パナギアの童女は茶室で微笑む ――その女は死を知らず、ただ眠るのみ――

入学式前から、 俺、アルバイト

エピソードの総文字数=6,363文字

 俺は幾人かの知人と共に、高校一年生の八月頃、我が東の国(オリエンタリア)を発ちトルコ共和国(トルキエ・ジュムフリエティ)地中海(メディテラネアン)エーゲ海(イージャン)側のリゾート地を訪れていた。元々は、十字大学のビザンチン古教会発掘の予備調査に便乗した、ちょっとした観光、巡礼と謎解きの旅なのだが、そうなった経緯――それは思い出しても色々と興味深いものがある。事の始まりは、今から遡る事四ヶ月ほど前、高校一年生になったばかりのエピソードだ。以下のようなメッセージ文が俺に示され、解くことを依頼され……色々な偶然・様々な運命が、絡まっては練られ、一つの形を成していた。
 元々は泥であっても、こねて息を吹き込むならば人となり、窯で焼くならば焼物となる。もっとも、人に許されたのは後者のみであろうが。

  くぉう゛ぁでぃす,ねぷてぃす?

  1
  [-00/00/20, 00/00/21]
  薔薇冠と 蟹は うたた寝 赤壺の下
  [-00/26/19,-01/44/54]
  パナギアの 孫は海星 坂の上

  2
  [01/25/28, 107/52/07]
  金もなく 銀もなく
  キリストの名で歩けば強くなる
  二人を結ぶ ユカリキリセ
  ないは あるなり その円環

  3
  [02/45/40, 109/37/33]
  ブルブルと 結ぶ心は 涼しかるらん
  義の太陽 翼を詰めるは エホヤダの箱
  満たされし奇しき薔薇壺 赤壺の蟹へ

  ぜはっだばぁるあしぇるたぁす

***

四月

 パタパタパタ……コンコンコン

「ジョー君、起きてる?今日はバイトの日だよ。確か、外回りだよね」
 ノックされる音と、玉のような声で、俺は目が覚めた。そう、今日はバイトの日だ、起きなくては。
「ありがとうユキ、起きてるよ」
 ユキ――この家に住み込んでいる、中学三年生――に感謝の句を述べた。
「ジョー君に、カッカさんから入学のお祝いとして、スーツ一式のプレゼントがあるよ。ユキと(ハー)からは、ネクタイとネクタイピン。廊下に置いておくから。今日、着て」
 いや、確かに外回りの仕事だが、客人と合うわけでもなく、わざわざスーツを着込むほどではない。……とはいえ、兄貴達からの折角の計らいだ、有り難く受けておこう。再び感謝の句を述べ、それから手短に着替等の身支度を整え、俺はバイトに行くべく玄関に着くと、そこでユキが俺を待ち構えていた。

「ジョー君、バイト行く前に写真」
 中三のユキが、高一の俺の胸を押し、玄関の壁際に追いやる。新しい壁ドンの誕生である。異性から、身体を直接壁に押さえつけられ、無理矢理撮影される、と、広辞苑に乗ることは無さそうだが。
「こっち向いて笑って」
 そういうと、彼女はおもむろに俺の写真を取り始めた。
「あと横向き。笑顔で」
 時間もないし、これはもう、従うしかない。何故ネクタイをもらうと、写真を撮られるのか、その繋がりが全く不明瞭なのだが。
「スーツに、ベレー帽は似合うかな?」
 彼女が通う聖プネウマ中学、通称〝聖中〟制服であるベレー帽が俺の頭に無理矢理載せられる。
「やっぱり似合わない……」
 このようなありがたいお言葉を貰い、ようやく俺は解放された。スーツにベレー帽が似合うのは、偉大な漫画家ぐらいなもんだ。

「ネクタイとタイピンありがとう。では、いって来ます。兄貴はともかく、ハハヤさんにはお礼言っといてね、ユキ」
「うん、言っとく。気をつけていってらっしゃ~」
 なお、ハハヤさんとは兄が雇っている、自衛隊上がりの秘書の名であり、ユキの姉だと言われている。正直な所、俺はハハヤさんが苦手だ。

 さて、と気を取り直して早々に、ケッタマシーン三号(サード)という名の自転車を漕ぐ。自動車王国にしてモータリゼーションの進んだこの街では、一方通行の呪文を受け付けない庶民の脚、自転車こそが住宅地では最速。なお、今日のバイトは、直接、相手先を訪問して仕事を行い、直帰するだけの仕事。周囲を見渡すと、昨日は未だ蕾であった桜の花が、大きく咲き零れている。冬が去り、四月になったことを気温ではなく視覚的に実感した。

 サンタクロースだクリスマスだと、よく知りもしないノルウェイ国籍の赤服・白ヒゲ、恰幅の良い笑顔の爺さんをダシにして、国民総出、思う存分ドンチャン騒ぎを満喫してから(はや)百日。なぜ(くだん)のサンタクロースは、全世界をマタにかける重労働の割にはメタボリックなまでに恰幅がいいのだろうかという謎が生じるが、その原因は、世界的にもスカッとさわやかにして有名な、あの褐色の清涼炭酸水が売れ筋の巨大メーカーが、そのトラック運転手をモデルに使って、大々的に広告を打ったせい、だともいわれているのだが、それはともかく、次のドンチャン騒ぎ――花見だ酒だと再び世の中が浮かれ騒いでいる――を横目に、俺は黙々と働学併進、つまりは勤労と学問の平行的実践に(いそ)しんでいた。なお、勤労の理由は簡単である。飯が食べたい。旨い肉と旨い脂。身体を意味する「(にくづき)」、そこに「(うまい)」を加えて「脂」。象形文字が訴える意味の力は、なんと素晴らしいことか!そう、脂は旨い、旨いは脂であり、脂は旨い、旨いは脂である。大事なことなので二度反芻した。実に大切なこと。仏教徒の俺からしてみれば、恐らく異教徒(あちら)の『神様』とやらは選り好みは激しいようで、農作物よりも肉、特に脂なんかが大好物、などという昔読んだ書籍の文面が頭の中で沸きあがった。なにやら親近感が沸く神様である、脂を選り好む神なんて。

 俺が通うことになる高校――十字大学教育学部付属高等学校、通称〝十高(じゅっこう)〟――では、アルバイトもそれなりの理由があれば、実質的に無許可でやっていいことになっている。そして高校生に成るや否や、入学式を数日後に控えた状態ですら、俺は早速働いていた。そう、つまり肉、というより美味い脂、脂マシマシの三度飯を食う為に。豚油(ラード)牛油(ヘット)乳脂肪(クリーム)、それから各種植物油、来る油脂は拒まずの博愛を俺は示そう。我が寺の台所事情はかなり劣悪である。いや、寺としては正しいのだろうが、個人的には劣悪だと思っている。寺の檀家による寄進米で、米は事実上、量的には問題がなく、無限(アンリミテッド)白米(ホワイトライス)と言っても差し支えないのだが、いかんせん(ビーフ)が無い食卓なのだ。後の世で、牛肉大戦(ビーフウォーズ)と呼ばれる宗教的舌戦、いや、単なる寺の中での個人的な言い争いを経て、数年前から俺は寺で食事をするのをやめた。舌戦で負けたとも言うが。いずれにせよ、伸び盛りの十台にはかなり厳しい食卓であるというのが解ってもらえないのだ。肉がなければ、脂がなければ、買って食べればいいじゃないか、そうだよマリー!働いて買えばいいのだ!俺はどれだけこの肉食、いや肉購買のための勤労を待ちわびたことか!ところで、マリーって誰だっけ。

 ちなみに、仕事内容は実に単純明快。家の隣にある奇妙な名前の不動産屋『福音商店(エヴァンジェル)』の多鹿部長の指示通り、新しい物件の間取りを調査して、写真撮影を行うだけである。その仕事が終われば、福音商店に戻り、PCを使って間取りを図面に起こす。部屋を借りたいお客さんが参考程度に見るだけの間取り図なので、図面はそれほど正確で在る必要は無い。またこの仕事は、実に俺向きである。将来的に『建築科方面』への進路を希望する、宮大工の家系にして寺を管理すべき運命の下に生を受けたこの俺は、なるべく多くの建築物を直に観たいという欲求がある。つまりこのバイトはその欲求を満たしつつ、更に飯まで食えるという薔薇色の好条件を満たしている。俺は心から運命に感謝せざるを得ない。

 と一通りの感謝をし終えるころ、目的地に着く事に成功した。なるほど、目的のブツは高層ではなく三階建て、そして無駄に横方向に広いのは、この閑静な住宅街の建蔽率・容積率が法によって低く抑えられているためだろうか。このあたりは低層住宅しかない。ならばなるほど、建築物はこのように縦方向ではなく、横方向に延びる形態になるのは無理もない。それがそのモンスターマンションを観た第一印象だった。一部屋の家賃が月額百二十万円という、この地域最古の『福音商店』をもってして、今まで経験したことの無い大物件。ちなみに契約報酬は、客を見つけた「客付業者」である福音商店、そしてこのマンションを管理している「元付業者」であるN不動産が、それぞれ五割ずつの折半形式になる。契約が成立しただけで家賃一ヶ月分の五割、六十万円が福音商店に転がり込むだけではく、更にオーナーから広告費という名目、すなわち『お客さんを見つけてくれてありがとう報酬』で六十万円も追加され、合計百二十万円の仕事である。勿論、元付業者であるN不動産にも同様に、百二十万円が入ることとなる。百二十万円を肉に換算すると、高級但馬牛の牛肉、いわゆるコーベビーフが二頭落札できる報酬である。(※作者注:200X年当時の落札価格です。今だと百二十万円でも一頭、落札できないこともあります)

 この大物物件の、三〇四号室を借りたがっている顧客は現在海外在住で、賃貸契約の強い意思は既にあり、数日後には契約と居住のために来日するらしいとのこと。入居日も既に先方から指定されている。一般的な日本人なら三〇四号室とかいう、四(死)が出てくる縁起の悪い部屋には住みたがらない。つまりはこのマンション、設計当初から日本人向きではない事がわかる。

 髪や肩にかかった桜を振り払い、簡単に身づくろいをして、多鹿部長から指示された、マンション管理人とやらに電話をする。
「もしもし、福音商店の金剛寺(こんごうじ)と申しますが……」
 電話の相手は、低い声の男性だった。電話を取り次ぐので暫し待て、とドスの効いた声で命じられる。絵に描いたような偉そうな話しっぷりが、返って妙に可笑しく思えた。暫くすると、今度は可憐な声の女性が電話口に出た。そして、先とは違って、丁寧な話口調である。
「もしもし、お待たせしました。本日案内させていただきます、瓶白(みかしろ)と申します……」
俺の視野の中で、ペコペコとお辞儀をしている少女がいた。ツバ広の女優帽を被り、ワンピースを着た中学生ぐらいの童女。見た目はユキよりも背が高いが。口の動きは見えていて、今、耳に聞こえている電話内容と合致している。
「あ、どうも福音商店です。多分、こちらから今、瓶白さんが見えています」
そういうと俺は手を振った。相手もこちらの手に気付き、互いに電話を切ることとなった。

 互いに近づき会釈する。タイミングを計り、開口一番でさわやかに挨拶を済ませ、昨夜プリンタで印刷したばかりの名刺を差し出す。
「……えっと、金剛寺さん、金剛寺(こんごうじ)常悦(じょうき)さんですね、本日は何卒よろしくお願いします」
その後なぜか、彼女は名刺を穴が開くほどに観ていた。店名と不動産許可番号、肩書きのない俺の名前、住所・電話番号だけのシンプルな名刺。何もヘンなことは書いてないと思うのだが。ああそうか、苗字がヘンといえばヘンだ。この辺りの住人で、俺の苗字である『金剛寺』を知らない人はいない。

 ようやく俺の(いぶか)しげな視線に気付き、その少女はなぜか頬を僅かに染めながら顔を上げて話し始めた。
「申し訳ありませんが、私は名刺を持っていないのです、すみません」
「いえいえ、みたところまだ中学生の御様子ですし」
「え……はい、数日前までは、中学生でした。ところで金剛寺さんは大学生ですか?」
 なんてこった、肉を願った呪いか、はたまた脂を求めた祟りか!ええいこの生臭坊主(否、坊主じゃないが)のこの俺よ!そうとも俺は同級生よりは……老けている。認めよう、認めようではないか。若さゆえの過ちを。三つ、いや四つ?実年齢よりも高齢者として観られるのは今日が初めてではない。
「俺……いえ、私も数日前までは、中学生でした……同じく。どうやら我々は、同じ学年のようです」

 瓶白と名乗る彼女はキョトンとしながら、しつこく俺の顔と名刺を見比べた。だから名刺には、年齢とか、友達が少ないとか、モテナイとか、彼女いない暦イコール年齢とか、そういう不利な重要事項を記載する法的義務は無いハズなので、特に記載していない。
「現在高校一年生なのですか?大学生の方だと思ってました」
彼女は驚きの声を隠せていない。それでいて笑いながら、
「私、なんというか、今日はオジさんが来られるのかと思っていました」
ならば、俺も正直に答えなければならない。
「いえいえ、今日オジさんが来る、という予想、私もしていました……」

 一通りの談笑が済んだ後、帽子という最後のヴェールを脱いだ若い女(アルマ)は、俺を案内し始めた。
「三〇四号室は、こちらになります」
 俺は頭の中で、二頭立ての牛車に乗ったつもりで、俺は瓶白の後に続いた。その時の俺の顔は恐らく春先の蕾のごとく、綻んでいただろう。新しい建築物をじっくり観るのは、やはり楽しいのだ。いろいろと意匠(デザイン)も凝っている。建築に際して、予算を幾ばくか抑えようという、という意思が見えないのだ。さらに付け加えるなら、帽子という遮蔽物を失った彼女の顔を横や斜め後ろから観るのも、なかなか悪いものでは無かった。ワンピース、ボレロ、首に掛けられたペンダントとそれを隠そうとする長い黒髪、と俺の周囲には、あまり存在しないタイプの女性。程なくして先導する瓶白は、踵を返し、クルリとこちらを降り向いた。エレベータに乗ったためである。そして、初めて真正面から彼女の顔を観た気がする。私たちのために(プレイ)祈って(フォー)ください(アス)という小さな文字がかかれたペンダントが、今はっきりと見えた。ふむ、興味深い。若い女(アルマ)の胸元、じゃなかったペンダントを凝視するのは色々と社会的に何かマズイ、李下に冠を正さず・瓜田に履を納れず・君子ポリティカルをコレクトす、と天賦の勘を持って危険を察知した俺は視線を上げた。ところがそれはそれで、うっかりと眼が真正面から合ってしまい、返って互いにバツが悪くなった。視線は互いに外すしかなかった。
「では三階に行きます」
「了解」
 そそくさと瓶白の横に俺は並ぶ。同学年の女子と話す機会の少ない俺は、その女子と目が合うだけで心拍数が上がるという、悲しい体質を持つ俺。その俺の顔、みっともなく、赤くなっていなければいいが。

 俺にとって観る事は、理解することでもある。理解すれば謎が生じ、その謎を解けば、さらに新しい理解がある。例えば、彼女の携帯電話にも、そして恐らく彼女の自転車の鍵にも色々なストラップが取り付けられている。スワロフスキークリスタルが填め込まれた金属製の黄金パイナップルのマスコット、同じくスワロフスキークリスタルがはめ込まれた亀のミニチュア、mimと書かれたタグ、三つ葉の押し花……しかし、金属製の黄金パイナップルのストラップってどこで売ってるんだ?とにかく、キラキラした物とパイナップルが好きなのは理解した。どうして女は一般論として、これほどまでにキラキラしたものが好きなのか?何の意味があるのか?男の俺は考えてもわからないので、やがて俺は考えるのをやめた。

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