精通していたために船員になることが多かった。実際、船長は帝国海軍の顧問についていたことがあるそうだ。
「ケイザブロウは初めての航海だから不安も多いだろうが、心配することはない。この船の航海士は全員、十分な経験を積んでいる。不測の事態にも対応できるだけの臨機応変も持ち合わせている。実際のところ、今、日本製の絹を輸出するというのはこれ以上ないチャンスなんだ。本国からの手紙で知ったが、現在、西欧全土でPartikelziekteが流行して、養蚕業に致命的な打撃を与えているらしい」
「何が流行しているですって? Could you tell me it in English?」
「Pepper disease.」
「ああ、微粒子病ですか。つまりヨーロッパの方では、蚕が死滅しかけていると」
「そのとおり。そこに上質な絹を輸出すれば、大儲けという算段だ」
「なるほど。確かに今が売り手市場ということですね。もちろん、それは喜ばしいことです。しかし本題はオランダについたあと……」
「それはわかっている。俺は本国でそれなりに顔が利く。それこそ裏の方にもな。お互い、最大限の利益になるように取り計らう」
 そのとき一等航海士の男が近づいてきて、船長に航路の確認を取るために船長室(キャビン)で会議を開くべきでは、と進言した。船長は了承すると、俺の肩を軽く叩いてから梯子を下り船倉へと消えていった。
 ラハブ号の本当の目的は阿片の密輸にあった。日本からオランダまでの航路は法に則り、正式な手続きを踏んだ貿易を行う。その後、船長とともに日本に戻ってくるわけだが、その前に友人や知人から集めた金で阿片を買えるだけ買う。そしてラハブ号は打って変わって密輸船となり、阿片を日本に持ち込む。最高級とされる阿片は清のものだったが、あまりにも密輸が横行したために政府は清との貿易を制限した。そのために清から阿片を密輸することは、23歳の俺には難しかった。その代わり、質は落ちるものの鎮痛剤としては十分なオランダのものを密輸することにしたのだ。世界の西側にあるオランダまでわざわざ出向くのは、鎖国の時代よりオランダと日本は貿易があり、航路が開かれていることと、オランダの規制が甘く、阿片を安全に手に入れることができるというのが理由だ。
 それでも日本とオランダの貿易事情、阿片の手に入れやすさだけでは俺が単身でオランダ船に乗り込む理由としては弱いだろう。若い身空で密輸ほどの危険に手を出すのは俺自身の身の上が深く関わっている。
 俺は旧制一高を卒業したあと、東京帝国大学英文科に進学した。旧制一高では寮生活だったが、大学に進学してからは、同じく東京に出てきていた長兄のところに居候するようになった。しかし元々真面目とは言い難い俺は大学にまともに通わず、酒を飲むか、洋書を漁るか、お雇い外国人と牛鍋屋で管を巻くか、仲間内と同人誌を発行して青春時代を浪費した。その結果、無論、原級留置処置となり、長兄から白い目で見られていたが、決定的に長兄と決裂したのは、実家から学費として渡されていた金をすべて酒代に変えて、学費未納により大学を中退したためだ。長兄の下宿先に居場所がなくなり、やけっぱちになっていた俺は改心して真面目に働くのも馬鹿らしくなって、酒飲み仲間だった船長に阿片の密輸を持ち掛けた。伝手を使って元手となる金を募ったが、所詮は俺の知り合いか拠金に応じたのは身を持ち崩したやつとか、道楽者のようなろくでなしばかりだった。そのような経緯があり、俺は東京から逃げるようにして、日本とオランダの密輸の潤滑油としてラハブ号に乗ったのだ。

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