ブラの名前

エピソードの総文字数=3,909文字

 長崎は今日は晴れだった。

 それも抜けるような青空で、快晴というよりほかはない。誰だ、長崎はいつも雨だとか言ったのは。いや、それより何より、こんな話をしている気楽の精神年齢の親父臭さがバレるというものだが、そこはホレ。うら若き女子たちにはスルーしてほしいところだ。
 結局、羽田発長崎行きの飛行機最終便に滑り込み、とりあえずは長崎市内の安宿に転がり込んでは、翌朝列車とバスを乗り継いで平戸へ向かった。
 長崎、大村、佐世保、それから松浦から平戸。天草灘、大村湾、五島灘、四方とは言わないものの、ほぼ三方を海に囲まれた長崎県は、日本のキリスト教の歴史と深い関わりを持っている。
 長崎の大半が海に向かって開かれている、ということはすなわち、この地が諸外国との交易の窓口であったことに直結する。
 戦国時代に、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが薩摩を経由してやってきたのも平戸であったし、のちに江戸時代にはオランダ商館やイギリス商館も平戸に建てられた。
 車窓を流れる海また海の景色を見ながら、気楽も思わずこの地の歴史に思いを馳せる。
「ここが、ご先祖さまの最期の地か」
水道の対岸に見えてきた平戸島。三浦家のルーツとその昔祖父に聞いたイギリス人航海士、三浦按針と日本で名乗ったウィリアム・アダムス終焉の地もまた、平戸であったのだ。
 事件の鍵と、自らのルーツが錯綜するこの長崎平戸の地。気楽自身や、その家族はすでに平戸とは縁もゆかりもない関西で過ごしてきたが、こんな形で平戸へ来ることへなろうとは、これも神の思し召しかもしれない、と思った。

 神学者としてみた長崎の地も、また興味深い土地である。
 そもそも、ザビエルが西洋からわざわざこの東洋の端っこである日本へ向かおうとしたのも、今度はキリスト教そのものの歴史とも大いに関係があるところであった。
 救世主イエスキリストと、その直系の弟子たちの伝統を受け継いだと言われるローマ・カトリック教会に対して、ちょうど日本の戦国時代にあたる16世紀に、マルティン・ルターが宗教改革を唱え、プロテスタントが始まる。
 危機感を覚えたカトリック教会が、世界への布教を目指して大航海を始めるのが、日本へのキリスト教伝来のベースにある、というわけだ。
 それから、九州地方の戦国大名がキリシタンとなり、カトリックの信仰が特に長崎地方の庶民にも広がってゆく。
 百姓一揆の思想的ベースとして天草四郎が神の使いとして祭り上げられた島原の乱も、キリスト教信仰が広がった故の悲劇であった。
 徳川幕府にとっての脅威となったキリスト教、すなわちキリシタンの信仰は、この一揆の後急速に弾圧されることになる。
 宣教師が追い出され、鎖国が始まり、そして、日本中のすべての民が「キリシタンではない」ことを証明しなくてはいけなくなったのだ。
 める子でも知っていたあの「踏み絵」も、そのためのツールであった。キリスト教を捨てさせるために、幕府は罪なき人々を拷問にもかけた。
 また、気楽の作成したテストにもあったように、日本人のほとんどすべてがどこかの寺の檀家となり、また各家の仏教徒としての宗派なるものが定められたのも、その裏にはキリスト教弾圧があったのだ。
 「宗門人別改」というシステムにより、すべての民がの仏教の宗派に属することにされてしまった。その宗派に応じて今でも各家の葬儀や法事が行われていることを知れば、初期キリスト教、つまりキリシタンとの関係と自分の家の宗教のルーツが戦国時代にあるということをおのずと思わざるを得ない。それはあるいは誰にとっても驚くべき歴史であるのだ。

 長崎の人々は、そんな苦難の歴史においても、信仰を守り続けてきたのだ、と言える。
 キリシタンはそののち地下へ潜り、聖書の神やイエスキリストは仏教のふりをしながら隠れて祭られ、しだいにその信仰も土着のものへと変化していった。
 それでも、信教の自由を得てから、本来のカトリックの信仰へ戻った者も多く、それが長崎のキリスト教信者の多さへとつながっている。
 勝とし江が、この町で生まれ、幼少期を過ごしたということは、そういう歴史を背負っているということもでもあるのだった。

 平戸の町は、岬の先の丘にそびえる平戸城をランドマークにしながら、湾に向かって開けている。現在でもオランダ商館が復元されて再建されたり、ザビエルを記念する新しい教会などの姿もある。
 しかし、気楽の目的地は、もう少し町外れの小さな集落だった。
 昨日、める子と別れてから、ヴィクトリー・ファッション社内でいくつか調べものをして、社史と社長の伝記やインタビュー記事のストックから、勝とし江が幼少期に住んだ地域を特定した。そして、彼女が通ったであろう教会を訪ねることにしたのである。
「謎のヒントは、きっとこの、平戸にある」
 気楽はそう確信している。もう、真犯人の姿も、おぼろげながら見えている。
 しかし、その証拠は、おそらくここに来ないと見つからない、と考えていた。
 赤煉瓦造りの古い教会、その大きな木造の扉を開けて、気楽は神父を訪ねた。

「60年前のことですか!そりゃまた古い話ですね!」
 教会の若い神父は、気楽を歓待してくれたものの、直接とし江がここに通っていた頃の話は知らない、という。
 色鮮やかなステンドグラス、高い天井のアーチ、整然と並ぶ長椅子。とし江が少女だった頃から変わらない光景が、穏やかな佇まいとして時が静止したかのようにそこにあった。
「市内にもたくさん教会はありますが、うちなんかはその中でもかなり古い方です」
 よもやま話をするうちに、神父は
「日本で一番古い教会は、長崎市の大浦天主堂なんですが、江戸時代の末期、まだ将軍が慶喜になる前のことです」
なんて話をしてくれる。
「こちらも、古い天主堂とお見受けしましたが」
「ええ、1900年代の初期に、フランス人神父が町の信者たちと力を合わせて教会を建てた、と伝え聞きます」
 長崎の古い教会には「天主堂」という名で呼ばれるものも多い。天主とは、聖書の神のこと、すなわちヤハウェであり、エホバのことだが、カトリックではその名を秘匿して「天主(デウス)」と呼ぶのである。

 それから、神父は市内の信者で、昔のことを知っていると思われる古老のことを紹介してくれた。気楽は丁寧に礼を言って、天主堂を後にする。
 しかし、少し思い出したことがあって、立ち去る寸前に、神父に尋ねた。
「ああ、そうだ。これに、見覚えはありませんか?」
 手持ちのスマホから写真を拡大して見せる。
 すると、以外にも神父は驚いた声を挙げた。
「ああ!これはすばらしい。私も同じものを持っています。といっても、私は使ってはいませんが、先代の父から受け継いだ品の中にあったので」
 奥から彼が持ってきたのは、小さな十字架であった。
 金属をとても薄く加工して、しおりのように仕立てたものである。
 そう、これこそまさに、現場に残されていたあの、しおりと同じものだったのだ!
 気楽は内心驚喜した。これこそが、彼の信じた事件の真実を示す道しるべであったのである。
「こ、これは、どういう経緯で作られたものですか?」
 気楽が訊くと、神父は、
「よくは知りませんが、それこそ随分昔に、信者さんの中に腕のいい職人がいて、こうしたものを作って教会のみんなに配った、と聞いています」
と言う。
 それでも、同じものを大事に持っている人がいるとは!と神父はまだ驚きを隠せないでいた。
 気楽も同感であった。しかし、だからこそこれは現場にあったのだ!
 俺は、思い違いをしていたかもしれない、と気楽は自分の先入観を恥じた。
 神父と別れて、ひたすら平戸の町を歩きながら考える。当初、自分もめる子も、聖書に目を奪われた。それから、その開かれたページに、その箇所にあった聖句に何らかの意味を見つけようとした。
 しかし、そうではなかったのだ!偶像崇拝を禁じたイザヤのことばではなく、真犯人が示そうとしたのは、あるいはそのページに挟まれたあの「しおり」「十字架」であったのかもしれない!いや、そうだ。きっとそうだったのだ。
 だとすれば、平戸の天主堂にも同じものがあり、古い信者たちがそれを持っていたということは、
「あれは、すなわち、とし江社長へのメッセージだ」
ということになる。
 だが、とし江社長も、当初そのことに気づかなかった。気づいたのは、気楽が彼女の出身地を尋ねたあの瞬間に違いない。
 幼少期の記憶と、平戸の町、そして古い十字架のしおりと、今回の事件の真相が、彼女の中で一気に結びついたのは、まさにあの瞬間だったというわけだ。
 事件の核心は、もはやすぐそこにある。もう手の届きそうなところへ、真相が浮かび上がってきている。
「あと、ほんの一歩だ」
 気楽は一人頷いた。わざわざ時間を割いてまでここまで来たかいがあった。後は、真犯人の姿を、明確に捉えるのみだ。
 その犯人を、きっとこの町の古老は知っているに違いない。その人物の名を、この町の古老から聞くことができれば、すべてのパズルのピースはようやく埋まることになる。
「真犯人は、あの人物しかいない」
 そのヒントは、すでに得ている。それを確かめることが、ここでの仕事なのだ。 
 気楽の推理が、確信となり、そして全てが明らかになるのは、あとほんのわずかのことだった。平戸の町の日差しが、気楽に照りつけるように高くなっていた。

◆作者をワンクリックで応援!

0人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ