頭狂ファナティックス

『バベルの図書館』

エピソードの総文字数=3,333文字

 三人は互いのあいだに分厚い膠が張られ、意思の疎通ができなくなったかのように黙り込み、切断された綴の遺体を眺めている。秋姫は呼吸もままならなくなっている紅月の背中の肺のあたりを軽く叩き、呼吸を回復する手伝いをしてやり、そのぱん、ぱん、という音だけが聞こえた。過呼吸気味とも言えど、紅月が呼吸できるようになると、銀太は前かがみになり、まるで部屋の中に見えない死神がいるかのように睨みつけながら、つまり狂人のような奇妙な態度を取りながら自室の中へ入っていった。
 銀太のすることを二人の少女は廊下から眺めているだけだった。銀太は部屋に入ると、藤椅子に座っている姉の左半身とその足元に崩れ落ちている右半身の前に立った。むせるほどの血の臭いが部屋には飽和していた。そして藤椅子に座らされている左半身の脇と太腿に手を当て、持ち上げ、ベッドに運んだ。その途中で、遺体から大腸がこぼれ落ちて床に血の跡を引き、銀太には名称がわからなかったが、臓器が一つ落ちた。同様に歪みながら床に寝ている右半身も腕や足の位置を直して持ち運んだ。今度は臓器を落とさないように気を付けていたが、やはり一つ落っことしてしまった。
 二つの切断面をぴったりと合わせることはせず、わずかな隙間を空けながらも、銀太は綴の左半身と右半身をベッドに並べた。ベッドの足元に毛布が小動物の死骸のように包まって置かれているのを見ると、その毛布を姉の遺体にかけてやって全身を隠した。一連の過程を銀太は秘教的な儀式に従事しているように厳かに執り行ったが、その光景を見て秋姫は姉への敬慕の念からというよりも、錯乱によって自分でも何をしているのかわからないまま行動したのだと解した。その証拠として、銀太は姉の二つの身体を運ぶさいに血塗れとなったが、まったく気にもしていないようだった。姉の遺体を安置すると、銀太は取り落とした臓物に混じって不可思議なものが一つあることに気がついた。それは『バベルの図書館』のシンボルである豆本だった。遺体の左手の中に握られていたもので、運ばれるさいに手から抜け落ちたのだ。ほとんど無関心とも言える様子で、銀太はその豆本を拾い上げ、ズボンのポケットに入れた。
 銀太が血塗れた格好で部屋を出て、ドアを閉めると、三人は無言のまま紅月の部屋へと戻った。時間には様々な種類があり、一般的に私たちが時間と呼んだとき、それは一秒の堆積に定義された数学的に進行する時間を指すが、観念の連続によって定義される時間というものがあり、その時間は頭の中を駆け巡る、言葉にすることもできない数々の観念の速度によって決定するのだ。
 すなわち綴の死に呆然として、何も考えられなくなっているときは指で数えられる程度の観念しか浮かんでこず、時間の流れは沈滞しているが、綴との思い出に耽って数々の観念が一つひとつを消化できないうちに溢れてくるときには時間は驚きべき速さで過ぎ去っていく。要するに紅月の部屋でそれぞれ好きな場所に座り、互いを見ることもせず三人が黙り込んでいるあいだ、時間の流れ方は無数にあったということだ。銀太はすでに風呂に入り、姉の血を洗い流していた。観念による時間の流れは当然だが、時計を見ても測ることができず、一体どれくらいのあいだ、三人で無造作に置かれた石になり、沈黙していたのかわからなくなったころ、紅月が口を開いた。
『バベルの図書館』はなぜ残っている? コンプレックスというものは、能力者が死ぬとその効力も消滅するものだ。
推測に過ぎないが、僕の考えた仮説を話そう。お姉ちゃんのコンプレックスは情報を記録するための能力だった。書物に限らず、記録とはその編纂者が死んだあとも情報を残し続ける方法だ。そのことを考えると、お姉ちゃんのコンプレックスは例外的に死んだあとも残り続ける性質があるのかもしれない。このことは僕たちも知らなかったことだが、お姉ちゃんは理解していたのだろう。
ということは、綴ねえは死に際の破れかぶれからシンボルを出したわけではなく、何かしらの情報を残すために豆本を残した。そしてその情報は間違いなく、この殺人に関する何かだ。
犯人の名前が書かれているということだろうか?
 銀太は言いながら、ここでようやく豆本を開く気になった。それまでは惨殺された遺体を連想させる嫌悪感から豆本に触ろうともしなかったのだ。しかし最後のページには前の晩に書かれた日記が書かれているだけで、自分の死に関することは何一つ書かれていなかった。
最後のページには何も書かれていない。ダイイングメッセージを残したわけではないようだ。
綴ねえを殺した犯人に繋がる、何かしらの情報が必ず書かれているはずだ。戦闘能力のないコンプレックスを意味もなく出現させたとも思えない。どこかに綴ねえが俺たちに教えようとした情報が書かれているはずだ。犯人にも綴ねえのコンプレックスが死後、残り続けることは予想外だったはずだ。だからこそ、豆本を持ち去られることもなく、ここに残っている。
けれども綴さんのコンプレックスには十万冊以上の本の情報が記録されています。その中から、綴さんの殺害に関する情報だけを見つけるというものは、広大な砂漠の中に落ちている一本の針を見つけるようなものではないでしょうか?
 それまで黙り込んでいた秋姫がようやく口を開いた。
確かに秋姫さんの言うとおりだと思います。この豆本の中から犯人の手がかりを探すことは困難な作業です。もしかしたらこのシンボルは些細な理由で具現化しただけで、手がかりすら残されていない可能性だってあります。けれども僕はこの中に犯人に繋がる何かがあると信じます。
それでしたら、私がその豆本の精査をしましょうか? 私のコンプレックスは戦闘においても、日常生活においても、あまり役に立つものではありません。だからせめてお二人の役に立ちたいのです。
いや、僕に調べさせてください。姉の仇は僕に討たせてください。そのための労力はすべて自分で払いたい。僕はこの豆本から犯人の情報を探し出し、犯人を追い詰め、そして殺す。
 銀太は言葉の内容とは裏腹に素っ気ない振りをしながら言ったが、その心の内には押し殺した復讐心と殺意が渦巻いていることを紅月と秋姫は察した。観念によって流れる時間の中で、銀太はこの場で激情を吐き出さないだけの分別を取り戻していた。おそらくその激情は犯人と対峙したときにすべて吐き出されるのだろう、と紅月は考えた。今は怒りに任せて怒鳴り散らすときでも、悲しみに身を委ねて涙を流すときでもなかった。
犯人への手がかりはもう一つある。それは綴ねえの殺され方だ。はっきり言って、あの殺され方は異常だ。何か鋭利な刃物で切断されたわけではないようだった。切断面には切り直した跡がなかっただろ? 普通、刃物で何かを切断する場合、迷いから同じ個所に二つ以上切り傷ができる。綴ねえの死体にはそれがなかっただろ?
 紅月に聞かれて、銀太はそうだったと思う、と答えた。
また何か巨大な力で引き裂かれたわけでもない。それならば、もっと死体に損壊ができるはずだ。綴ねえは間違いなく、何かしらのコンプレックスによって切断された。そしてそのコンプレックスは異常性が非常に高い。その能力を知れば、そいつが犯人だと断定できるほどに。
空白組の中に、そのようなコンプレックスの持ち主は? そこまで異常性の高いコンプレックスならば、学園の中で何かしらの役職を担っている可能性が高い。
すまないが、俺はまったくクラスメートの能力を知らない。空白組では互いの能力を隠す暗黙の了解のようなものがあるんだ。ただ空白組の中で、綴ねえと接点があるのは守門先輩だけだ。しかし守門先輩のコンプレックスが何であれ、殺害の動機はないはずだ。
教師や理事会の人間が犯人の可能性は?
 銀太は目線を指で弄っている豆本の方に向けながら言った。
そこまで嫌疑の範囲を広げると、情報が多すぎてもう推理することもできなくなる。しかしどのみち、なぜ綴ねえを殺したのかという疑問は残る。
ということは、結局のところ、この豆本の中に犯人に繋がる何かが書かれていることに一縷の望みをかけるしかないわけだ。

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