『みじょかもんの祈り ー 心の貧しい人は幸い? ー』

04. 「みじょかもんの祈り。」

エピソードの総文字数=1,692文字

「あははっ。そげんね。あんた楽しかねぇ〜。」なんて嬉しい言葉をもらう。
次の日には「あんただいね(あなたは、誰なの)?」と同じ人に言われる。

私のことを忘れている方もいれば、
私のことを覚えている人も。
そういう世界で、今、実習しているのだ。

半身麻痺の方も、いつもニコニコ笑いながら自分で体を起こし、午後の決まった時間に歩行訓練を一生懸命にする。
居室を巡回すると必ず声をかけて下さる方。

「みじょかー」と思う瞬間は、沢山あった。

私には、この2年間で1番強烈な出会いをした人物がいる。
それが、この話のタイトルにもなるFさんだ。

普段、無口だが、私が近くに寄ると少し笑みを浮かべ、こちらがお願いすることをして下さる方だ。
80歳くらいのご婦人で、認知症を患っている。
体に麻痺はないが、歩行が困難で車椅子を利用される方だった。

その方の棚にキリストの絵とロザリオが置いてあった。
「Fさん、もしかして浦上の信者さんなんですか?」と共通の話題が見つかったことに心が踊った。
普段、何を話しかけても反応がなかったので、嬉しかった。

浦上教会とは、長崎の「カトリック浦上教会」のことで、原爆地に近かったことで修学旅行生が、よく平和教育の一環として訪れる場所であった。
ロザリオは、仏教の数珠に似ていて、カトリックの人の祈りの道具である。
浦上の出身だということは、その方の名前が浦上教会周辺によくある名前だから推測した。
「・・・・・」
返事がなかった。
もしかしたら、触れられたくない部分だったのか。
それとも、人から話しかけられるのが嫌だったのか。
はたまた、認知症で、何を私が話しているのか分かっていないのか。
反応がないかもしれないなと覚悟はしていたが、せっかく見つけた共通点で話が続かなかったので、ちょっぴり切なかった。

20日間の第3段階が終盤に差し掛かった頃。

ある日、施設のフロアを覗くと黒い服を着た人がソファに座っているのが見えた。
首にはブラウスの襟の真ん中に白いプラスチックをはめている。

それは、カトリックの神父さんだった。
良くないこと続きで、気持ちが神から遠ざかっていた私は、教会に通っていなかった。
だから、神父さんを見た時、後ろめたさを感じた。

その神父さんの前のソファに小さな姿が見えた。

それは、Fさんだった。

いつものパジャマではなく、外行きの服装になっていた。

小さな体を、さらに前かがみになることで小さくしている。
「前かがみになって、何をしているのだろうか」。
彼女の姿を、少し遠くから足のつま先を立てて見つめる私。

–−– 瞬間。
身体中に、熱いものが駆け巡った。
手や足の先から、血の熱さが中央に迫ってくるような感覚。
そして、私の心で、暖かな何かが弾けた。

神父さんとFさんは、一緒に祈りを唱える。
神父さんがFさんの頭上に手をかざして祝福の祈りを唱えていた。
両手の平の傘の下で、Fさんは前かがみになった体を、更に前倒しにする。

その時のFさんの目を瞑った時にできるシワ
Fさんの崩れず、指を立てて合掌した形。
手のシワ。

‥‥総合して全てが美しかった。

本当に、美しかった。
こんなに美しい祈りを見たことがなかった。

胸が熱くなるような人を感動させる祈りの姿を見たことがなかった。

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