【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-03 大間という名の土地

エピソードの総文字数=2,529文字

大丈夫ですか、英司くん
 茂は壁ぎわにひっくり返っている英司の方へ歩み寄った。
 英司は答えなかった。手足を広げたまま天井を睨んだままで茂を見ようともしない。ことさらに茂から視線を反らしたがっているようだった。
さほど力を出したつもりはなかったんですが……。
怪我はありませんか?
 そう言って、茂は手を差し出した。
 だがその手を無視して英司は身体を起こす。メガネをはずしてシャツの裾でレンズを拭い、立ちあがった。
俺に近寄るなよ、妖怪。
心外ですね。
……妖怪ってだけで、そこまで嫌わなくてもいいじゃないですか。
それがフツーなんだよ。妖怪と仲良くおしゃべりなんかできるか!
あなたは妖怪の気配に随分と敏感な性質らしい。――大間じゃ暮らしにくかったでしょうね、あなたのような子供は。
大間は妖怪の巣だった。こんな街を作ったところで、人間が生きて行かれる場所じゃなかったのさ。そうだろ?
 自嘲するような声音だった。
 英司は大間団地が嫌いだった。物心ついた頃から……英司の視界には、いつも街を行き交う〈人間ではない異質な存在〉がこびりついた染みの様に存在し続けていた。例えば誰もいない場所に強い視線を感じたり、見知らぬ人間の形を真似た妖怪とすれ違ったり――。幼いころは違和感もごく些細なものだった。だが成長するにしたがって、やがて24時間、片時も休むことなく妖怪の気配感じるようになった。

 そして、あの日が来たのだ。

 積み木で作った街を気まぐれに壊して悦に浸る子供のように……巨大な火の虎がこの街を破壊し尽くし、英司の家族を奪った。
 はっきり言って妖怪なんか嫌悪の対象でしかない。
今も……変わっていませんよ。
 その言葉に、英司は息を飲んだ。
 初めてまともに茂の顔を見上げる。
今……も?
ええ。
――今も昔も、大間は妖怪の巣です。
――17年前です。突然この場所に街が築かれたのは。
それまでこの付近にはあまり大きな集落もなく、藪と沼しかない場所でした。何千年もね。
人間には興味をそそられる土地じゃなかったようです。でもこの場所を好む生き物もいたんですよ。鳥や小さな獣……それに妖怪も。
妖怪の寄り合い場か。
 篤志が口を挟んだ。
 身体を起こしているとまだ血が流れ落ちてくる。茂の持ってきたビニール袋の中から大きめの布をとり出して頭に巻いた。傷は額から耳のあたりまで伸びている。
まあ、そんなところですね。ずっと昔は人間もそれを心得ていたようです。だから誰もこの場所に入りこんでこなかった。一種の聖域のようにここを避けて生活していたんです。
――この場所が『大間』と呼ばれているのもその名残みたいなものでしょう。
……そんなご大層な名前には思えないけどな。
青森かどっかにも同じ名前の場所があるだろ。マグロで有名な……。
寝てろよ、あんた。
血が垂れてんのに、うろうろして歩きまわって周りを汚さないでくれ。まるで殺人現場じゃないか。
 英司はそう言って眉を寄せた。
 篤志の頭に巻かれた布にも、もう血が染み出している。本人はいたって平然としているが、普通なら救急車を呼ぶクラスの大怪我だ。顔に滴る血を見ているだけで具合が悪くなりそうだった。
『大きい・間(あいだ)』と漢字が当てられたのは昭和になってからですよ。それ以前は地図にも平仮名でしか記されてはいなかった。
……ちょっと傷を見せてください。血を止めるくらいのことなら私にもできます。
 茂はそう言いながら篤志に歩みより、巻かれた布の上から手のひらを傷の上に当てた。一瞬、篤志の表情が歪む。
痛みますか?
たいしたことねえよ、これくらい。
何だよそれ。心霊治療?
 手を傷の上に当てているだけで、別に何も起こっていないようにも英司には見えた。
 実際に手当てを受けている篤志にも、特別に変化は感じ取れない。痛みはずっと続いているし、出血のせいでふらつくいている。
私にできるのは止血だけで、傷そのものを癒す力はありませんから……。
 いぶかしげに見つめるふたりの視線の意味を悟ったのか、茂は恥じるように言葉を淀ませた。
 ずっと茂の顔に貼り付いていた引きつった笑いとは違う――篤志のよく知っている〈フクの表情〉が戻ったようにも見えた。
 表情のコントロールに馴れて来たということなのかもしれない。
 だがそのことが、かえって篤志には腹立たしく感じられた。
……話の続きですけどね。
もともとここには大きな沼があって、近隣の集落の人たちに『おおま沼』とか、『おうま沼』とか呼ばれていたそうです。もともとは〈逢魔〉――魔物に遭遇する場所という意味だったのだと思います。
でもその場所に人間が勝手に入り込み、開発して街を作っちまった。
胡散臭い魔物だの妖怪だのの話なんて、開発業者もそこに入居した連中も知らなかっただろうし……知ってたからって気にも留めなかっただろうさ。なんせ大間団地はとんでもない金を生み出した一大プロジェクトだからな。
それが妖怪には気に入らなかったってことか?
……英司くん、君は誤解してるようだけど、別に『人間の侵略行為に腹を立てた妖怪たちが遂に立ち上がり、一夜にして団地を崩壊させた』――なんて話じゃありませんよ。
 茂はため息をもらした。
 篤志の頭に当てていた手を離し、立ち上がる。
2017/11/02 23:54
終わったのか?
ええ。でもさっきも言った通り、止血しただけです。
しばらくは座っていたほうがいいですよ。まだ当分痛むだろうし、あれだけ出血すれば貧血状態のはずですからね。
お医者さんごっこはいいからさっさと続きを話せよ。――ちっとも状況が見えてこないんだよ!
私だって何もかもを知ってるというわけじゃありません。17年前は私もまだ子供でしたからね。
――私が知ってるのは、ここに街が築かれた理由は、単純に人間の側がそれを望んだからというだけではないということです。妖怪には妖怪の事情や考えがあって、それを見過ごすことにした。あるいは積極的にそうなるように仕向けたんです。
 茂は英司と篤志の顔を見つめ、それからその視線をゆっくりと果歩の方へ移した。
 果歩はそこに寝かされた時と同じ姿勢のまま、まだ眠り続けている。
妖怪が人間にこの街を〈作らせた〉んですよ。おそらく……ゲームをするためのフィールドとしてね。

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