『みじょかもんの祈り ー 心の貧しい人は幸い? ー』

02. 「トイレと友達になった日々」

エピソードの総文字数=1,783文字

2009年の春から始まった東京での教員生活は・・・日々、自分の力不足を感じた。

「先生って、モテなそうだから、彼女いなかったでしょ?」
「五島列島って、どこ?日本?」

どの学校に行っても、生徒から受ける決まった質問だ。
受け流すところは受け流す。
しかし、あまりにも受け流しすぎるとコミュニケーションが取れなくなるので、真面目な内容には答えていた。

当初は、余裕をもって対応できていた。

4月当初は、生徒よりも私の方が新人である。

生徒は、「自分たちの方が、この学校のことを知っている」という自負心がある。
それを傷つけないように、偉ぶらず、学校について教えてもらう姿勢を持ち
だからと言って、教師という揺るがない存在であることを示さなければならない。
このバランスが誤ると、最悪な一年になってしまう。

「何とかやっていけるかな」。

そう思っていた。
しかし、あるクラスでつまずいた。
そのクラスでは、私の注意することが全く通らなかった。
その学年は1クラスしかなく、中学生3年生が30名だった。

3年間クラス替えがない場合、その中に数名の悪ぶっている生徒がいれば、その空気に引きずられるように全体も険悪な雰囲気になってしまう。
私の力量が足りなかったのが大きな原因ではあるが、4月の終わり頃、小さなストレスになっていた。

教師の仕事は、授業だけではない。
部活や事務仕事、生徒指導など多岐に渡る。

「森先生、これやっておいて。」
「これと、これと、あ、これもやっておいて。」
と、先輩から仕事を依頼される。

これまでの学校とは違い、今回の学校は信じられないほど業務が多かった。
いくつもの分野の先生が、代わる代わる仕事を依頼して来る。
先輩の先生方に質問したい時、大抵、授業に行っている。

数ヶ月を過ぎたくらいで、気持ちと体力にズレを感じてきた。

生徒の、ちょっとした茶化すような言葉に敏感に反応してしまう。
小さなストレスだった先ほどのクラスが重荷になってきた。

本当に、大したこともないような内容にも、心が折れそうになった。

積み上がっていく仕事。

夜が憂鬱になっていった。

次の日の仕事について、寝るまで考える日々が続いた。

「先生、顔色大丈夫?」と心配してくれる生徒もいた。

朝から栄養ドリンクを飲み、なんとか1日を乗り切ることも多くなる。

誰かに仕事の相談をしたくても、先生方は、周りにいない。

朝が、だんだん辛くなってくる。

そんな日々を送る中で、生徒との関係も悪くなった。
少しでも生徒が私語をするものなら、ひどく注意する。

「邪魔をするなら、授業に出なくてもいい!!」
生徒の授業態度に過敏に反応するようになっていた。

少しずつ、疲労が溜まっていく。
家に帰ってから授業準備ができない。
やる気がしない。
コンビニの弁当を食べ、シャワーを浴び、寝る。
だんだん、部屋も散らかってくる。

ベットの上で考えることと言えば、

「次に何か仕事を任されるのではないか。
催促があるのではないか」
ということばかりだ。。

少しずつ、自分の体に異変を感じていく。トイレが近くなっていっている気がしていた。
学校でも自宅でも、その間隔が短くなっていた。

半年経った、ある朝、激痛で目が覚めた。
下腹部がギュルギュル鳴る。大腸が激しく動くのが分かった。こんな経験をしたのは、初めてだった。
痛くて辛くて、仕方がない。
ベットの上で悶絶する。
ギュルギュルギュルという音は、鳴り止むことなく、トイレに行くよう促してくる。

トイレに行く。
ひどい下血だった。
血で便器が真っ赤になった。
ゾッとした。
癌にでもなったのではないかと疑ってしまう。

ベットに戻る。
戻った途端に、トイレに行きたくなる。
また、トイレに行く。
また、ベットに戻る。

何度も赤く染まる。

最初は数分毎だったが、少しずつ、落ち着いていった。
油断していると、またトイレが近くなった。

もう、ベットに戻るのは面倒になる。
体を起こしておくのも、辛かったので、横になってトイレのドアの側で寝ていた。
冷たい床板だったのを覚えている。

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