頭狂ファナティックス

大室銀太VS守門恒明③

エピソードの総文字数=3,291文字

 第三校舎の校庭は陸上競技に適するように造られており、すなわち芝生ではなく弾性舗装材によって地面が作られていた。陸上競技のための器具は片づけられており、見渡す限り、トラックが広がるだけだった。
 恒明が再び銀太と対峙したとき、相手の腕は全体に渡って人体模型の人工物ではなく、人間の腕に変化しており、それも奇妙なことだった。恒明は未だに相手の励起したコンプレックスを測りかねていた。銀太は化学室から持ってきた蛇口から水を出し――『緑の家』の能力によって、水は切断された蛇口の方から出た――濃硫酸を洗い流していた。
僕が見るところ、守門先輩はもうビー玉を持っていないようですね。それにここには落下させるようなものはない。靴を脱いで投げるのならば話は別ですがね。
それは勝利宣言ですか? もしもそのつもりならば、きみの思慮は浅はかと言わざるを得ません。
 銀太はすでに鋏を口から、自由に動かせる右腕に――銀太は右利きだった――持ち替えており、相手に向かって切っ先を向けていた。そして銀太は恒明に向かって突進を仕掛けた。それは恒明にはもう落下させるものはないという前提に基づいており、先ほどの言葉、「きみの思慮は浅はかと言わざるを得ません」という言葉を銀太ははったりに過ぎないと決めつけていたが、はたして、その判断は本当に浅はかだった。
 銀太が相手の間合いに踏み込んだ瞬間、何かが落下してきた。あまりにも唐突な攻撃に激突したあとでなければ、その何かは銀太にはわからなかった。その何かは右肩に直撃して、銀太が均衡を崩して地面に倒れると、ようやく落下してきたものの正体がわかった。それは一羽の鳩だった。銀太の頭の横で、全身の骨が折れて死んだ鳩が横たわっている。
 恒明の能力の範囲は銀太の予想を遥かに上回っていた。スペクトラムの上昇によって能力の範囲が変わるタイプの場合、通常ならば放射状に範囲が広がる。しかし恒明のコンプレックスは特殊で、その範囲は水平方向には広がらず、上方にのみ伸びた。銀太は恒明の能力の範囲を10mほどの半径を持つ球形だと考えていたが、実際は異なり、限りなく上方に伸びていく円柱状のものだった。だから遥か上空にいる鳥を落とす芸当ができるなどと予想していなかった。
銀太くんは僕の能力を少々見くびっているようですね。次のような芸当もできるですよ。そろそろ決着を着けるときです。
 恒明は金平糖を一つ割った。同時にぽつぽつと雨が降り始めた。そしてすぐさまその雨は土砂降りとなり、その凄まじさと言えば、三歩前の光景すら見えず、雨音ですべての音はかき消されるほどで、誰の気配も足音も感づくことができなくなった。『重力の虹』は射程距離にあるならば雲の中に含まれる水分を落とすこともできた。
土砂降りの雨の中、銀太はその場を動かず鋏を握り、相手の迎撃に対処できるように構えていた。この土砂降りの中、恒明はどこかに身を隠し、相手に把握されない位置から攻撃を仕掛けてくる。しかしこの何もない校庭に隠れる場所はあるだろうか? 銀太は恒明のコンプレックスの範囲が水平方向には広がらないことに感づいていた。水平方向にも能力の範囲が広がるならば、わざわざ校舎から校庭に出てきた理由がわからないからだ。だから必ずこの土砂降りの雨の中、恒明は自分のすぐ近くにいる。雨音に気配をかき消されているといえどそのことに銀太は気がついていた。
 豪雨は長くは続かなかった。『重力の虹』で降らせることのできるだけの水分はすぐに尽きて、雨が弱くなってきた。銀太は相手の攻撃に備えて、開けてきたが煙っているために遠くまでは見通せない視界を見回した。隠れる場所などないにも関わらず、銀太の目路に恒明はいなかった。そして銀太が相手を発見したときには、恒明はすでに襲撃の体勢に入っていた。
 銀太の背後から、濃硫酸の入っていた瓶の破片――化学室を出る前に拾っておいたのだ――を相手の喉元に突き立てようとしていた。土砂降りの雨の中、ずっと恒明は銀太のすぐ真後ろで屈み込んでいたのだ! そして確実に相手の喉元に破片を突き立てるために、雨が弱まり視界がはっきりするのを待っていた。このとき恒明は瓶の破片によって相手にとどめを刺すことだけに集中するために、シンボルを解除していた。
 どのような物事にも日常生活では取るに足らないと思えるようなことで、明暗が決定する例外的な場合がある。この瞬間において、その取るに足らないこととは、二人とも右利きだったことである。つまり恒明が立ち上がり相手の喉元に向かって破片を刺し込むまでの距離と、銀太が身体をねじりながら鋏で相手の右腕を切断するまでの距離を比較したとき、わずかに後者の方が短かった。もしもどちらか片方が左利きだったら、二つの距離は変わり、その長短の比較は逆になっただろう。要するに、この一瞬の攻防の結果は銀太が恒明の右腕を切断する方が早かったために、瓶の破片は銀太の喉元をかすめるにとどまった。
 恒明は自分の奇襲が失敗したことを悟るよりも先に、左腕にシンボルの金平糖が入った壺を具現化した。しかし銀太はその行動を予見しており、相手の左手を蹴り上げて、壺を弾き飛ばした。壺の中身の金平糖が中空に散乱した。
 さらに銀太は追撃を仕掛けた。相手の顔面に向かって、鋏を突き立てた。恒明は即座に上半身を後方に反らし、本人にとって僥倖か不幸かはわからないが、鼻だけがそぎ落とされた。しかしそのときにはすでに銀太は切り取った蛇口を持った左腕を相手に伸ばしていた。蛇口は恒明の鼻があった部分に接合された。同時に蛇口から勢いよく真っ赤な鮮血が迸り始めた。恒明は相手の腹部に蹴りを入れて、互いの距離を取った。そして自分の鼻の部分に触り、そこには蛇口が接合されており、さらには自分の血が流れだしていることを理解した。
 『重力の虹』のシンボルである壺は恒明から五歩も離れたところに転がっていた。シンボルを解除してからまた具現化するまでに(とはいえ、ほとんどの能力者は身体と接触していなくともシンボルを解除することができ、恒明もそのほとんどに入るが)、さらなる追撃を食らわせる時間が銀太にはあった。その時間、恒明は右腕もシンボルも失っており、完全に無防備だった。銀太は勝負を決するために、相手に強襲を仕掛けた。銀太が突撃してくるのに対応して、恒明は口を横に大きく開いた。それは笑ったわけではなく、口の中を見せるためだった。恒明の前歯には金平糖が挟まれていた。恒明が銀太の腹部を蹴って、相手が体勢を整えているあいだ、シンボルの金平糖を一つ拾い上げていたのだ。恒明は金平糖を噛み砕いた。同時に凄まじい運動量と速度を持つ物体が空気を切り裂くときに特有の甲高い音があたりに響いた。
 その音を聞いた瞬間、合理的な思考というよりもほとんど本能から銀太は相手への攻撃を止めて、前方に飛び込んで腹這いになった。しかし落下してきたものの威力は銀太の予想――いや、致命的な一手にならないように、という銀太の願いと言った方が正解だろう――を遥かに越えていた。それはボーリング玉ほどの大きさの隕石だった。隕石は回避行動を取る前の銀太がいた場所に落下して、あたりの地面を抉り取った。その威力は驚嘆に値するものであり、銀太に直撃したわけではないにも関わらず、衝撃だけでその下半身を吹き飛ばした。恒明のスペクトラムは上昇して、今ではその能力の範囲は大気圏外にまで届いていた。
 隕石の落下する凄絶な轟音が鳴り響いたあとの静寂はあまりにも対照的すぎて、まるで隕石の落下などなかったと主張しているようだった。恒明はすでに右腕を回収して、佇立しながら接合された蛇口を弄り、大量の出血を止めようとしていた。しかし蛇口の取っ手は『緑の家』によって切断されていたために出血を止めることができなかった。銀太は上半身だけになった身体を血だまりの中に浸していた。だが死んでいるわけではなく、はっはっと浅い呼吸を続けていた。二人とも、出血多量によって死亡するのは時間の問題だった。

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