佐藤茜のよもやまばなし

エピソードの総文字数=4,283文字


 誰かに見られたら咎められるな、と思いながら、廊下を走る。
 三ヶ月の成果なのか、ある程度は体力がついて、階段の上り下りでは息が上がらなくなっているけれど、それでも体力なしのレベルを出ていない。
 すぐさま息が荒れるが、構わず走った。
 階段を三階分一気に駆け降りて、そのまま三年生の教室を横切って渡り廊下を目指す。 一階部分の渡り廊下は左右に壁が無く外と繋がっており、中庭に出ることを考えたら一番速いルートだからだった。
 渡り廊下に出る直前で鞄を廊下に放り投げてから、校舎を出る。走るのをやめて、歩きながら中庭に視線をやる。
 すると、先ほど見かけた人影が見間違えでなかったことがわかったけれど。
 渡り廊下の位置からでは、人影が二つあり、片側は座り込んで、片側が倒れこんでいることしかわからなかった。
「ああ、くそ……!」
 私は濡れる覚悟を済ませてから、両者に近づくことにする。上履きのままだし、泥で汚れてしまうけれど、知ったことじゃない。
 私は雨に濡れるのも構わずに、そのまま中庭に足を踏み入れる。
 そして二人に近づいて――見えた光景に息を吞んだ。
 倒れこんでいるほうが血塗れで、今も傷口から赤い色を垂れ流していたからだった。
 しかし、すぐに意気を取り直し、座り込んでいる側に視線を向ける。
 話ができるとすればこちらだろうと、そう思ったからだ。
「……何があったの?」
 声をかけたものの反応が無かったので、仕方なくしゃがみこみ、座り込んでいる側の人物の肩を掴んで、強引に相手の顔をこちらに向けた。
 そこにあるのはやはり知っている顔――アヤコの顔だった。
 まぁ倒れこんでいるのがキョウジなのだから、当然と言えば当然だろう。
 もっとも、こんなに血の気の引いた余裕のない表情を見ることになるとは、終ぞ思わなかったけれど。
「…………」
 しかし、現状において会話ができる相手は彼ではなく彼女の方だ。
 ただ、今のままでは会話も成り立たないことも明らかで。
「ごめんなさい。少し酷いことをする」
 言って、彼女の頬を張った。
 ぱちん、と我ながら軽い音が響く。
 彼女は張られた頬に手をあてて、きっと睨んできた。意識がはっきりとしているのはいいことだ。言葉を続ける。
「君は回復役なんじゃないのか。だったら、君は君のやるべきをやれ。ここはそういう場面だろう。
 ……そして、私に出来ることは何かあるかな? 救急車を呼ぶほうがいいのであれば、救急車を呼ぶけど」
「あなたに出来ることなんてないわ。消えて」
 問う言葉に返って来たのは拒絶の言葉だった。
 私は溜息を吐いた後で、彼女の言葉に頷きを返す。
 彼女がそう言うのであれば、私に出来ることなど本当にないのだろう。
「わかった」
 彼女の肩を一度叩いて、立ち上がる。
 続く動きで渡り廊下のほうに向き直って――異物を見ることになった。
「なぁ、アヤコさん。忙しいとは思うんだが、教えて欲しいことがある」
「……何よ」
「彼がそうなった原因は倒しきれたのか?」
「いいえ。――まさか!?」
「……あんなのが知らないところで闊歩していたとはね。ぞっとする話だ」
 それは、人の形はしていなかった。
 中心部は表面に小さな斧の刃をとりつけたハリセンボンみたいな円形で、その中心部には前方に尖った太い嘴が一つ生えている。そしてその中心部の下部からは、どす黒い――汚くなった筆洗い用の水のようなものが粘り気を伴って毀れていて、それが地面と接している部分に円形上の染みを残していた。
 流石にあれはヒト型とは呼べないだろう。誰が見たって、尋常な生き物でないことは明らかだった。
「嘘でしょう、何でこんな短時間で……!?」
 アヤコの声に反応したのかどうかは定かではないけれど――化物が動き始めた。
 ゆっくりと、こちらに向けて動くのが見える。ああ、あの刃の射程はどれくらいあるのだろう。もう圏内だろうか。
 それよりも、獲物の数に私も入っているかどうかの方が気になるけれど――多分そうなんだろうなぁ。間違いないよなぁ。
 がちがちとなりそうになる歯を必死に押さえ込みながら、私は彼女に聞く。
「アヤコさん、もう一つ教えて欲しい」
「何よ!?」
「あれは人語を解してくれる生き物なのかな」
「知るわけ無いでしょうがそんなこと!」
「じゃあ試す価値はあるね。
 ――そこのヒト、ちょっと待って欲しい。そこで止まって欲しい! こちらと話をする気はないだろうか!?」
 言うと、化け物の動きが止まった。やった。だけど、あれはこちらの言葉を理解した上で止まってるのか? それともこちらが大声を出した結果として生じた警戒から止まったのか? どっちだ? わからない。わからない。
 ああ、畜生、自分の命が掛かってるのにわからない。怖いなぁ、怖いなぁ、ああ怖い!
 だけどそれ以外に行動のしようがないなら、口を動かす以外に選択肢などなかった。
「もしも私の言葉がわかったなら、その結果として止まったなら、どうか応えて欲しい! できればこちらの言語にあわせてもらえると助かる! 私はそちらの言葉を知らないんだ!」
「……あなた、何をしようとしてるの?」
「……うるっさい、余計なことを喋る暇があるなら自分の仕事をしろ! それ以外に出来ることなんて無いだろうが!!」
 悲鳴のように、ただし小声で彼女に言葉を返した後で、続ける。
「どうだろうか! 私は会話をする用意がある。会話はできないだろうか、会話での解決はできないだろうか!?」
 化物の動きは止まったまま、しばらくの間何も起きなかった。
 しかし数秒を待った後で――意外にも相手側からの反応があった。
 それは耳鳴りを無理やり声に加工したような無機質な音だったが、確かに言葉になっていた。
『話しかけてくるとはまた妙な人間だ。その度胸に免じて話は聞いてやる』
 聞き慣れない音に思わず渋面になってしまったが、特に意識せずに言葉を返す。
「交渉がしたい」
『何の』
「私たちの命を助けて欲しい」
『……そこにいったい何の得がある』
「今から説明する内容に、ぜひとも得を見出して欲しい。……ただ、その前にいくつか聞かせてくれないか? 私はあなたたちについては何も知らないから、確認したいことがあるんだ」
『何を聞きたい』
「あなた達は、ヒト以外を食べたことはあるのだろうか? または、それ以外を食べた上でヒトを食べなければならない理由があるのだろうか?」
 返答までは間があった。その間が私の寿命を縮めていることに気づいて欲しい。言ったら殺される気がするから言わないけど。
『牛や豚を食べたことはある。そして、ヒトを食べることに理由はない。たまにどうしようもなく食べたくなるだけだ』
 やっぱりそうか。
 私に興味を持って話に応じてくれた段階で想像できたことではある。あとは、どこまで私個人への興味が引けるかというところだけが問題だけれど――細かいことなど後で考えることにして、口を動かす。
「わかった。質問への回答、感謝する。
 では今から説明する内容を聞いて欲しい。
 それは、ヒト以外のものを食べることで満足してもらえないだろうか、という提案だ。
 理由としては簡単だ。こちらとしても、同族を食われては抵抗せざるを得ないということだ。抵抗をするものは、ここに寝転んでいる者を始めとして、あなた達から人間を守る者たちだ。
 彼らは最後の最後まで、あなた達に抵抗するだろう。その抵抗の結果は、双方の怪我、あるいはどちらかの死亡だ。
 これを損害、面倒といわずに何と言うのだろう?
 一方で、ヒト以外のもの、例えば牛、豚、鳥などを食べるのはどうだろう。これは狩るのが非常に簡単な生き物だ。同族が襲われることに対して抵抗する勢力が存在しない。楽に喰える。文句を言う者もほぼ居ない。北海道にいる蝦夷鹿なんぞは、むしろ増えすぎて困っているくらいだ。食べ過ぎるのも問題だが、食べるのに困る量ではないと思う。
 だから、食べるのならヒト以外のものを食べるほうが得だと考えるのだけれど――どうだろう、考えてみては貰えないだろうか」
『……仮に私がそうしても、他がそうしないのでは私だけが損となるが』
「で、あれば。そちらのトップに話をしてみては貰えないだろうか? きっと王様のような存在が、君たちにも居るのではないかと思っているのだけれど。どうだろうか?」
『なぜそう思う?』
「あなたが私の言葉に耳を傾けてくれたからだ。
 言葉が通じる相手なら、似通った集団の形になると個人的に考えているだけだけれど――その問い返し方だと居るんだろう?」
『…………』
 この場合の無言は肯定でしかない。畳み掛けるように言葉を続ける。
「そうであれば、この意見を、その王様に話してみては貰えないだろうか。その話に興味を持って貰えれば、その王の力である程度までは徹底できる。そうなれば、あなたの言う損はなくなるはずだ。
 ……どうだろう、考えてみては貰えないだろうか?」
『確かに我らにも王はいる。王にその話を進言してみるのも悪くない。
 しかしそれは――お前たちを見逃す理由にはならない』
「……そうですか」
 ああ、やっぱりこんな程度の話じゃ引いてくれるわけないよなぁ!
 化物は再び進み始める。
 ……仕方ない、やるしかない、言うしかない!
 そう思って、私は背後に居る彼女に問いかける。覚悟を後押ししてくれる情報が欲しかったからだ。
「ところでアヤコさん。あなたって、どの程度の怪我なら治せます?」
「急に何」
「早く!」
「……欠損単位なら、四肢一本くらいは私でもなんとか」
「オーケー、覚悟が決まった」
 ……ああ、決めたくもない覚悟を決めるハメになって最悪だよ本当に。
 だけど。
 死ぬよりはマシだと思うしかない。言う。
「じゃあ別な提案をします。
 ――私の話と腕一本で、どうかこの場は引いてください!」
 返答は実践で来た。
 ぶちり、と鈍い音が体内に響く。ああ、引き抜かれる――そうわかる感覚がおなかの下あたりにやってくる。
 その後に来たのは喪失感と熱。
 あついあついいたいいたいいたいいたいいたい――!
『小娘。貴様の覚悟に免じて今日はこれで引こう。
 ――そこの二人はその小娘への感謝を忘れないことだ』
 最後に聞こえた酷い音質の声を最後に、私の意識は遠退いた。


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