パナギアの童女は茶室で微笑む ――その女は死を知らず、ただ眠るのみ――

カトリックの一種陪餐とプロテスタントの二種陪餐

エピソードの総文字数=3,904文字

「ここというのは?具体的にどこでしょう、金剛寺兄弟」
 瓶白が、俺に尋ねた。

「今はまだ濃茶が入っているから、(こぼ)れてしまいそうで見せにくいが、高台部分、碗の底にある円環状の台座部分とでも言えばわかってくれるだろうか。高台(こうだい)畳付(たたみつき)の内側部分に、かすかに文字が刻まれている。まるで、活版印刷用の活字を押し込んで作ったかのような、同じ横幅の細いフォント。もしかしてこの茶碗も?」
 ガラスカップに文字を書き、また掛け軸を書き、押すための落款を持ってるぐらいだ。ここまで来たら、茶碗の一つや二つ、彼女の祖母が作っていてもおかしくないだろう。

 俺が聞くや否や、姐さんは俺を軽く皮肉った。
「良かったね、ジョーキ。傷牌(ガンパイ)盲牌(モウパイ)、アンタ、学校辞めて麻雀で食べていけるよ?」
 おーおー、この姐は好き勝手に発言しなさる……。俺は、建築の道に進みたいのだが。しかし今は、正座のままやり過ごす以外になかろう。

「――金剛寺兄弟のお察しの通り、今、金剛寺兄弟の左手の上にある黒い茶碗――祖母は黒樂(くろらく)と呼んでいましたが――それは祖母の自作の茶碗です。素人ながらも一般的な黒樂に限りなく似せて作りました。加茂川黒石の鉄釉等、可能な限り準備して。ただ、焼いたのは楽園町よりも東の山中にある、十字市内の窯です」
「ほほう、こんなところにも窯があったのか」
「ええ。このあたり、この楽園町を含め、少し前まではただの山の中でした。キジが飛び、イノシシが闊歩する世界だったそうです。ここよりも、もっと東側の山の斜面には多くの窯があり、鎌倉時代以降、ここ一帯で多くの陶器を作っていたのは、兄弟姉妹もどこかで聞いたことのある話だと思います」
 確かに、この十字市の東、ユキの通う聖中があるところは、日本屈指の陶器・磁器の産地だとは知っている。さらにそれを東に行けば、瓶白市。そこではもっと別のモノを作っている。

「なるほど、陶器の産地には窯は切り離せない。そこで瓶白のお婆さんは、この茶碗を焼いたと」
「そうです。ただ、祖母は単に悪戯好きの面もあるので、書いてある文字は、お気になさらないでください。いつもの、悪ふざけだと思います」
 そうだろうか?それにしては、俺が呟いたときの瓶白の動作(リアクション)、ただ事ではなかったが。

「しかし、今まで気づきませんでした。まさか高台の内側に字が彫られているなんて。後で、私もゆっくりと観てみます。
 ちなみに、樂茶碗には黒樂と赤樂があり、利休の指示で瓦職人に作らせた、と言われています。利休は、特に黒が好みだったそうですよ。今、金剛寺兄弟がお持ちの黒をもって〝黒は古き心なり〟と言葉を残すぐらいに。
 さて、樂茶碗はちょっとした特徴があるのですが、兄弟姉妹、お気づきでしょうか」
 俺と姐さんは、この黒い茶碗をしばらく眺めてみる。
「表面がゴツゴツしてる?」
 姐は答え、俺も続く。
「口縁のあたり、この、人の唇が触れるところだが、よく見ると平らにはなっていない。波打っていて、軽く五カ所の山のような突起がある」
「さすが兄弟姉妹はお目が高い……実は樂茶碗、まずは手(づく)ねで元となる茶碗を大雑把に作り、その後、(へら)で土を削って整えます。口が触れる部分の五つの突起は〝五山〟と言います。ろくろを回すわけでもなく、型に入れる方法でもなく、丁寧に手で()ねて作るのです。そのため、表面がゴツゴツしているのは避けられません」

「それで〝神の御名にてこれを練る〟か。アダムも茶碗も、元は泥だな」
「おそらく、祖母のことです。神を称え、その名の通り何かを祈禱しながら、あるいは創世記を思い出しながら一心不乱に作ったのだと思います。なにせアダムは大量生産ではありません。創造主による一点物。
 樂茶碗は、手捏(づく)ね以外にも、大量生産に真正面から逆らう製法、手間のかかる製法、壊れやすい製法を意図的に採用しています。黒釉薬は十回以上の重ねがけ。高台には釉薬をかけず、折角の茶碗を(もろ)いままにします。窯は、一度に一個、多くも数個の茶碗しか焼けない専用の小型室内窯。(ふいご)を踏んで温度を調整して作るのですから、茶碗の一つ一つに愛情や思いがこもるのは自然なことでしょう。一椀、一椀、全部形は異なります。
 ちなみに、この黒い茶碗に祖母が与えた銘は――恋する娘は死んでしまう、との書くのですが――〝恋娘(こいめ)――()す〟だそうです。ひどい名前ですよね」

 俺は触れなかったが、〝神の御名にてこれを練る〟の次の部分、〝あなたがたは決して死ぬことはないでしょう〟が正直気になっていた。

 〝Ye shall not surely die〟

 ここだけ読むと日本人感覚では〝不死〟だなんて〝縁起がいい〟ようにも見えるが、その真逆である。これは、創世記3:4で、蛇がイブを(そそのか)すために言った台詞そのままである。例の〝知恵の実〟を食べさせるために。おそらく、この事は、茶室の三人全員が気づいている。だが誰も、彫られたもう一つの文章に、深く触れることはできなかったのだ。闇が深すぎる。まるでこの、真っ黒な茶碗のように。


「あれ、ところで私、何しようとしていたんでしたっけ?」
 天然瓶白がボケるので、伝えておく。
「瓶白は、姐さん用の茶碗をとりにいくところだったよ。引き留めて悪かった」
 瓶白がポンと手をついて、そうでした、と言いかけた頃、姐が口を開いた。
「待って、瓶白さん。前言撤回してもいいかな?アタシも……同じ茶碗で飲んでみたい」
 俺を病気持ちだのなんなのと野次った姐さんを、少しからかってやろうと思ったが、その顔は、かなり真剣だった。……仕方ない、〝おっと金剛寺君、ここでスルー〟としてあげますか。

「もちろんです、牛王姉妹。それでは金剛寺兄弟、言い忘れてましたが、飲み終えましたら、茶碗の飲み口をこの〝濡れ茶巾(ちゃきん)〟で拭き清めてください。拭き終えましたら、茶碗を正面に戻してください」
 瓶白は、事前に濡らされた白い布が三つ乗った台を、俺の前に出した。これが濡れ茶巾か。俺は一つそれを取り、指示通り拭いた。
「では次は、お客様の兄弟姉妹同士、正座のまま膝を少し移動させ、互いにやや向き合う形に。それから、手渡しで、茶碗を渡してください」
 毎日一緒にいる姐さんとはいえ、微妙に照れる。茶碗を渡すときに、気をつけていたのだが、互いの指が少し触れ合い、俺はしまった、と思ったので思わず全身がビクッとしてしまった。仏教で言うところの女犯(にょぼん)。女性に触れてはならない身でありながら。
 なお、もっと厳しいルールを適応するところだと、女性と二人で密室にいるだけでもアウト。

「ジョーキ、また女犯の罪とか考えてるんでしょ。何を今更!アンタは、肉食・生臭(なまぐさ)のくせに。
 ところで、ビョーキでないって宣言、とりあえずアタシは信じてあげるからね」
 押しつけがましいセリフを言いながらも姐はあきれて笑う。その後、姐からは微笑が消え、一瞬躊躇(ちゅうちょ)しながらも濃茶を飲んだ。やはり躊躇するのかと思い、俺は少し笑みを浮かべた。

「今日のお茶も、山城・和束産のお茶です。季節的に新茶ではなく、香りなどは今ひとつだったかもしれませんが」
 瓶白はそう申し添えた。いえいえ、とんでもございません。

「濃茶ってこんな味だったんだ。お薄は飲んだことあるけど、これは初めて!見た目はグリーンスライムみたいだけど、結構癖になるかも。どこかで青海苔の薫りもする。そして、後味が嘘のように甘く、舌を締め付けるような感覚」
 姐さんが感想を言い終えると、そろそろいいかと、俺はツッこむ側に回った。
「姐さん、よく飲む気になったね。あれだけ嫌がっていたのに。ビョーキ持ちの俺の後だよ」
「ビョーキはさておき、アタシさっき、気づいちゃった。この濃茶の飲み回しの意味に。いえ、その前の、マジパンの主菓子(おもがし)も意味があったんだ。この窓、この香り、そして茶碗の五山……瓶白さん、とにかくそういう事(・・・・・)なんでしょ?」
「はい、牛王姉妹。そういう事(・・・・・)なんです」
 ちょっとまて、俺だけついて行けていない。そういう事(・・・・・)って何だ?

「記憶馬鹿のジョーキも、さすがにコレはわかんないか。アタシは小分けされたブドウジュースでの二種陪餐(ばいさん)だから、気づくのちょっと遅かったけど、カトリックの瓶白さんなら、朝飯前でわかるよね」
「なんということでしょう、あの金剛寺兄弟に、わからない事があるなんて!」
 こらこら、二人で俺をイジるな。

「俺にだって……わからないことぐらい……ある……。いっぱいある」
 嘆いた俺に、姐は軽くツッ込んだ。
「な、なんだってぇ!ジョーキ!(棒読み)」

---
作者コメント
 利休や聖餐の話、松尾バイトさんのオハナシとかぶってしまいました。すみませんm(_ _)m

 男女間で濃茶の茶碗を手渡しするのは、裏千家となります。表千家ならば、男同士の間だけ手渡しとし、男女間、女同士の場合、畳に置いて茶碗を送るそうです。(そもそも茶室は、基本的に昔は女人禁制でした。)

樂茶碗の五山に関しては、しゃべログの方に、写真を載せています。ご参考までに。
http://shabelog.com/blog/glock17/

◆作者をワンクリックで応援!

0人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ