放蕩鬼ヂンガイオー

7「あのときと、一緒だ……」

エピソードの総文字数=1,767文字

 大通りから、車の走る音がちらほらと聞こえてくる。

 燦太郎は、窓から差し込む薄暗い明かりに目を細めていた。

 オレベース二階の自室は、ひどく冷え切っている。
 早朝のはずだが、昨晩から降り続いた雨がやんでいない。爽やかとは程遠い朝だった。 

「んぐもぐ。あいつ、挨拶もなしに帰りやがった」

 おでん缶に残っていた玉子を頬張る。好物だが、全く味がわからなかった。

 最初は冷蔵庫でも漁っているのかと思った。
 トイレにでも行っているのかと思った。

 そう期待しながらも徐々に不安は増し、店中を探し回ってきたあげく、ヂンガイ本人の私物が全て消え去っていることに気付いたのが今だ。

「昨日のこと、あやまれなかったな……」

 後悔が胸中を満たす。
 この後悔は、本当にあやまり損ねたことに対する後悔なのだろうか。

 大きくため息をついて、窓から外を見渡した。路地には誰の人影もない。

「ヂンガイも帰っちゃったし、俺も元の生活に戻らなきゃな」

 雨の勢いはますます強くなり、排水溝が溢れて道路を水浸しにしていた。

 深く眠っていた記憶が掘り起こされる。
 幼少時、くまりを助けたときに見た景色が。家族を泣かせたときの映像が。脳裏に連続でフラッシュバックした。

 体の心から震えがこみ上げてくる。
 永らく感じていなかったトラウマの兆候だ。

 秋葉原が水浸しになること自体も久しぶりだが、昨晩から感じている漠然とした不安にメンタルを弱らせられているような気がした。

「くそっ、こんなときに」

 振り切るようにして目を背ける。

 一階に下りようかと足を踏み出したとき――不意に部屋が暗くなった。

 いくら大雨とはいえ、ここまで曇ることがあるのか。不審に思って振り返る。


『――久しぶりだな、小僧』


 一瞬、何が起こっているのか理解が出来なかった。

 目の前に、自分の部屋の中に――ヂゲン獣シシドクロがいる。

「なっ!? おまえ、あのときヂンガイに倒されたはずじゃ……!?」

 こちらの驚愕とは逆に、シシドクロは落ち着いた様子で笑っていた。

『貴様があの放蕩鬼に入れ知恵をしていた人間だな。なかなか良いマイナスの記憶を持っているようだ。我らの邪魔をした仕置きも兼ねて、貴様のトラウマを使わせてもらおう』

 燦太郎は顔面を手の平で掴まれ、そのまま強引に宙へと持ち上げられた。

「がッ!? やめろッ! このッ!」
『――さあ、貴様の絶望を我に与えたまえ! ダークブキナイズ!』
「うあああああああああああああああああああああああッッッ!」


   ●   ●   ●

 
 意識を取り戻したとき、部屋に、シシドクロの気配は残っていなかった。

 吐き気がする。それ以上に寒気がする。

 全身全霊の力を振り絞ってまぶたを開けると、視界が真っ白だった。

 部屋中に雪が積もっている。

「なん……だ、これ」

 突然の雷鳴に部屋が照らされる。

 全身のけだるさに耐えながら起き上がり、足を引きずって『氷漬け』の窓までたどり着いたところで自分の目を疑った。

「嘘だろ……」 

 町中に、秋葉原中に。
 水と氷と雪が溢れかえっている。

「あのときと、一緒だ……」

 声が震えている自覚があった。

 トラウマと同じ……いや、そうではない。
 トラウマのイメージを元にして、それを何倍にも増幅したような悪趣味な光景が目の前に広がっているのだ。これで正気を保てる人間など居るのだろうか。

 排水路は水没し、屋根や路地は積雪し、ところどころに氷で作られた結晶の柱が生まれている。

 そこら中の家々の窓から人々が顔を出し怒号を上げていた。

 視線を追ってみる。秋葉原駅の方向だ。駅のはるか上空に、黒く巨大な積乱雲が渦巻いている。

 目を凝らすと、その直下にシシドクロが浮かんでいた。

 欠損した体を雪や氷で補って、半身以上を無機物と化したライオンが、空から下界を見下ろしている。

 あれが大量の豪雨を降らし、また信じられないスパンで町中に雷を落としているようだ。

 シシドクロが町中に響き渡る声で吼える。

『我はヂゲン獣シシドクロ。放蕩鬼のいなくなったこのヂゲンを滅ぼす者だ』

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