頭狂ファナティックス

第二章を書き記すにあたって

エピソードの総文字数=4,706文字

 賢明な読者諸君ならすでに予想がついているだろうが、この物語はこれまで語られた章とこれから語られる章ではその趣が大きく異なる。このような断りを入れるのは、私たちがこの物語を実際よりも難解に、または平易に語るつもりはなく、あくまで私たちの物語そのものとして書くことに神経をすり減らすほどに留意しているからだ。よって私たちの主人公の一人である銀太とその周辺の人々からは一先ず離れて、緊急集会のあとに学園全体の学生たちがどのような感想を抱き、どのような考えに執着して、どのような行動を起こしたかを書かなければならない。
 生徒会長である桑折良蔵が日本軍による学園封鎖の理由をペストの隔離だと説明したとき、その言葉を信じたもの、あるいは講堂では不動の時間の単調な繰り返しである日常から明らかに脱線している人生の例外的な時間によって判断する力を奪われていたものの数時間経っても説明の矛盾に気がつかなかったものがいただろうか? 他人を愚鈍だと考えることは独裁者の特権であって、保身的な人間にとっては最も避けなければならない態度である。冬季休業が始まる前の一ヶ月のあいだに、ペストを発症した人間を実際に見たもの、あるいはその感染経路でも潜伏の予感でもよい――とにかくその凶兆を感じたものがいただろうか? そして感染症法により一類感染症に指定されているペストの発症という前代未聞の事態に対する日本政府の対応の横着に気がつかなかったものがいただろうか? その横着はもはや日本政府がペストの発症を学園封鎖の本当の理由を隠蔽するための方便に使ったことを隠そうとすらしていないのを感じさせ、実際に、この封鎖に関係したものの中でのちに真実を知ることになる人間は少ないが、本当の理由は別にあった。日本政府は光文学園に対して、電話や輸送などあらゆる通信手段、そして食料や医療品など生活必需品の運搬を全面的に拒否した。ペストへの対抗手段以前に、人道的にこのような措置があり得るだろうか? この方策ではまるで光文学園を社会、憲法、倫理、実務、あらゆる分野から隔離することが目的であるようで、生徒たちも(もちろん銀太たちも)世界から隔絶された実感を抱いていた。
 しかしここでその真意を明らかにすることは避けよう。これは私たちが読者に対して意地悪をしようと考えているのではなく、すでに表明したとおり、物語の全体を事実よりも難しくも易しくもなく語る心づもりであり、物語には語られるに適切な順番というものがある以上、その原理に従った結果である。読者は来るときが来れば、その真意を私たちの主人公とともに知ることになるだろう。また学園からの脱出を敢行したものには射殺が許可されており、封鎖期間中はあらゆる国の憲法や法律が適用されない荒唐無稽な事実が明言されたことにも触れなければならない。誰にどのような進歩や有益があるのかも知らずに世界から追放されたことを生徒たちに強く実感させたのは、むしろこの二つの決定であり、これらは呼吸が詰まるほど激しいが実ることのない恋慕や不治の病によって生を制限される運命、そして何よりも死に似ており、対決したときに理解することもできず、しかし時間の歩みとともに確かに意識に澱のように堆積していき、ある地点を越えたときに諦観か達観の境地から受容と服従を強いられる現実である。
 学園に閉じ込められたことが否定できない現実となったとき、生徒たちはすかさず反抗的な精神を育み、そして行動に昇華して問題の解決を急いだだろうか? 答えは否であり、物事の進退が、もっと明快に言えば光文学園の秩序が崩壊していく過程は緩慢であった。あの忌まわしき演説がなされた講堂から生徒たちが退出していくとき、彼らは白痴のようであった。そして、その押しつけられた、後天的な白痴は数日間続いたのだった! その緩慢を語るためには、生徒たちが封鎖された学園の中でどのように振る舞ったかを書かなければならない。
 ある生徒は講堂から寮に戻ると、昼食の準備を始めたが、意識的にか、無意識的にか、いつも以上に慣れた手順に忠実であり、食事もこれまでの作法から逸脱しないように神経を使っているようだった。昼食を終えると、実家に帰省する予定で用意をした荷物の荷解きを始め、急ぐこともなくたっぷりと三時間かけて作業を終わらせた。そしてその生徒の部屋は二週間前、期末試験が始まろうとしていたころに戻った。別の生徒は講堂を出ると正門を訪れ、佇立しながら駐在している日本軍を眺め始め、たまに手を振ったり門を揺らしたりして合図を送ったが、視線を送り返されもせず、義憤に駆られることもなく不条理に嘆くこともなく、ただ冬の灰色の空を胸にたっぷり吸いこんだように無心だった。その姿は欲しい洋服をショーウィンドウの前で眺めている人にも見えただろう。そして日が暮れて、日本軍が投光器を駆動させ始めると、授業が終わって校舎から寮に戻るときと変わらない足取りでその場を離れた。このように故意なのか、生物の機能の一つである恒常性がはたらいたのかはわからないが、常識的な日々から脱線しないことに固執した生徒がほとんどだった。もちろん理事会と生徒会に対して反抗的な態度を見せた生徒もおり――そのうちには講堂に姿を見せなかった特別科クラスの一人が含まれる――だがこのような生徒はあくまで少数である。
 光文学園の運営はすべて日本政府から派遣された人間が担っており、すなわち理事会と教職に所属する人々は封鎖された人間というよりも、封鎖した人間であるが、同時に封鎖政策の最前線に立たされおり、彼らもまた学園の中に留まっていた。政府側の人間は学園のショッピングモールとは正反対の方角の外れにある実験棟に陣を敷き、上層部から指示されている封鎖期間に対処できるだけの食料や生活必需品を予備も含めて貯蔵し、政策を現場から押し進める体制を整えていた。五人の特別科クラスの生徒も実験棟の教室を割り当てられ、封鎖期間中はそこで生活を送ることになっており、主な仕事は理事会の決定を生徒に布告することで、生徒会は理事会側とも生徒側とも言える心労の多い立場にあった。理事会は生徒との接触をすべて生徒会に任せて、自分たちは安全な実験棟で上層部から指示された政策を乗り切るつもりだった。
 今しがた実験棟が安全だと書いたが、それは本当だろうか? 現状の生徒たちは後頭部を不意打ちで殴られて眩暈に襲われている状態に等しいが、目がはっきりと見えるようになったとき、逆上して理事会に襲撃をかける心配はないのか? その答えは次のとおりである。日本軍は政府から学園の封鎖だけが職務であり、その範疇を越える介入を禁じられており、そのために敷地内に侵入することもできない。しかし例外があり、実験棟には理事会の警護のために一部隊だけ軍が駐在している。学園は封鎖によって「内」と「外」の明確な境界線が引かれたが、実験棟に関しては理事会、生徒会、日本軍が混在していることによって、学園の内とも学園の外とも言えない曖昧な場所になっており、理事会に襲撃をかける暴挙は、学園からの脱出のために封鎖線を張っている日本軍と対決することに等しかった。ところで本当に哀れなのは商業施設や医療機関の関係者である。彼らは学園と契約を結んでいるが厳密には外部の人間であり、入学条件とは違い、採用条件にコンプレックスの保持者であるという項目はない。つまり自分の身を守る手段も能力もない人間が巨大な権力によって、理不尽にこの封鎖に巻き込まれたのだ。
 そろそろ物語を進めるにあたっての中心を私たちのあまり人生に対して真面目ではない主人公に戻すときだ。さしあたりは銀太が講堂を出たあとにどのような行動を起こしたかを書き記そう。そして「ペストの時代の愛」と副題をつけられた第一部の全体で語られることとは閉鎖された生活が続いていく中で銀太たちが理事会に反抗的な態度を取り、封鎖に対して果敢に戦ったか、あるいは従順を覚えて不条理に甘んじ、ただ生き延びることだけに執心したかなのだ。銀太たち四人は講堂を出ると紅月と綴の部屋に戻った。年相応で精神性に特化しているとは言いがたい銀太たちも白痴にされたのであり、ほとんど呆然としていて帰り道に口数は少なかった。ただ一つだけ話題が出された。講堂で銀太がすでに質問していたが、生徒会の一員である紅月は今回の件について本当に無関係なのかどうかである。
紅月はこのことを知らなかったの? あなた、一応空白組の一人でしょ? 空白組はこの封鎖について一般生徒よりは多くを知っているみたいだけれど。
 楓子は外套のポケットに手を入れて、猫背で幾分前かがみに歩きながら紅月に聞いた。いささか肩を揺らしており、やさぐれているように見えた。
悪いがまったく知らない。俺が普段あいつらと仲良くやってないからといって、この仕打ちはひどくないか? 普通、仲間外れにするか? こんな頓死もあり得ることについてなのに? この様子だと常盤先輩も今回の件には関与していないな。そもそも常盤先輩が学園の中にいるのかも怪しい。封鎖線は深夜に敷かれたらしいが、そのときに学園の外にいればこの事態を回避できたのかもしれない。深夜の外出は校則でも、寮則でも禁止されているが、あの人は規則なんておおよそ守らない人だからな。集会のときにあたりを探したが、講堂には来ていないみたいだった。
紅月ちゃんはもしも事前に事の次第を知っていたら、あの壇上に立っていた?
 言いにくそうに、視線を若干落としておずおずとしながら綴が聞いた。
当たり前だ。食料が配給されないとか、学園から一歩でも出れば射殺とか、おそらくあいつらには適用されていないだろ。生徒会は理事会側の人間だ。安全だって保障されていて、こんなわけのわからない隔離政策に振り回されなくて済むはずだ。
 そう言った紅月の表情は見慣れない感じに強張っていて、いつもの「ひねくれ」のつもりなのか、本心なのかはわからず、三人はそれ以上追及できなかった。
 紅月と綴の部屋に戻ると四人は昼食をとったが、サナトリウムに見られる、嗜好ではなく療養のための食事のように味気なく、まともな会話もなかった。ただ次のことが銀太と紅月のあいだで簡潔に確認されただけだった。
食事が作れるあたり、水と電気とガスは供給されるみたいだね。いまのところは。
今後も供給されると思うぜ。その三つを止めたら、豚小屋の管理をする理事会側まで生活ができなくなるからな。
 偶然だが、もう開かれる見込みもない食事会のために銀太たちは食材を買い溜めしており、節制を心掛ければ二週間ほどは食料の心配はなかった。昼食を終えると楓子は自室に戻り、入れ違いになる形で秋姫が訪ねてきた。秋姫も講堂で演説を聞いており、銀太たちの無事を確かめるのと、自分の無事を報告するために訪ねてきたとのことだった。コンプレックスが戦闘向きではないとの理由から綴と秋姫はできるだけ銀太と紅月の二人と行動をともにするように話し合い、食料も四人で共有することに決まった(楓子にも食料共有の提案はしていたが、楓子は自分一人でこの事態を乗り切るだけの甲斐性があると言い、私の代わりに埜切先輩を誘ってあげてと言って断っていた)。就寝にはそれぞれの自室を使うが、日中は四人の部屋のうちでもっとも広さのある紅月と綴の部屋で共同生活をすることになり、階は違うが同じ寮の秋姫の部屋から貯蓄していた食料や生活品を運搬した。こうして学園封鎖の一日目は緩慢に過ぎていった。

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