もしも敬虔な女子高生が〈神は死んだ〉のニーチェ作『ツァラトゥストラ』を読んだなら

『眠れ良い子よ〜ねむねむ賢者の安眠法』

エピソードの総文字数=1,695文字

「そういえば最近、よく眠れているかい?」

「突然なんですかあ?」

「次のツァラ殿の話題が『眠り』なのだよ」

「安眠の教えのようなものを説く宣教師がでてきますわ」

「それも、周りのものにとても尊敬され、徳のある人とされているらしい」
その、たいへん徳のある賢者とされる者の語りが、ツァラトゥストラによって紹介されている。

『眠ることを誇り、眠らぬことを恥ずかしく思うがいい! これこそ何よりも大事なことだ! よく眠れぬ者、夜おきている者とつきあうな!

 泥棒でさえ人の眠りをさまたげることを恥ずかしく思っている。だから夜中に足音を忍ばせてあるくのだ。』

「うっわー、不眠症の人完全ディスってますね!」
「あたくしたちも夜遅くに読書会やってますから、つきあってはいけない人なのかしら?」
「そうなってしまうな……。そして、この賢者は安眠ための十戒のようなことを続けて言っているわけだ」
『たやすいわざではないのだ、眠るということは。そのためにこそ、一日中おきていなくてはならぬ』
「ぶっ! あったりまえのこといってません?」
「うむ、昼寝をしてると夜ねむれなくなる。しごく当たり前だな」
「わたし、このたやすくないこと毎日やってますよ! えっへん!」
「すごいでしょ!」と周囲に同意をもとめるひとみに、「わかったわかった」と流す先輩方である。

『 十度、お前は昼の間に、自分自身に打ち克たねなくてはならない。そうすれば快い疲労が訪れ、それは魂の阿片となる。

 十度、お前はさらに、自分自身と和解しなくてはならない。自分に打ち克つことはつらいことだから、和解できない者はよく眠れなくなる。

 十の真理を、お前は昼の間に見つけなければならない。さもないとお前は夜にも真理を探し求めねばならず、お前の魂は空腹なままだ。

 十度、お前は昼の間に笑って、ご機嫌でいなくてはならない。さもないと夜中、胃袋という悲しみの父が、お前の差し障りとなるだろう。』

「じゅうじゅうじゅうじゅう……焼肉の音じゃなくて四十戒ですね。。数学苦手だけど数えるのは得意ですわたし」
「ツァラ殿もあとでそんなことを言っていたな……」

「あたりまえのことから始まって、だんだんと難しくなっている……のかしら?」

「そうですねえ、自分に打ち克つのを毎日10回ってけっこうたいへんですよねぇ。

 あ、でも、早起きしてお布団から出られたから1回、礼拝に遅れずに行けたから一回、とか数えてたらそうでもないのかな?」

「遅刻系ばかりだな」
「えへへ〜」

「あと、自分と和解とか、ご機嫌とかはとくいですね!

 これって 『早起きできなかった自分を許してあげる』ってことですもんね!

 ただ、真理を10回見つけられるかってのは難しいかも・・・?」

「自分と和解ってただ自分を甘やかしてるようにみえますけど」
「それが良い眠りには必要なのですよっ!えっへん!」
「と、ニーチェが言っているのではなく、ツァラ殿が見た自称賢者が言っている言葉だ、というのがポイントだな」
「えー? なんだか真理じゃないみたいじゃないですかあ〜」
「ツァラ殿の評価を見てみるかい?」

「 四十の考えに揺られているこの賢者は、わたしからみると阿呆だ。だがわたしは信じる。この男が本当に眠りに精通しているということを。」

「阿呆いわれました!(ガーン)」
「しかし眠りの専門家であると推してはいるのだな」

「彼の知恵とは、つまるところ、こうだ。『目覚めてあれ、よく眠るために』。」

<中略>

「名声高いこれら講壇の賢者たちにとっては、夢も見ない眠りこそが知恵だった。彼らはそれ以上の生の意味を知らなかった。」

「なんだかやっぱり馬鹿にされている気がします……」
「馬鹿ではなく阿呆だがね」
「そっちのほうがひどいですー!」

ツァラトゥストラが代弁する賢者のような説教者は未だに似た者がいるそうだ(すくなくとも100年前にはいたらしい)


……現代もそうなのだろうか?


だが、彼らの時はもう過ぎ去り、彼らももう長くは立っていられない、はやくもその身を横たえ、眠りにつこうとしている。

ーーねむい者は幸いなり。まもなく眠りに落ち、うなづき始めるであろうからーー。
<つづく>

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