ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

6-2. 眼は口ほどにモノを言う

エピソードの総文字数=3,857文字

神父(ヤツ)はわたしを舐めている。わたしが逃げ帰り、再びイオリのような作品を作ることを期待している」

 オランダ東艦隊との遭遇から、三日と半日。
 メリメント号は、元来の目的地であるジャワ島西部、バンタム王国の支配海域に辿り着いた。

 ジャワ島は、東部にマタラム王国が、西中部にはオランダが勢力を持ち、西部には小王国が乱立する状況にある。中でもバンタム王国は、英国と組んでオランダに対抗せんとする同盟国だ。
 メリメント号は、バンタムが誇る伝統的な木組みの軍艦(いくさぶね)に守られた港で、傷だらけの船体を休めていた。

「ボクらはその添え物か。気に食わないね」
 リズが頬を膨らませ、その横ではフランが落ち着かない様子でぐるぐるとその場を歩き回っている。
「まったくですわ! (わたくし)の十字架も、玩具かなにかのように奪われたのですよ!?」

 艦尾甲板で穏やかな潮風を受ける魔女たちの足下、上甲板では猛烈な勢いで船体の補修作業が進んでいた。食料弾薬を補給し、帆を縫い、船体を継ぎ治す。戦場と変わらぬ喧しさで、水夫たちは甲板上を駆け回っている。

「同意見だ。魔女団(カヴン)を舐めたツケは払ってもらおう。襲撃は今夜だ、一日でも早い方が良い」

 ル=ウが、島の東を睨んだ。僅か半日の距離に、巨大な黒塔が屹立しているのが見える。
 それは〝神父〟の居城だ。

 手を伸ばせば届くような位置に、仇と、伊織介が居る――煮え滾りそうになる胸の内を押さえ込むようにして、ル=ウは固く拳を握りしめる。

スルタン(バンタム王)・アヴマーリと話は付けたのである。王国も相当に脅威を感じておるようだ。兵を借り受けた。僅か300だが、精鋭である」
 王との謁見を済ませたばかりのリチャードソンが、豪奢な装飾の青いコートをぞんざいに脱ぎながら甲板に上がってきた。僅かな時間で、王国からそれほどの協力を取り付けてきたのだ。対価に何を差し出すことになったのやら、苦々しい表情をしている。
「――ただし、一兵も損なわぬ、という約束である。本当にこれで良かったのか? お嬢」
「重畳だ。陸兵には(おど)かし役になって貰うだけで良い。彼らには今すぐ出立させ、合図あるまでは待機を命じよう」

 リチャードソンは頷いて、肩を回しながら艦尾甲板を後にした。
 

「さて……魔女の諸君。改めてわたしの勝ち筋を提案しよう」

 落ち着いた口調とは裏腹に、ル=ウの髪がざわついている。風のせいではなかった。深く被った羅紗帽(キャスケット)を微かに押し上げて、胸の内に渦巻くものを何より雄弁に伝えている。

神父(ヤツ)の業は紋章術だ。その使い途は大きく分けて二種類。一つが、事前に魔法陣を仕掛けることによる罠だ。神父(ヤツ)は好んで幻影魔術を仕掛ける」

 先日のオランダ艦隊。あれは、〝神父〟が見せた大規模な幻影だった。
 現実に存在したのは、〝神父〟を乗せた一隻に過ぎない。メリメント号はまんまと騙され、何の抵抗も出来ずに伊織介を連れ去られてしまった。

「だが、ある、と分かっている罠はただの障害に過ぎない。問題は――」
「それを事前に仕掛けるだけの、眼を張り巡らせていること、ですわね」
 フランが割って入る。
「あの赤虫――ぞっとしませんわ。(わたくし)が囚われてた時も、四六時中(わたくし)を見張ってましたもの」

「そうだ。紋章術のもう一つの使い途――むしろ、こっちの方が魔法陣の役割としては一般的だろうな。つまりは、契約による使い魔の使役だ」

 吸血鬼(ペナンガラン)に、巨人(水虎)。そして赤蝗(ペレシト)原典(・・)からは大きく姿を歪められて入るが、それらを契約によって縛り、意のままに操る――〝神父〟は、その力を巧妙に駆使している。単なる攻撃に用いられるだけではない。情報を握り、権力をすら神父は手にして見せた。
 
「ボクの身体の半分――妖精の部分すら、神父(アイツ)は操ってみせた。契約上書きなんて、並大抵じゃないよ。悔しいけど」
 リズが歯噛みする。既に真名すら握られている以上、リズには神父に対抗することはできない。

神父(ヤツ)の魔術師としての技は抜きん出ている。数々の使い魔の脅威も周知の通りだ。しかし、だからこそ――神父(ヤツ)自身の肉体それ自体は、生身の人間と変わらない」

 低い声で語りながら、ル=ウは己の腕を伸ばしてみせる。ざわざわと皮膚が揺らめき、拳は鋭い牙を持つ小さな顎に変化した。
 ル=ウや、フラン、それにリズ――彼女達は、すべて自身の肉体に魔術を宿している、つまり、神父はその逆だ。

 がきん、と拳に生やした牙が音を立てる。

「喉笛に喰らいつきさえすれば、わたしの勝ちだ」


     * * *


 むせ返るような血の匂い。意思とは関係なく、身体には悪寒が走り、膝は笑い出す。

「これは、これは人の身体だ! こんな……!」

 天高く聳え立つ赤い塔。神父ご自慢の〝バベルの塔〟に、伊織介は連行されていた。

 赤黒く見える塔の外壁……遠目には石造りのようにも見えたが、そうではない。
 肉だ。肉、骨、内臓。皮膚、指、眼球、指、爪、頭蓋、膝、髪、性器、腸――ありとあらゆる人体の部品が、めちゃくちゃに混ざって積み重なっている。

 この塔の建材は、人の肉体だ。

「そうだよ。この辺が、周辺島民6000人分で出来てる。色味が統一されてて綺麗だろう? バンダの時のだね。その上が、英国人や奴隷たち。ちょっと見境なくやっちゃったけど、マーブル模様になったからまあ、悪くはないよね」

 外壁から不格好に突き出たヒトの腕が、時折、痙攣するように跳ねている。焦点の合わない眼玉が、不規則にぎょろぎょろと蠢いている。

「正気じゃない……!」
 吐き気がする。立っていることすら難しい。反吐が出るほどの悪意。恐怖と嫌悪と嘔吐感が、胃の中で暴れている。
 背中を丸めて震える伊織介を見て、神父は満足気に口角を釣り上げた。

「――ぼくが打ち建てるのは、天国への階段さ」

 す、と徐に神父は腕を掲げる。その腕を中心に、赤い霧が集まりだす。
 いや、それは霧では無かった。数十、数百匹の〝赤蝗(ペレシト)〟が、翅を拡げてひしめき合っている。

「生贄をたくさん積み上げて、(かみさま)のおわすところまで届けるんだ。そうすれば、かならず主はぼくを選んでくれる(・・・・・・)

 赤い霧と化した〝赤蝗(ペレシト)〟の群れが、ふわりと神父から離れた。すぐに伊織介の身体は、不快な羽音に包まれる。
「な……こいつら……!」
 腕を振り回しても、身を捩っても群れは散ることがない。ぎちぎちと顎を鳴らす音は下品で、そのくせ、蟋蟀(コオロギ)のような穏やかな声音を同時に響かせている。


「ぼくは救世主になる。きみは、ぼくの道になるんだよ」


 言って、神父は指を鳴らした。〝赤蝗(ペレシト)〟が、伊織介の右腕に集まり、

「ぎッ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 (いなご)が田畑を食い荒らすように。
 赤い霧は、腕の肉を、生きたまま貪り食った。
 肘から下の腕が、ぼとりと床に落ちる。
 まだ肉の残ったその右腕に、赤蝗が集る。伊織介の右腕だった肉は数瞬で骨ごと食い尽くされた。後には血の一滴も残らない。

「こらこら、食べ尽くしてはいけないよ。ちゃあんと塔に取り込むのだからね」

 神父が声をかけると、一斉に赤蝗(ペレシト)達が散る。

「あははははっ。いやしかし、予想以上だね。きみの肉は素晴らしいごちそう(・・・・)だ、ぼくの虫たちが我を忘れるほどにね。ラサリナはとんでもない人形を作ったものだ――神性(ディエティ)の味がするよ」

 床には、右腕を失った伊織介が荒い呼吸で蹲っている。生きたまま骨ごと肉を貪られる苦痛は相当なものだ。今の伊織介は、歯を食いしばるほかには思考すら許されない。

「うんうん、わかるよ。痛いよね。もうしゃべれないよね。実に人間的な反応だ。素晴らしい、実に完成度の高いことだ。」

 伯爵が微笑みを浮かべて、赤蝗の一匹を撫でる。玩具を大事そうに抱える子どものように。

「だからしょうがいよね。味見じゃあ足りないんだ。もう少しだけ、根幹に近い部分を。もう少しだけ、味の濃い部分を。もう少しだけ、魂に紐付く部分を」

 そして一匹の赤蝗が、
 伊織介の首を這う。
 ゆっくりと、首から顎へ。顎から鼻へ。鼻から、眉間へ。
 赤蝗は、前脚を使って器用に伊織介の右の瞼を開かせた。
 右目に映るのは、左右に開いた赤い大顎。

「父と子と、聖霊の御名によりて――Amen(いただきます).」

 ぶつり、と。
 伊織介は、何かが千切れる音を聴いた。


     * * *


 神話に語られるバベルの塔は、主の高みに登らんとする人間の傲慢さの象徴だ。
 その驕りは神の怒りに触れ、塔は崩れ、人々は言葉を砕かれた。

 それは幼子でも知っている物語である。

 それ故に、誰よりも信心深い〝神父〟が創る黒い(バベル)は、主への冒涜ではなかった。
 彼のそれは、祈り――それも、他の誰より深く、厚く、そして傲慢な。

◆作者をワンクリックで応援!

1人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ