いかに主は導きたまうか。

6. Rubicon 夜に渡る。

エピソードの総文字数=712文字

  ある夜にある機会が訪れる。ぼくは自室にいた。眠ってなどはいなかったが、しかし夢の中の出来事のようだった。内容はある選択を行ったのだ。
それはキリスト者となるかならないかの選択だった。記憶は朦朧としている。自分以外の登場人物はいない。どこかへ移動していた感があった。場面の転換があったので。そして一線がありそれを越える越えないの選択の機会が用意されていたのは強く記憶に残っている。ボクは渡った。その選択は理屈や確信からではなかった、機会があるのでただ渡ったとしか言えない。迷い、恐れが一瞬確かにあった。だが強引に選択し無謀にも無思慮にも遂げさせるボクがあった。迷いはないとするボクがあった。確かに天の存在があることはもう認めない訳にはいかない。だが、その存在は、あのキリストに関するものだろうか?そうこれは帰納法としての結論だったのだ。
”Probably it follows. ”(そうなる)だ。
ボクは、これを自分の洗礼(入信)として認識している。
すべては意識下の出来事だったのかもしれない。

追記: Last Supper
少し時が経ってから、一度だけ過去への幻視を経験する。観たのは(観せられたのは)[過越の食事]だ。人物は観ていない。確かに”あの時”は在ったのだと、ボクが確認できるようにとの計らいだったのだろう。このとき以来、過去も未来も観えたことはない。最初で最後の経験だろう。

誰かとの話題で、どこぞかの偉い仏教僧がキリスト教に改宗しただののニュースがあった。ボクは「仏教は叡智(Wisdom)、キリスト教は救済(Salvation)」と言い、「ボクはただ救われたい。それだけ。」と話していた。

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