頭狂ファナティックス

瀧川紅月VS清美一暁③

エピソードの総文字数=2,982文字

 危機一髪と言えるほどの不利な状況での勝利宣言に、清美は紅月が死への恐怖から錯乱しているのかとさえ思った。しかしすぐに奇妙なことに気がついた。紅月は左手にハンドベルを握っていなかった。どういうわけかシンボルを解除しているのだ。今では紅月は口角を釣り上げて好戦的な笑みすら浮かべており、その自分の勝利を確信しているような態度から、清美はある可能性に気がついた。
あなた、右手が吹き飛んだ絶望によって「励起」したのですか? その自信に満ちた態度と勝利宣言、はったりだと思いましたが、根拠がないものではないのですか?
そのとおりだぜ。俺は励起した能力を『明日の神話』と名付けている。こいつがあんたを葬る切札だ。
 コンプレックスにはスペクトルがあり、能力者の体調や精神状態がコンプレックスの性質に影響を及ぼすことはすでに述べたと思う。物理学において本来の意味で使われるものもそうであるように、スペクトルには断絶があり、コンプレックスは区切られた領域の中で変動する。しかし能力者が極度の興奮状態に見舞われたり、死を覚悟せざるを得ないほど絶望したりなど、特殊な条件下でスペクトルの変動が起きたとき、コンプレックスが断絶を飛び越えて、別の領域に移行することがある。この現象を「励起」と呼ぶ。励起したコンプレックスは励起前のコンプレックスとは系統は同じでもまったく別の能力を持つようになる。
 励起に伴うコンプレックスの変化は能力者によって千差万別で、励起する前と後の能力を同時に保持する場合と保持しない場合があったり、励起したあと元の領域に戻る場合と戻らない場合があったり、一概には言えないが、詳細は物語の進行とともに解き明かしていこう。今は紅月と清美の死闘の結果を見届けるときである。

 紅月の傲慢とも言える口調に嘘を吐いているようなところはなかった。しかし清美には腑に落ちない点が二つあった。一つ目は紅月がシンボルを解除したことである。二つ目はこの瞬間にも『明日の神話』を発動して、清美を爆破しないことである。
 二人は三度、互いの距離をとりながら部屋を旋回していたが、今回の軌道は紅月が『私の名は赤』によって衝撃を転移できる範囲から外れるためにさらに距離をとり、これまでのものより大きな円を描いていた。しかし紅月は窓を背にし、逆光によって影になると、そこで立ち止まった。清美が一歩、また一歩と静かに近づき、能力が及ぶ範囲に侵入しても紅月はそこから動こうとしなかった。
どうしました、瀧川後輩? その『明日の神話』とやらで今すぐにでも私を爆破すればいいではないですか。一度解除したシンボルを再び具現化して。それともシンボルを見せられない理由があるのですか?
人生っていうのは、死に急ぐものではないっすよ。特に俺たちのような若い身空のうちはね。『明日の神話』も『太陽の塔』と同様に使い勝手の悪いコンプレックスでね。発動の条件が難しいんすよ。
それでもシンボルを出しておいて、損はないはずですが。本当に励起して、その『明日の神話』を発動できるのならば。
その口ぶり、まるでこう言いたいようですね。『明日の神話』など存在しなくて、俺の言葉ははったりで、励起などしていないと。試してみますか? 先ほどみたいにその拳銃を心臓に突きつけて、引き金を引いたらどうです? 床を経由して俺に衝撃を移すこともできるんすよね?
 コンプレックスが励起したとき、同時にシンボルの形状も変化する。シンボルとは「感情複合」が具現化したものであり、そのために励起ほどのスペクトルの大きな変化があると、形状の変化も起こる。もしも本当に紅月のコンプレックスが励起しているのならば、そのシンボルであるハンドベルの形状も変化している。しかし紅月はハンドベルを見せようとしなかった。
 清美は選択を迫られていた。紅月の言葉が嘘だとすれば、すぐにでも銃弾の衝撃を相手の脳に転移し、脳漿を撒き散らすことができる。『私の名は赤』の前では、『太陽の塔』は無力であることはすでに疑う余地がない。しかし紅月の言葉がはったりなどでなければ、『明日の神話』が紅月の言うところの「条件」を満たしたとき、即座に清美をその能力で爆破する。そしてその「条件」があるとするならば、間違いなく拳銃が発砲することも含まれている。拳銃を発砲して、清美の意識が銃弾の衝撃を転移することに向いているあいだに、『明日の神話』は清美を爆殺する可能性がある。
 撃つか、撃たないか。それが問題だった。
 だが紅月が励起していようと、していまいと、拳銃で相手を殺害する方法が存在した。そしてすでにその方法に清美は気がついていた。
わかりました。この拳銃の引き金を引いて見せましょう。しかしその銃口は私の心臓ではなく、あなたの心臓を向いている!
 清美は特有の地を這うような動きで紅月に突撃した。拳銃を相手の身体に押しつけ発砲し、直接、銃弾を食らわせる。それが打開策だった。銃口が密着している状態では、銃弾を爆破する余裕はない。また接近している状態ならば『明日の神話』が発動したとしても、その爆破は紅月の身体に転移することができる。清美は紅月まであと一歩のところに踏み込んだ。
あんたに通用する攻撃は「絞める」攻撃に加えて、もう一つある。「投げる」攻撃だ!
 紅月は自分から清美に一歩踏み出して相手の懐に入った。そして腰に掴みかかると、清美が突撃した勢いに合わせて背を弓なりに曲げ、背後の窓に向かって全身の力を振り絞り投擲した。清美の身体は浮き上がり、窓ガラスを突き破って四階の窓外に放り出された。清美の身体は比重のために、ゆっくりと頭を下にする。弱点である空中に投げ出され、落下していく中、清美はこの状況から脱するために次の一手を考え巡らせていた。
 シンボルを発現することもなく、投げ技を使った紅月の行動から、『明日の神話』は窓外に投げ出すためのはったりであると清美は判断した。次に紅月がするべきは『太陽の塔』で落下する清美を爆破することだ。そのとき、清美は身体のどこかを犠牲にしなければならない。相手の大胆への敬意が無意識にはたらいたのだろう、清美は紅月と同じく右手を犠牲を選び、爆破をそこに移動させることにした。地面に叩きつけられる衝撃は地面に逃がすことができる。
 清美は重力によって加速していく身体を感じながら、自室の窓を見上げた。そこから紅月が身を乗り出している。その左手には形状が変化したハンドベルが握られていた。柄に深紅のリボンが結ばれているのは変わらないが、鐘の部分がさらに細長くなり釣鐘草の花のようにも見え、より武器らしくなっていた。光の加減でハンドベルは白銀に輝いていた。紅月は相手に聞こえなくても構わないといった小さな声で宣言した。
もう一度言いましょう。俺の勝ちっす。
 『明日の神話』は能力が及ぶ範囲にある一定の速度を超えた「すべて」の物体を爆破する。この設定される速度はスペクトルが上昇するほど下がっていくが、現状でも四階から落下する物体が到達する速度を十分に下回っていた。
 清美の身体は重力に引かれて加速していき、そして『明日の神話』が設定している速度を超えた。
 清美の全身は寮のすべての窓ガラスを振るわせるほどの轟音を立てて爆発し、あとには肉片の一片も残さなかった。

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