【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-05 やっとお目覚め

エピソードの総文字数=2,705文字

お腹すいた。
 篤志と英司と茂が視線をぶつけ合っていた沈黙を破って、その声が発せられる。
 さっきまで死体みたいにソファに転がっていた果歩が、いつの間にか目を覚まして起き上がっていた。
………………。
………………。
………………。
 三人の沈黙はまだ続いていた。が、言うまでもなく「お腹すいた」の前と後では、その意味するところは大きく変わっている。
 果歩はまだ眠たそうな丸っこい目で間近に立っている篤志を見上げ、それから茂、英司と順番に顔を見上げていって、最後にぐるっと周囲を見渡す。
…………?
 果歩もまた、沈黙した。
 すとん、と力が抜けたようにさっきまで寝ていたソファに腰を落とし、それからもう一度周囲を見まわす。
……眠ーい。
 それが、単なる現実逃避だったのか、それとも手近に食べられるものがないと判断した結果なのかは不明だが、果歩は小さくつぶやくとまたごろりとソファに転がった。

 ぶちっと派手な音を立てて、篤志の頭の中で何かがキレたのはその瞬間だった。
寝るな、くそがきっ。この状況を理解しろっ!
まあまあまあまあまあまあ……。
 思わず拳を握り締めた篤志を、茂が羽交い締めにせんばかりの勢いで止めた。
 篤志の馬鹿力で(英司ならともかく)果歩に殴り掛かるような事態はさすがにシャレにならない。
離せ、馬鹿野郎!
 苛立ちのままにそう怒鳴り、篤志は茂の手を振り払った。
大人げないことしないでくださいよ。
あんた、自分だって状況理解できてないクセに……。
 茂と英司と……どっちの言葉がとどめの一撃となったのかは不明だが、篤志はとりあえず拳を降ろした。果歩に背を向けて、けっ、と小さく息を吐く。
 その篤志の苛立ちにまるで気づいていないというように、果歩は寝転がって天井を見上げたまま動かなかった。
 天井の割れ目から細くもれる光が、果歩の顔に青白い線を描いている。
ピーちゃん、来たの?
 まだ果歩の目は天井に向けられていた。
 眼球を動かすことさえ億劫なほどの激しい疲労感に襲われていた。何も考えたくない。今すぐにでも再び眠りに落ちて行きたかった。
………………。
………………。
………………。
 3人はみたび沈黙した。
 もはや誰の顔からも表情が消え去っている。
……ぴ、ぴーちゃんというのは……いったい……。
 その言葉に、ものすごく抵抗を感じながらも茂がそう聞き返した。ひょっとするとまだ寝ぼけているのかもしれない……と、藁にもすがる気持ちで考えを巡らせる。
……。
 ……が、果歩は無反応だ。

 今にもまた眠りこけてしまいそうに見える。


ピーちゃんって誰です?
火の……。
 虎、と続く言葉を飲みこんで、果歩は助けを求めるように茂の顔を見上げた。
 その名を口にすることを躊躇うほどに果歩が怯えているのだと悟ったのは、おそらく茂だけだろう。
 英司と篤志はまだいぶかしげに眉を寄せて果歩を睨んでいる。
いいえ、火の虎は来ていませんよ。
 そう言いながら、茂は篤志の腹に肘で小突いた。
……なんだよ。
そんな顔しないで下さいよ。怖がっているじゃないですか。
チンピラ風で悪かったな。俺の顔はこれがフツーだ。
 篤志はそう言って、果歩から視線をはずした。
 〈怖い顔〉の自覚は十分にあるのだろう。
………………コホッ
 英司は小さく咳払いをして、眉間をほぐすようにこっそり指で2、3度こすってみる。俺の顔は怖くないぞと一応アピールしておきたかった。
大丈夫ですよ、ふたりとも見た目ほど害はないですから。
(そんな言い方はねえだろう、おい)
(……よく言うぜ、自分は見た目以上に害がある妖怪のクセに)
 口にこそ出さなかったが、篤志と英司の思いは似たり寄ったりだ。
なぜなんです? ……いえ、ピーちゃんでもいいですけど、なぜそのピーちゃんが来たと?
 背後から篤志と英司が睨んでいるのは分かっていたが、とりあえずその視線を無視して茂は果歩の寝転がっているソファの前にかがみ込んだ。
音……したから。
音?
ぴ――って。
耳鳴りですか。
いつもするの。だから……。
それでピーちゃんですか。
(こくん)。
なるほど。
 幼稚園児を相手にしているような気分だったが、茂はなんとか意味を理解した。果歩との会話は……忍耐が明暗を分ける。

………………ピーちゃんじゃ、まるで文鳥か十姉妹じゃねえか。
 ようやく果歩が火の虎のことを言っているんだと気づいて、篤志が口を挟んだ。
なんなんだよ、その無意味にクソ細かい限定は。
じゃあ、おまえはそうは思わないってのか?
別にインコだってカナリアだって構わないじゃないか。
話の方向性をねじ曲げてるのはおまえの方だろ。
――虎なら虎にふさわしい名前があるんじゃねえのかって言ってんだよ。
犬に『果歩』なんて名前つけといて、人のセンスをどうこう言えないでしょう、あなたは。

虎にふさわしい名前ってなんです。

真理子ですか、それとも遥香?

どこのお店のおねーちゃんだ、それは。それともおまえの女か。
そういう話では……。

あ。
 そう声を発して、茂は表情をこわばらせた。
 かつて福島茂として体験した記憶と、妖怪であった頃の記憶との間に、奇妙なつながりを発見したのだ。
ちょっと出かけてきます、確認したいことがあるので……。
何だいきなり。
ここから出られないって言ってなかったか? あんた。
 そうでなければ、ここで延々ドツキ漫才なんかしている必要なんかなかったはずだ。
 だがその英司に投げかけられたのは、予想外の、そして苛立ちをさらに増すような台詞だった。

いえいえ、ここに封じ込められているのは、ゲームのコマになったあなたたち3人ですよ。

私はプレイヤーですから、ゲームフィールドに縛られることはありません。『ミノタウロスの迷宮』もそうだったでしょう? 好きなときにログアウトして、いつでもまた帰ってこられる。

それにこの程度の壁、妖怪なら簡単に抜けられます。
つまりあんたは俺たちを見捨てて逃げることもできるって、そういう話か?
……ああ、その手もありましたね。
おい。
冗談ですよ。私だってゲームを捨てるつもりはないし、できることなら寝覚めの悪い思いもしたくありません。
――出かけるついでに食料とキズ薬も調達してきます。明日の朝までには戻ってきますけど、一応用心だけはしといてください。他のプレイヤーがここを発見したとしても……まあすぐに攻めては来ないと思いますけどね。
 こんな状況に3人を残して大間を離れることに不安を感じないわけではない。だが、何の準備もなくゲームを続行させることは不可能に近いし、何より……茂は自分の推理に裏づけが欲しかった。

 茂もまた、突然我が身に降り掛かったトラブルに振り回されている真っ最中なのだ。

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