ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

2-2. 僕のちんちんを返して

エピソードの総文字数=4,003文字

 港都「マスリパトナム」。欲望と謀略の渦巻く、世界有数の混沌街。

 文字通りの値万金、黄金と同等の価値を持つ香辛料の集まる港は、しかし世界中にあるだろう。ペルシア風の流麗な建築物から成る町並みも、アラゴン王朝の遺物を誇るバレンシア港には敵うまい。あらゆる人種がひしめく市場の喧騒も、今や経済によって世に覇を唱えんとするロッテルダムには届かぬだろう。
 では人々は何故、マスリパトナムにこうも惹かれるのか。

 ――答えは「混沌」。

 香辛料など言うに及ばず。奴隷、黄金、拿捕船、酒。宝石、麻薬、陶磁器、珍味。正規の交易品だろうが、略奪品だろうが構わない。世界中のありとあらゆる品が、ありとあらゆる国籍の船で運ばれてくるのがこの港だった。
 単純な話だ。欲に溺れた商売人に、野望を秘めた成金。海賊まがいの船乗りに、追放された犯罪者たち……そういうクズ(・・)どもが、この港に引き寄せられる。

 それ故に――人の世のモノですらない異物が運び込まれることも、ままあることだった。
 

     * * *


「『Shake(お手)』」
 握った。
「『Sit(お座り)』」
 座った。
「『Lie(伏せ)』」
 伏せた。
「『Beg(ちんちん)
 尻を付いた。

「うんうん。金枝(ミスルトゥ)の動作は正常のようだ。これが第一の枷」
 伊織介の身体は、ル=ウの言葉に逆らうことが出来なかった。考えるより先に、反射的に動いてしまう。とはいえ屈辱を感じる余裕など、今の伊織介には残されていなかった。
「……うッ」
 思わず声が漏れる。見れば、ル=ウが見せつけるように、愛おしげに手の中のモノを撫でていた。
男性器(コレ)が、第二の枷。もし、わたしから逃げようとしたら……」
 ル=ウが、軽く手の中の肉棒を握り締める。長く伸びた爪が軽く突き立ち、伊織介の額に脂汗が浮かぶ。
わかっている(・・・・・・)な? イオリ」
 微かに頬を上気をさせて、口の端を吊り上げる魔女。

(これが……西洋の魔女、なのか)
 不釣合いなほど巨大な羅紗帽(キャスケット)に、前開きの黒マント。マントの下は、革製のブーツを履いているのみで、ほぼ裸。そんなル=ウが、伊織介よりも長い足を優雅に組んで豪奢な椅子に腰を沈めている。
 想像していた〝魔女〟とは違う。西洋の魔女といえば、鷲鼻で腰の曲がった老婆のようなものだと思っていた。少なくとも、かつて宣教師はそう教えてくれた。

 とはいえ……想像とは多少違っても、伊織介を囚えた者は魔女であることに相違ない。その点はだけ伊織介も認めざるを得なかった。
 今の伊織介には男性器が無い。本来であればそこにあるべきものは今やル=ウの手の中にあって、伊織介の股間にはのっぺりとした皮膚が広がっている。おぞましいことに感覚は繋がっていて、彼女がそれを痛めつければ伊織介の股間が痛む。幸か不幸か、尿道も繋がっているらしく、道すがらテストと称してル=ウの手の中に放尿させられた時は、伊織介は本気で泣きそうになった。というかほぼ泣いた。

 魔女。魔術を扱う、異端の徒。
 ル=ウがそういう(・・・・)存在であることは、もはや疑いない。

(僕が、魔女の奴隷、か)
 乾いた笑いが込み上げる。
 奴隷といっても、いろいろと種類がある。金で命を売ったり、戦で捕虜になったために自由を失った奴隷。こういう奴隷はたいていの場合所有物として管理され、逃亡を企ててもすぐに追手がかかり、多くは処刑される。あるいは、年季奉公人という種類の奴隷労働もある。こちらは契約によって給金を得る労働者のようなものだが、契約期間中の扱いは奴隷とさして変わらない。
 伊織介の場合は、どちらかといえば前者に近い。違うのは、逃亡を企てた場合に奪われるのは命ではなく、男性器であるという点にある――実質、大差ないのかもしれないが。

(あれ、そういえば――僕は、どうして)
 思い出す。故郷を捨て、海に出ようと平戸まで下ったこと。そこで宣教師に騙されて、気付けばオランダの奴隷にされていたこと。その後――、
(僕は――どうなった?)
 戦いに駆り出されたことは記憶している。敵の船に斬り込んで、そして……撃たれた。しかしその後の記憶が曖昧だ。ふと思い立って脇腹をさすってみるも、そこには銃創どころか何の傷跡もない。 
 

「そういうプレイは余所でやって欲しいのである」
 伊織介の思索を中断させたのは、この館の主。金装飾(モール)の豪奢な赤い制服を着崩して、腰に二本の刀を差した、ビール腹の大男。
「あと服はちゃんと着た方が良いのである」
 (たてがみ)のように生えそろった豪快な髭を撫でながら、大男はル=ウの対面に座った。

「余計なお世話だな、リチャードソン」
「……こんな夜更けに、男連れで駆け込んで来るなどと……お嬢はもう少し、貞淑というものを学ぶできである」
「世界中に現地妻を持つ女たらしの言うことか? それは」

 文句を言いながらも、リチャードソンと呼ばれた男は部下に茶を出させる。
 彼の名は、リチャード・A・リチャードソン。英国(イングランド)東インド会社マスリパトナム商館に務める、特別商務員だ。

 伊織介を引き連れたル=ウが逃げ込んだのは、中央市街の外れ、西欧人街の一角に位置する東インド会社の商館だった。言うまでもなく、そこは英国(イングランド)の出先機関だ。
 煉瓦造りの重厚な門戸に、鮮やかな赤の絨毯(カーペット)。調度品の一つ一つが英国謹製の品々であり、まるで英国(イングランド)の館をまるごと持ってきたような印象を受ける。

「今宵もまた随分と騒がしい夜であるな。東の倉庫街で火の手が上がったそうな。街では、人喰いの化物が暴れておる。もう何人か食われた(・・・・)らしいぞ。……お嬢、また何かやらかしたのかね?」
「何を言うかと思えば、この狸親父め。全部知っているだろう」
「ほう?」
 リチャードソンが片眉を釣り上げた。
「夜分にしてはここの警備が厳重すぎる。斥候もだ。やらかしたのは、リチャードソン、お前たちの方だ。足がついたな? 先日、わたし達(・・・・)がオランダからぶんどった仕事だ」
「……さてなぁ。オランダとやり合うのは、日常茶飯事であるからなぁ」

 西欧(ヨーロッパ)側の事情に疎い伊織介でさえ、香辛料貿易をめぐる英国(イングランド)とオランダの対立は知っている。実際、伊織介がオランダの奴隷だった時に襲ったのは、英国(イングランド)の船だった。

「誤魔化すなよ、リチャードソン。わたし達は共犯だろう? 魔女団(うち)が汚れ仕事を引き受ける。会社(おまえ達)は利益を得て、さらには王様(スルタン)に良い顔ができる。いつだって持ちつ持たれつ、というやつだ」
「ふうむ……そうは言っても、我輩は人外(ばけもの)に関しては専門外であるしなぁ」

 リチャードソンは顔色一つ変えずに、緑茶(グリーンティー)に砂糖を山のように注いだ。
(うわぁ……)
 日本人である伊織介にはその緑茶の飲み方は少々受け入れがたいものがあったが、しかし口を挟むことは憚られた。どうも英国(イングランド)人にとって、緑茶に砂糖を入れるのは当然の感覚らしい。

「……で、何が必要なのであるか」
 ビール腹をさすりながら、リチャードソンはカップを置いた。
「まずは火薬だ。ありったけ寄越せ」
「この間譲ったばかりであろうに」
「あれはぜんぶ吹っ飛んだ。ついさっき、わたしの小屋(オフィス)ごとな。まるで威力が足りなかったぞ。もっとマシなのを出せ」
 忌々しげにル=ウは緑茶を啜って、すぐに無言でおかわりを要求する。
「それと人手だ。兵を貸せ」
魔女団(カヴン)の人手を使えば良かろう。他のお嬢様方(マドモアゼル)はどうしておるのだ?」
「アイツらに助けを求めるなんて恥ずかしい真似ができるか! 自分の(ケツ)は自分で守る(ふく)のが魔女の流儀だ」
 ル=ウは空のカップをテーブルに叩きつけて吠えた。すぐに召使がやってきて、替えの茶を注ぐ。
「……安心しろリチャードソン。そちら側に人死には出さん。やって欲しいのは、あの化物の残骸処理だけだ。(むくろ)はくれてやる、好きに売り捌け」
 その言葉を聞いてリチャードソンが膝を打つ。
「それは重畳である! あれほど活きの良い異形の(むくろ)ならば、高く売れそうであるな。品質の良い火薬を回そう。燃やし尽くさぬよう気をつけるのであるぞ」

 伊織介はル=ウの傍に控えて二人の会話を聞いていたが、剣呑なやり取りにあまり良い心地はしなかった。なるほど悪徳商人の会話とはかくなるものかと、嫌な予感に冷や汗をかく。

「話はまとまったな。では行こうか、イオリ。(いくさ)だ」
 茶を飲み干したル=ウが勢い良く立ち上がり、肉棒を伊織介に突きつける。
「日本人なら、戦は大好物だろう? 存分に猛るが良い!」
 伊織介は自身の性器を指示棒のように振るわれるという珍事に泡を食いながら、黙って首を縦に振ることしかできなかった。

「ほう、日本人であるか。日本人は良いぞ。良く働き、良く戦い、良く死ぬ。――その少年は新しい召使かね?」
 リチャードソンが口を挟んだ。事実、奴隷あるいは傭兵としての日本人は当代の流行(はやり)である。ここ東インド会社の商館でも、何人かの日本人が働いている。
「召使? 違うな。このイオリはな――」
 ル=ウが破顔して、踵を鳴らして胸を張る。その様はまるで新しい玩具を自慢する子供のようだ。

「イオリは、わたしの武器(・・)。わたしの最高傑作(・・・・)だ」

 ――長い夜になりそうだ。伊織介は嘆息する。

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