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清美一暁の訪問

エピソードの総文字数=4,743文字

 大室姉弟が散歩に出かけたあと、紅月は勉強机に古典電磁気学の参考書を広げたが、足を組み合わせて、机に肘を突き、その上に頬を乗せて中空を見つめてばかりで、勉強する気配はまったくなかった。そのままの姿勢で三十分も過ぎ、筋肉の強張りを感じ始めたころ、秋姫の謙虚で秘めやかなものとは明らかに違う、自信を感じさせる力強さでドアがノックされた。しかし紅月はこの訪問者を予想していたように――さらに正確に言えば、紅月はその誰かは知らなかったが、一両日のあいだに誰かが訪ねてくることは想定していた――嫌味な調子すら感じさせる声色で開いてますよ、と返事をした。ドアを開けて入ってきたのは特別科クラスの三年生で、生徒会遊撃の職に就いている清美一暁だった。清美は一歩、部屋に入ると紅月の鼻につくほど慇懃に一礼をした。
お久しぶりですね、瀧川後輩。淑女の部屋を約束もなく突然お訪ねしたご無礼をお許しください。
 清美の卑屈を感じさせるほどの礼儀正しい口調は相手を挑発するためではなく、本心からの他人への尊重が人付き合いには適合しないほどに過剰に現れたためであり、短い付き合いながらも清美の口調や身振りには悪意はないと知っていたが、紅月は敵意を隠さずにのんびりとした動作で椅子から立ち上がった。
生徒会から誰かが派遣されてくるとはわかっていたっす。しかし、よりにもよって遊撃である清美先輩が来るとは。一人っすか? 空白組で唯一の一年生とはいえ、清美先輩一人で手籠めにできると思われているとは、俺も舐められたものすね。
 清美は細身だが、生徒会の中でも一番の長身だったために、紅月がこれ以上部屋に踏み込まれるのを防ぐように正面に立ったとき、首が痛くなるほど見上げなければならなかった。清美は髪をオールバックにしてポマードで固めており、その臭いは長身の背丈に合うものがないために特注で作られた学生服に染みつき、何重にも濃厚になっていてますます紅月の神経を逆撫でした。
まさかアポイントメントもなしにレディの部屋を訪ねた上に、このまま居座るつもりはないっすよね?
もちろんです。恐縮ですが、私の部屋にお越しいただきたいと存じます。どうやら、私がお訪ねした用件には思い当たる節があるようで。お話したいことがあります。もちろん、あなたと私の二人だけで。
念のために聞いておくっすけど、愛の告白ではないすよね? でしたら、今、この場でお断りしておくっす。先輩みたいにクソ真面目で、馬鹿に礼儀正しいのは好みじゃないんです。
安心してください。もっと深刻で、命にも関わるお話です。
 清美は紅月の冗談にくすりともせずに無表情のまま背中を向けて部屋を出た。紅月は相手に聞こえるように舌打ちをして一言も口を利かず歩いていく清美についていった。生徒会の遊撃という職は端的に言えば、荒事を実力で鎮定する役割であり、当然のこととして高い戦闘能力が求められる。
 現在の生徒会には遊撃は二人いて、一人は清美であり、もう一人は先日の集会のさいに二人の男子生徒を射殺した吾妻奈純である。紅月は清美のコンプレックスを知らないとは言え――親友でもない他人にコンプレックスを教えることは自分の手の内を見せることであり、恥とされ、特別科クラスでは特にその考えが強かったために互いの能力はまったく秘密にされていた――戦闘に特化した能力であることは当然予想していたが、今のように警戒することもなく背中を見せられると、目の前の男は自分とのあいだに何段もの経験と才能の差がある実力を持っているのか、相手の力量の見積もりもできほど自惚れが強い愚鈍なのかわからなくなった。清美の部屋は別の寮の四階にあり、そこに着くまでのあいだ清美は無防備に背中を晒し続けた。
 部屋にはベッドが一つしかないことから一人部屋だとわかったが、二人部屋である紅月の部屋よりも広く、黒塗りのソファやマホガニーの背が低いテーブル、ロココ調のキャビネットが神経質と言えるほどに几帳面に配置され、床には赤いペルシア絨毯が敷かれて、格式高く装飾されていたが、学生の部屋らしいところはまったくなかった。何よりも不気味だったのは、入って右手の壁に様々な種類の手錠が掛けられ、コレクションされており、それらは清美の趣味で、絨毯に合わせた赤いカーテンの掛けられた窓から入る陽光に妖しく煌いていた。紅月は黒塗りのソファに座らされ、向かいに清美が座った。
この部屋、綺麗に掃除されてますけど、今は使っていないんすよね? 寝ているあいだに襲撃なんてされたら堪らないっすからね。
 紅月は壁の一面に飾られている手錠の方に胡散臭い視線を送りながら聞いた。
私たち生徒会は昨日から、実験棟で寝泊まりしています。教室を三部屋あてがわれまして。封鎖期間中は理事会や教師陣も全員、実験棟で生活を送る予定です。呼び出された要件はわかっていると思います。生徒会庶務としての義務を果たすよう説得しに来たのです。しかし本題に入る前に一つ、確認したいことがあります。昨日から、ラジオやテレビが使えなくなっていることはご存じですか?
食料の運搬や人の行き来だけでなく、情報通信の手段も切断されてるってことすか? すみません、知らなかったっす。俺の部屋にはラジオもテレビもないもので。
実際に確認してみますか?
 清美は立ち上がるとキャビネットの引き出しを開いて、FM/AM対応の手持ちできるポータブルラジオを取り出した。ラジオを手渡された紅月は電源を入れて、ダイヤルを回したが、どの周波数に合わせてもノイズが流れるばかりだった。
確かに放送が入らないすね。本当に電波が遮断されているのか、このラジオが壊れているだけなのかまではわからないっすけど。
瀧川後輩。この質問だけには正直に答えてください。ここで嘘を吐くことはあなたにも不利になります。あなたのコンプレックスはこのような通信機器をジャミングする能力ですか?
 紅月は三十秒間たっぷりと、この質問の真意を考えたが、嘘を吐く必要もないと判断すると正直に答えた。
違うっす。なぜそんなことを聞くんすか?
正直な回答をしてただいたと信じて、こちらも正直に話しましょう。昨日の集会で桑折同級生は理事会で決定されたことはすべて、包み隠さずに生徒に伝えました。つまり電話などの通信手段と食料などの運搬の断絶。学園を脱出した生徒への射殺許可。そしてあらゆる憲法と法律の適用の無効の三点です。上からはラジオやテレビの電波までも遮断するとは聞いていないんですよ。
しかし実際は昨日からこの二つは使えなくなっている。学園一帯の通信機器を、それも間断なくジャミングするなど、特別科クラスに所属するほどの実力がなければ不可能です。少なからず、瀧川後輩と常盤同級生を外した生徒会にはそのようなコンプレックスの保持者はいないと確認しました。もちろん、何かしらの理由で嘘を吐いている人間がいないことが前提ですが。もしも生徒会、及びこの学園の生徒にそのようなコンプレックスを持つ人間がいないとなると、どういうことを意味するかわかりますか?
生徒ではなく、理事会か教師陣の中にそのようなコンプレックスの保持者がいる。もしくは放送局そのものが機能していない。
即答ですか。さすが一年生にして特別科クラスに編入した才女です。前者だったら問題はありません。この学園の封鎖が私たちの思っているよりも強固だったという話です。問題は後者です。本当に放送局が機能していなかったら、何を意味するかわかりますか?
さっきから回りくどいっすよ。早く話を進めてくれませんかね。話が下手な男は女にモテないすよ。
すみません。話し方が遠回しなのは私の悪い癖です。答えをいいましょう。当たり前ですが、放送局はこの学園だけに電波を飛ばしているわけではなく、首都圏一帯に電波を飛ばしています。すなわち本当に放送局が機能していないならば、東京一帯のラジオとテレビが使用不可になっているわけです。これは一つの恐ろしい可能性を示しています。封鎖はこの学園に留まらず、東京一帯のあらゆる要所で行われている可能性です。
 紅月は口に手の甲を当ててその言葉を反芻するように考え込む顔つきをしたが、実はその可能性を考えていないわけではなかった。しかし他人からその可能性を示唆されるとやはり背筋がぞっとする思いがした。
日本軍が動いていることを考えると、今回の件に日本政府が関わっているのは間違いないすね。それならば、放送局を抑えること自体は可能でしょう。さらに言えば、この学園に留まらず東京一帯を封鎖することも。
けれども俺が驚くべきは、生徒会の先輩方は理事会からこの封鎖がどれほどの規模で施行されているかも知らされていないってことすかね。この様子だと封鎖の目的そのものも知らされてないんすよね? いや、そういえば桑折生徒会長はペストの隔離だと仰ってましたっけ? これは失念、失念。
あなたの当てこすりは少々スパイスが利きすぎている。正直に白状しましょう。生徒会にはこの学園以外にも封鎖されている場所があるのかに加えて、そもそもなぜ私たちが学園に閉じ込められなくてはならないのかまったく知りません。私たちはあくまで手駒にすぎません。教えられるべきことすら、教えられていないんです。私としては瀧川後輩にさらに辛辣な嫌味を言われる前に本題に入りたいと存じます。
それは俺に生徒会の職務を遂行しろ、という話っすよね? もしも俺の言うことが当たっているならば、申し訳ありませんが、お断りします。
まったく残念です。あなたが自分の義務であるところを引き受けようとしないことも、私がこれから話さなくてはならないことは寸分違いなくその話であることも。しかし断るならば、私の話を聞いてから断っていただきたい。それが手順というものです。私たち特別科クラスには生徒会として学園の行政の一端を担う義務があります。瀧川後輩も庶務の職に就いております。そして今回の封鎖に関してはその期間中、生徒会はさらなる職務が与えられ、理事会と生徒の間に立ち、調停の役割を担い、互いの軋轢を減らさなくてはなりません。
これは義務ですが、あなたはおそらく義務という言葉を嫌うのでしょう。だからこのように言い換えましょう。権利と。特別科クラスへの編入が許されたあなたには、理事会の傘下に入る権利が与えられたのです。実験棟には食料や医療品など生活必需品に加えてコーヒーや酒など嗜好品も十分に確保されております。何よりも実験棟は日本軍によって警護されており、安全が保障されております。どうですか?
それはつまり友人たちを裏切って、自分だけ保身に走れと勧めているんすよね。ちなみに常盤先輩はなんと仰っているんですか。常盤先輩にもどなたか勧誘に行っているんすよね? 常盤先輩の答えで自分の回答を変える、というわけではないっすけど、好奇心で。
常盤同級生の方には吾妻後輩が話をつけにいっております。今、まさに、この瞬間に。もっとも、誰もアレが私たちの仲間になるとは思っておりませんが。常盤同級生は懲罰を受けなくてはならないでしょう。懲罰というのは……。
ちょっといいすか? この勧誘を断ったらどのような目に会うか聞く前にお答えしておくっす。俺は懲罰の内容がどのようなものでも、生徒会の件についてはお断りします
そうですか。非常に残念です。理事会からは瀧川後輩と常盤同級生の二名が生徒会の職務を放棄した場合、その場で殺害しろ、と命じられております。
 そう言うと同時に清美はブレザーの懐から自動式拳銃を抜き取り、マホガニーの背の低いテーブルを挟んで向かいに座っている紅月に銃口を向けて発砲した。

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