ブラの名前

エピソードの総文字数=2,933文字

 安土める子が短大を出て就職したのは、ヴィクトリー・ファッションという大手衣料品メーカーで、それでもすでに入社して十年以上が過ぎているので、社内でも大きなプロジェクトを任されるようになっているという。
 める子の性格なので、緒突猛進で24時間戦えるタイプのキャリアウーマンとすれば、既に大きな仕事を任せてもらっていたとしても全く不思議ではない。
 新幹線の車内では、喉が渇いただの言い出して、ワゴンのお姉さんを止めて缶ビールを購入なさった。
 すぐにブシュッとプルタブを空けては、昼間っからぷはあ、とやっている。
 それよりも気楽などからすれば大きなお世話ながら、こいつは結婚とかしないのだろうか、とも思う。まあ、こんな状態なら、それは無理だというものだが。
 しかし、
「それはあんただって同じでしょ」
とどうせブーメランが戻ってくるので、その手の話は妙齢の女子には禁句だと痛感する。
 思えば一昔前なら、気楽ほどの歳になれば結婚のひとつやふたつ、(いやふたつは筆の勢いだが)既に結婚しててもおかしくないのだが、幸か不幸かそういった浮いた話や出会いもなく、神学一筋でここまで来ている。
 ああ、そんなことを専門にしているから、中世の修道士のごとく学究の塔に閉じこもらなければならないのかもしれない、と気楽は自らの身を嘆くのだった。
 
 さて、話がどんどん脱線するが、める子の話はこうであった。
「でね、今年うちの会社では超画期的な下着のシリーズを開発して、それをこの秋のコレクションに出品する段取りを進めていたのよ。あたしがプロジェクトのリーダーで、部下が10人ぐらいいるんだけど、もう試作品をできて後は最後の調整とコレクションに出るモデルにスタイルを合わせてゆく最終段階まで来ていたのよ」
「ほうほう。それで」
「でね、今朝よ今朝!出勤してみたら、そのプロジェクト一式をしまっていたロッカーがもぬけの殻で、写真の通り聖書が一冊ダイイングメッセージのように置かれていたのよ!」
 いやいや、誰も死んでない死んでない。
「そんなもんただの窃盗だろうが。ケーサツに言えばいい」
「ダメよ!」
 そこは強く主張するめる子だった。
「絶対だめ。警察沙汰になったりしたら、メディアが飛びつくに決まってるじゃない。ネガティブイメージがついたら、うちの社にとっては大打撃よ。それもコレクション直前で、いい恥さらしだわ!だから、内密に犯人を探して、一刻も早くプロジェクト一式を取り戻さなくちゃならないのよ!」
「で、そのコレクションとやらはいつなんだ?」
 何気なく尋ねたことを、気楽はまたしても後悔した。
「一週間後」
「い、いっしゅうかん?!」
「だから急いでるのよ!もちろん、もう一度作り直そうともしてるわよ。でも型紙からデータから、サンプル生地から全部すっかり盗まれたのよ!これからもう一回デザイナーに再現してもらって、パタンナーに型紙やら布裁(だ)ちやらしてもらっても、数日は絶対かかるじゃない。間に合うかどうかギリギリ。それなら同時並行で、ブツを取り戻したいってわけよ」
 なるほど、そりゃそうだ。データから一式盗まれたのなら、再現するのもおぼつかないかもしれない。
 社の命運がかかる作品だというのなら、警察沙汰にしたくないのもわからんでもない。
 それにしても犯人は内部犯行なのか?それともライバルの会社が、嫌がらせでもしているのだろうか。それよりも何よりも、なぜそのダイイング(死んでない)メッセージが聖書なのか!これは確かにミステリー不思議発見だ。

「そこよ。だからあんたを急遽呼んだわけ。あたしたちだって、内部犯行か、裏切り者がいるのかとか考えたわ。もちろん、ライバルの会社のスパイがいるんじゃないかとかも。でも、聖書がひっかかるのよ。あれは何のメッセージなんだろうって。きっと何か犯行の意味があるのよ」
 める子の言うのももっともである。犯人が実際に誰なのかはともかく、「なぜ聖書を置かなければならないのか」は、最大の謎だ。それとも警察の操作を見越して攪乱しようとした、とでも言うのだろうか。
「だからね。東京についたらすぐ現場を見てほしいの。社内には戒厳令を敷いてあるわ。社長の鶴の一声で、今日一日は休みにしてあるから、まだあたししか起きていることを知っている者はいないの。もちろん、犯人がチームの内部の人間なら、感づくでしょうけど。あなたを呼ぶことだけは了承してすぐこっちへ向かったの。聖書学の天才、あのラングドン教授を凌ぐ名探偵って吹き込んであるからそれっぽい感じでお願いするわ」
 ラングドン教授が、愚鈍どころか気楽なんかよりはるかに聡明な学者であることは言うまでもないが、彼が何者かについてはこのあと一切出てこないので気になる読者はぜひネットで検索していただきたい。
 それはいいとして、
「やれやれ、おたくの社長も気の毒だな。俺には役に立てるかどうかさっぱりわからん」
 そう言うと、バカ!と怒鳴られ鉄拳が飛んできた。
「役に立つのよ。絶対に、社運もあたしのクビもかかってるんだから。何がなんでも見つけだして」
「えー?!それは無茶な」
「アホ、ボケ、カス!いいこと!解決するまで帰さないからね!」
 ななな、なんということを。今週いっぱい休講にされたら、商売あがったりだし、上司の教授にこっちがドヤされる。
「わ、わかった。できるかぎりのことはしよう」
 そう力なく言って、気楽はうなだれた。
「ところで、企業秘密なのかはしらんが、言える範囲で教えてくれ」
「なあに」
「……その、その下着はどこがすごいんだ」
「まあ、いやらしい!何を想像してるのよ!」
「ちがう、って。ちがう、っちゅうねん!もしかしたら犯行に関係あるかもしれないから、訊きたかっただけだ」
「本当に?……いいわ。教えてあげる。今回のうちの下着はとくにブラジャーに新しい技術が盛り込まれているのよ」
 さすがに、企業秘密らしくめる子はひそひそ声になる。
「技術的なことはさておき、そうね。キャッチフレーズは、『誰もが思わず振り向くスタイルブラ』って感じね。その名も」
「……その名も?」
「誰もが振り向く『ミカエル』シリーズ!」
 ……駄洒落やないかーい!とつっこみたかったが、それもぐっとこらえる。しかし気になる点もある。
「ミカエル、か。聖書にある神のみ使いの名前ではあるな。また聖書がらみか……」
「そうね。大人の事情で、『み使いのとか、なんとかなブラ』は使えなかったのよ。どこぞが登録商標取ってるから」
 こらこら、この物語はフィクションで、どこかの団体や企業などとはいっさい関係ないんだから生々しいことを言うでない。
「それにしても、『聖書ゆかりの下着ブランド』に、『置かれていた聖書』ってことは、犯人には何か明確なメッセージがあるんだろうなあ」
「それよ!だからあんたが必要なのよ」
 えっへん!と胸を張るめる子である。もはや、その先見の明がすごいだろうと言わんばかりである。
 そうこうするうちに、新幹線は早くも東京駅へすべり込もうとしていたのであった。

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