地球革命アイドル学部

極貧少女と理想の世界(4)

エピソードの総文字数=6,216文字

 玄関で靴を脱ぎ、左手の扉を開けると、そこは畳敷きになっている道場だった。木造一戸建てといっても道場は広く、柔道場に近いかもしれない。

まさか入門者!?

 壁際に仁王立ちするたくましい男性が俺に視線を向けて目を丸くした。

 道場の中央で訓練の最中だったらしい円香と千香は足を止めて挨拶してくる。

宗形先生、来てくださったんですか! 圧倒的感謝です!
ちーっす!

 2人とも色あせた道着を着ていた。すぐに訓練を再開し、空手で言う型のようなものを繰り返し始めた。

 代わりに、壁際の30代中盤といった印象の男性が近づいてきて挨拶してくる。

あなたが宗形先生ですか。娘たちからお話はお聞きしていました。円香と千香の父――九道悟郎です。いつもお世話になっております。

――父親!?

 それにしては若い印象があった。30代半ばだと思っていたが、40前後なのだろうか。

いやいやこちらこそ。円香さんも千香さんも、我が校の期待の星です。超新星爆発です。

 俺としてはそう言うしかないだろう。

 娘たちに代わって、菜月が紹介してくる。

ちなみに悟郎おじさんは、武道研究者として業界ではかなりの著名人だよ。知らないでしょ?
著名人というほどではないですよ、単にこの道でしか食べていく術がないだけで……。
 悟郎は恥ずかしげに頭をかいた。
円香さんも千香さんも武道家として高いレベルにあるのは、こうした家庭環境があってこそだったのですね。

悟郎おじさんが執筆した武道の本も、もう10冊以上になるでしょ? あと武道関係のDVDの監修をしたり、競技の審査員をやったりもしてるよね。武道関連で何かあれば、とりあえずおじさんに声がかかるんじゃないかな。

 菜月は、悟郎にすらため口だった。どうやら俺が特別に舐められていたわけではないらしく、菜月の自然体のふるまいだったようだった。自然体で接してくれているということは、それだけ心を開いてくれたと思ってもいいのだろうか。

 ふと俺は、道場の壁際にかかっている額縁に視線が止まった。

 3つの額縁が掲載されてあり、それぞれにスローガンが書き込まれてあった。道場主である悟郎と、円香と千香の3人がそれぞれスローガンを書いて掲げてあるもののようだ。そのうちの最も長いものに俺は思わず目が釘付けになってしまっていた。


『絶望には愛を。嘆きには光を。憎しみにはぬくもりを。私は私の生涯を賭けて、地球の人々のためにこの武を捧げます。 九道円香』


 こうした古い道場にはあまりに場違いで壮大なスローガンだと感じ、俺はしばし呆然とした。

ああ、円香のスローガンでしょ。本気だけにおかしいよね色々と。

 ちなみに千香のものは、『努力、友情、勝利! 九道千香』と少年漫画誌のセオリーそのものだった。悟郎のものは『為せば成る。 九道悟郎』と大して気に留めるようなものでもなかった。千香や悟郎のようなスローガンが飾られていただけなら、単なる道場の一風景として気にも留めなかったはずだ。円香のスローガンの奇抜さが群を抜いているというものだ。

一人だけ、なんだか聖人じみてるな……。

聖人か……言い得て妙ね。普通の人に言っても信じてもらえないんだけど、マジで頭のなかだけ聖人なのよ。武道家版マザーテレサみたいなものだって思っとけばいいんじゃない? 実在したマザーテレサと違うのは、気力が猛烈に漲りすぎていることでしょうね、悪い意味で。

 投げやり気味に菜月が言った。

 円香の行動や言葉は、俺たち常識的な感覚の人間が受け止めるにはいささか奇異に映る。しかし俺達が受け止めている以上に、円香の行動には誠心誠意があるのではないか。やたら律儀で義理堅い性格も、常に謝罪して回る謙虚さも、日々パシリを志願して回る活動も、すべてが誰かのための愛から発しているものなのかもしれない。菜月がすっかり愛想をつかしている口調だったのは、神でもなければとうてい到達することができない境地だからだ。

円香の行き過ぎた真摯さは母親の影響なんですよ。
お母様の?

物心ついたばかりの頃に、白血病で母親をなくしました。妻は敬虔なクリスチャンでして、死の床で、円香に愛の大切さを熱心に語り聞かせてくれたんですよ。妻は、娘に遺してあげられる最も大切なものが愛だと考えていました。それが円香に強い印象を残したんでしょう。ただ、千香が物心ついたころには、妻は亡くなっていましたが……。

では、円香さんもクリスチャンなんですか?

あ、いえ、うちも円香も普通の日本人という感じで……。あそこには神棚もありますし、試合の前とかは円香も神棚に祈願しますよ。

 よく道場で見かける小ぢんまりとした神棚が、悟郎が指し示した場所にあった。風景と溶け込んでいたので、とくに意識もしなかったものだ。

私もうっすら記憶にあるけど、すっごい優しい人だったわね。ただ、円香にとっての母親ってすっかりその印象だけだから、亡くなるタイミングが悪かったのかも。

菜月ちゃんは、円香が妻の影響を強く受けたことをあまりプラスに捉えていないのかい?

そりゃ良し悪しもあるでしょうよ……。何事もバランスってものがあるでしょうが。円香のお母さんが長生きしてくれていたら、もう少し普通の生活や考え方だって受け入れる機会もあったのかもよ。

 要領の良さが自然に身についている菜月には、たしかに他人のための奉仕が第一となっている円香の行動方針など受け入れがたいものに違いない。円香のような特異な聖人が本当に存在していたのだと知れただけでも、今日はここに足を運んだ価値があったのではないかと思う。何事も勉強だし、こんな世の中でもまだまだ捨てたものではないのかもしれないと、少しの希望を俺は抱いたのだった。

菜月ちゃん、先生とは私のほうで話すから、汗かいてきたら?

ああそう? なんか私からみるとさ、2人とも自信なさげな頼りない男って感じで、放っておいて大丈夫なのかなって心配になるのよね。

 母性本能でもくすぐるというのだろうか。菜月は、俺と悟郎に視線を行き来させ続ける。

まぁいいわ。ダメ男同士で弾む話もあるでしょうから、それじゃあお好きに。

 なんと菜月は、俺はともかく、悟郎のことまでサラリとダメ男呼ばわりしていた。どう見ても悟郎は筋骨隆々の精悍な武道家であり、ダメさの片鱗も俺にはうかがえなかったのだが……。

 菜月は着替えのためか、隣の小部屋に入っていった。

どうされました?

あ、いや……まさか九道先生が、桜丈くんにダメ男と断定されるなんて意外で……。

ははは……菜月ちゃんはいつも手厳しい……。だけど実際、ぼくほどダメな男はそうそういませんね……。

でも、日本武道界の大物っていうのは事実なんじゃないでしょうか。これだけ歴史ある古武術道場を引き継いできて、何冊も本を出しているわけですから……。

たしかに今まで12冊の本を書きました。1度だけ漫画の監修をさせて頂いたこともあります。ただ、ぼくが書くような分野って、そもそも売れるようなものじゃないんですよ……。武道家なんて、誰が知ってますか?

 ふと悟郎の顔には、影が浮かんだように見えた。人には明かせない苦労が色々あったのだろう。
知名度の問題じゃないでしょう。武道を究めんとする男性なんて、今どき珍しい。誇るべきです。

昔から伝わってきた古武術を教える道場なんて、もう99%が廃業しています。これで食べていけるような時代じゃないんですよ。同業者を見回しても、日本中で、本当の意味でちゃんと存続しているところはうちを含めて10……。

たしかに商売というより、伝統芸能の一種なのかもしれませんね。能や歌舞伎と違って国の保護などに期待できないでしょうから、より厳しそうです。

 そんな会話を交わしていると、道着に着替えた菜月が小部屋から出てきて、訓練に参加し始めた。

 菜月の型は、本格的な九道姉妹と比べるとラフだが、それなりにサマになっているように見えた。上から目線でそんなことを口にすれば菜月から激しく罵倒されることは確実であろうから黙しておくしかないが。

 いま道場で鍛錬しているのは、九道姉妹と菜月の3人だけである。ということは、外から通っている門下生が現時刻でたった1人ということで、塾経営が成り立つはずもなかった。綺麗な女の子3人が武道に勤しんでいる風景は珍しくて絵になるが、これが現実の生活を支えているものと考えるとかなり厳しい。

ぶっちゃけ、ここは場所が悪いですよ。せっかくの名門道場なのに、この場所だと誰がどう考えたって、商売的に成功するはずもない。駅の最寄とか、繁華街に近いところだったら、もう少し上手く回るのでは?

かといって、ずっとここでやってきただけに、場所を移動する決断も容易ではない。そもそも移動するための金もない。八方ふさがりです。詰んでます。

 悟郎は苦痛に顔をゆがめ、小さく続ける。

宗形先生には正直に申しましょう。ズバリ、私は負け組です。心底から情けないほどに……。

 なぜか俺は、悟郎に大変な親近感を感じた。自分と同じだったからだ。

いやでも、こんなに真面目で立派な娘さん2人をしっかり育てられていますし、九道先生ご本人も武道家として名のある方ということですし、かなり勝っているのでは?

娘たちがいたことで、私がどれほど夜も眠れないほど苦悩していたか、なかなかわからないでしょう。娘たちに申し訳なくて……武道や芸術のようなものに生涯を費やす覚悟を本当に持っている人間は、所帯など持つべきではない。ただ私は家を継承する責務があると思い込んでしまっていたから早いうちに結婚しましたが……私のせいだと自分を責めています。もう無理にこうした道場を続けるような時代ではないのだと、早くに気づくべきでした。

九道先生、ぼくもまったく同じく負け組ですよ。負け組っぷりでは、ぼくのほうが上です。

まさか。立派な女子高の教員までやっているというのに。公務員みたいなものじゃないですか?

いや、ぼくは非常勤教員でしてね。話せば長いのですが……ぼくは長らくワーキングプアもここに極まるという感じの生活を続けてきました。人生に危機を感じて31歳で転進をはかり、ようやく今の仕事に潜り込んだクチです。でも、もうダメっすね――

 自嘲気味に笑いながら、俺はいかに自分が人生において敗北を繰り返し、流れ流れて今があり、すべてを諦めきった無能人間かを包み隠さず話して聞かせた。どうにも他人には思えない悟郎には、打ち明けてもいいと思ったのだ。それに俺には、プライドなんてもはやどこにもない。

では宗形先生は、もうすぐリタイアしてしまう計画だと?

 悟郎の言葉には熱がこもってきていた。俺の話に、悟郎のほうも感じ入っているのかもしれない。

人生をリタイアですね。あとは手持ち資金をなんとか運用しながら食いつなぎ、キャンピングカーで気ままに放浪しながら暮らします。夏は北海道に、冬は南のほうに行く生活でしょうか。好きなときに海を見て、好きなときに山を見て、孤独になりたいときは人里離れた無人の場所で……。もうそんな世捨て人でいいですよ。

風呂などはどうするんです?

地方に行けば、格安で入れる温泉は色々あります。本当に節約したければ川や公園だっていいんですが、まぁ所詮は男一人なんで何とでもなるでしょう。

老人になって運転できなくなれば?

もうそのときは生きててもしょうがないっすね~。自動運転が標準になってるかもですし、いずれにせよ数十年後のことなんで。なんだか九道先生、ご質問が真に迫った感じがしますよ?

切実に、羨ましいんです。私にはいろいろなものが出来てしまっていて、思い切ることができない。……ところで住民票はどうするんです?

田舎に実家があります。まぁでも、うちの両親が亡くなれば整理するはずなので、そのときにまた考えます。

なんなら、いやもし本当に宗形先生がよければ、うちに住民票を置いてくださって構いませんよ。負けに負けてきた悲惨な男同士、これから懇意にさせていただければ……。

そこまでしていただくわけには……。いずれにせよ、こうした計画はまだ夢見ているだけです。40までにはと思っていたのですが、もう少し稼ぎを積み上げておかなくてはならないかもしれませんし。あるいは完全リタイアじゃなくて、週2日くらいは軽いバイトをやるとかして死ぬまで乗り切ることも視野に入れなくては……。

宗形先生、お歳は?
38ですよ。そろそろすべてを諦めきれる頃合いです、ははは。
私と同い年だ。
え? 嘘でしょう?

 円香が17歳だから、21歳で最初の子供が生まれたことになる。昔なら普通だったのかもしれないが、今どきの日本人ではかなり珍しい部類だ。

宗形先生に嘘をついても意味がない。本当に38ですよ。ぼくの人生、苦労しかなかった……。独り身だったら、どれほど楽だったか……。

 悟郎はそう言って唇をかんだ。

 勝っているように見えるのは外からだけで、本人の心持ちとしては苦渋に満ちた人生だったのかもしれない。

 それから俺と悟郎は、急に話が弾みだした。互いの子供のころから始まって、どこで道を踏み外したのか、今がどんなに悲惨な状態にあって、もう復活の目などありえないことなど、話題は尽きなかった。非常に後ろ向きな会話だが、互いの負け組っぷりを存分に披露し合い、妙に意気投合してしまったのだった。

宗形先生……負けに負け続けてきた最底辺同士……お互い先生呼ばわりは止めにしませんか?

ではなんとお呼びすれば……?
 俺がそう聞くと、なぜか悟郎は頬を染める。
で、できれば悟郎と呼んでもらえれば……。あと敬語もやめてもらえると嬉しいのですが……。
 なんだか俺も急に気恥ずかしくなり、うつむきがちに小さく口にする。
では悟郎で。これでいいのかな……。俺のことは練で。

 照れくさくてムズがゆくて、穴に入りたいほどだった。それでも俺は恥をかなぐり捨て、そう伝えていた。生まれて初めて愛の告白でもしたような気持ちだ。

練……。我々は同志だ、日本最底辺の負け組として、立派に果てようではないか……。

 悟郎も視線を外したり、俺をチラと見やってきたりを繰り返していた。相当に面はゆい気持ちに駆られているらしく、さらに赤くなっていた。

 この歳になって新しい友達ができるなど、想定外の出来事だった。

悟郎……。
練……。

 なぜか俺たちは互いの名前を感情いっぱいに呼び合い、ほぼ無意識でがっちりと抱き合った。人はなぜ同性同士で抱きしめ合うのかわからない。たぶん友の健闘を称えるための最上の表現手段なのではないだろうか。

 ふと千香が叫ぶ声が飛び込んでくる。

アッーーーーーーーーーーー!?!?

 道場中央の3人は足を止め、呆然とこちらを眺めていた。

 円香が悲壮感いっぱいに声を震わせる。

お父さん!? 再婚するなら女の人にして!
キモッ……。うっ、吐き気が……。

 すっかり青ざめた菜月は、片手で口元を押さえて身体を折り曲げていた。

 ハッと正気に戻った俺たちは身体を離し、女子3人と向かい合う。

ち、違うんだ、これは違うぞ……。
なんというかこれは……互いの人生の健闘をたたえ合う美しい行為というか……。

 俺と悟郎は、この抱擁は不埒な行為ではなく、友情の証として重要なものであることを懸命に話してきかせた。しかし女子3人は無言で俺と悟郎の言い訳を聞き流し、白々しい視線を変えなかったのだった。

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