『みじょかもんの祈り ー 心の貧しい人は幸い? ー』

03. 「アラフォー中年のツブヤキ。」

エピソードの総文字数=1,621文字

私が、中学3年生の時、理科の先生が「みんな、人差し指を立ててごらん」と言ったことを思い出す。


中学最後の授業で、学年主任だった先生が、突然言い出したことである。
みんな人差し指を立ててみた。

「そしたらね、みんな人差し指の上の方に唇を近づけてごらん。できた?」

何の実験をするんだ?

「吹いてごらん」

「ふぅーー・・・」

「ほら、次の瞬間、このことを思い出すのは、君たちがおじさんになった時だよ。」
「・・・そんなばかなことなんてあるか!!ないない。だって、おじさんって何よ!!?」

私たちのクラスは爆笑した。

しかし、学年主任が言いたかったことが、今、ようやく分かった気がする。
皆さんは、どうだろうか。

今、私はアラフォーだ。


関西の女子中学・高等学校で教員をしている。
生徒に、「この間まで、私、中学生だった」と言うと

「えー?まさか、きっつ!」と痛い反応をする。

年齢を重ね、少し髪が無くなり、シワが出てきた姿から中学生だった私を想像できないのだろう。

毎年、違う学年に言っているものの、皆、同じ反応をする。
目の前にいるのは、30年くらい前の自分たちを見ているようだ。

時間というものは、あっという間に過ぎる。

介護福祉士の資格を取る過程で、「生・老・病・死」について深く考察した。
あの2年間で得た知識や経験を、今の生徒たちに100%伝えられているかというと難しい。
こうやって文章にしても、言いたいことが、うまく伝わるか分からない。

「未来について考え過ぎても、どうしようもない。
過去について縛られても、どうしようもない。」

「教師に戻って、正解だったか?」と聞かれれば、答えは「無回答」である。
ただ、「今、神から置かれている場所が、ここである」としか言えない。
眠れない日々が続くし、苦しく、自分が情けない時もある。

もしかしたら、次の瞬間に、違う病気や大きな事故にあうかもしれない。
大災害にあうかもしれない。
「大袈裟な」と言われるかもしれないが、実際に私は病気をしたし、東北大震災のような出来事だってあった。

そこで、職を失うかもしれない。
健康・財産を失うかもしれない。
家族を失うかもしれない。
その可能性は、誰にでもあるわけだ。

それなら、今、自分ができること、やっていることを精一杯にすることが大事なのだと思う。
特別なことではなく、置かれた場所で何かをすれば、必ず道が拓けていく。

私は、「自分の挫折や失敗を人に認めてもらいたかったこと」が苦しみとなった。
しかし、誰も私の気持ちを100%理解してもらうことはできない。
だって、目の前の相手は私ではない。
全く別の存在だからだ。

全く違う存在を自分の好きなように操作することなどできない。
コントロールできるのは、自分の心だけである。
つまり、どれだけ納得するかどうかだ。

「みじょかもんの祈り」のFさんとの姿は、荒んでいた私の心を温かく覆ってくれた。
自分を越えた絶対者に身をゆだねる姿は、人間の弱さであり、真の強さだと感じたからだ。

神という存在を信じることを、人は「弱い」と蔑むことがある。

昔、マツコデラックスがテレビの視聴者から「宗教を信じる人のことを、どう思うか?」という問いに対し、こう答えた。
「すがれるものがあるだけ、いいじゃない」。

私たちは、すがることが恥だと思った時、自分を追いつめる。
自分の弱さを何かの前で認める余裕も無くす。
そして、極端な話ではあるが、自死に陥る人もいる。

Fさんは、小さい体、細い手で祈っていた。
何十年と繰り返してきた動作だ。
彼女の姿を思い出すたびに、飾らない自分の姿。

年齢、性別、生まれ、健康、職業、学歴、出身、住まい・・・
そんな生まれてから与えられて、ガチガチになっている私は、誰のための存在か。
周りの人のための存在だろうか。

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