オーバー・ザ・フェンス~十字架と罪過は誰が為

第十七章 ヤコブの手紙五章十九~二十節

エピソードの総文字数=1,631文字

『わたしの兄弟たち、あなた方の中に真理から迷い出た者がいて、誰かがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を購いことになると、知るべきです。』ヤコブの手紙五章十九~二十節


「みなさん、この神聖な祭りを祝う前に、わたし達の犯した罪を認めましょう。全能の神と」
「兄弟の皆さんに告白します、わたしは、想い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟のみなさん、罪深い私たちの為に神に祈ってください」
「全能の神が私たちを憐れみ、罪を赦し、永遠のいのちに導いてくれますように」
「アーメン」
 イグナチオ教会は日本にしては珍しい大規模な教会だ。日本におけるイエズス会の象徴と言ってもいい。目の前に広がる石畳みと長椅子の数々、天井は幾重もの波紋を重ねたような装飾が施され、仄かな明りのライトが教会を満たしている。正面には白い布で包まれた聖餐台とその向こうに鈍く金色に輝くイエスの像が十字架の刻まれた壁に掛けられていた。
 俺はいちばん左端の椅子に座って周囲を眺めた。平日の夕方からか空席が目立った。白髪交じりで皮膚と脂肪が重力で引き下げられたサラリーマンたちもいれば、ベールをかぶった婦人が目の前で手を合わせている。眠たそうな眼をした青年は両手を固く握ったまま淡々と祈りを唱えている。
 夢奈がどこにいるのかわからなかった、もとい探してもいない。鷲鼻で落ちくぼんだ眼孔、禿げ上がった頭の司祭が回心の祈りを唱える時、俺はただ思考を漂わせていた。

 ミサは粛々と進んだ、平日だと省力される部分があるせいか三十分もすれば閉会する。口の中には受け取った聖体の味が残っていた。最低限の祈りはしたつもりだ。すでに夢奈には返事をしていた。ミサが終わった後に会おうと。

 夢奈は教会の外のベンチに座っていた。白のワンピースの上に黒のカーディガンを羽織っていた、結っていた髪は解かれ、彼女が身動きする度に、あるいは風が吹くたびに黑い髪がゆるゆると揺れる。
「あ、琥珀さん。お待ちしておりました」
「待たせてすまなかった。そちらから連絡があるとは思わなかったでね」
 それで話とは?と俺は訊ねると彼女はふっと顔が暗くなったがすぐに明るさを取り戻したがその声音は気まずげだった。
「実を言うと実家の時、きちんと話をしませんでしたよね?契約の際に隠さずに話す様にと言われてたのに……」
「知ってるよ。だがあんたの気持ちを考慮すればなんらおかしな話じゃないさ。困った親とのいざこざは話しにくいからな」夢奈は俺をじっと見つめ、その視線をきちんと受け止めた。彼女の瞳の中で何かが揺らめいた。それはロマンスでないのは百も承知だ。だが俺はその揺らめきを知っている、その揺らめきは俺の瞳にも表れているはずだ。
「俺とあんたは同じ根だ。過去に起きたことは別々だが、そこから受けた傷は同じだ。どう受け止めたのかは知らない、だがそれでも俺たちは同じ側の人間だ。薄皮一枚かすりガラスか、金網か、どこか遠くから世界を眺めざるを得ない。でなければ、俺たちは傷の痛みに耐えられない」自分の声が重かった。言葉を紡ごうとするたびに体の内側が疼いた。時間が心の傷をいやすと俺を診たカウンセラーは言った。だが実際は心の奥底に埋めるだけだ、どんなに深く埋めても産業廃棄物のようにじくじくと膿が噴き出る。
 夢奈は石にでもなったように身動き一つしなかった。まるで視線を逸らすのは罪だと言わんばかりだった。
 自分の呼吸と風の鳴声が耳を打つ中、彼女は一度だけ眼を閉じて大きくため息をついた。そして自らの胸に手をあて、ゆっくりとこうべを垂れた。それが何を意味するのかは分からない、だが俺も同じように頭を下げた。
 盲目の犬が彼らにしか聞こえぬ犬笛に導かれ、二枚の金網越しに伸ばした指がようやく相手の指とからみあった。
 

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