『みじょかもんの祈り ー 心の貧しい人は幸い? ー』

05. 「宗教科という私の仕事。」

エピソードの総文字数=1,660文字

私の教えている教科について、説明させていただくと幸いである。

「宗教」と「社会」を教えている。

「宗教」というのが、いかにもミッション系の学校と言われる。
キリスト教系の学校でも、仏教系の学校でも授業がある。

私は、キリスト教カトリックの学校に勤めている。

「宗教」の授業は、決まったカリキュラムはない。
決まって、これを教えなさいという内容はない。

もちろん、公立にはない授業だ。

だから、小学校から、もしくは中学校からミッションスクールに入る生徒にしてみたら

「何それーー?怪しいもん、教えてもらうんじゃないのー??」

と、教室から聞こえてくることがある。

「聞こえてるっつーんだよ・・」

最初は、こんな声もあるのだが、それも数週間で変わる。

「宗教が、教科の中で1番大好きぃ。」
「先生、宗教、もっと時間数増やして下さーい。」と言う生徒も現れる。

そんな言葉を出させたら、「イヒヒヒ」ものである。

生徒が宗教を気にいる理由は、5教科のように暗記したり、計算の仕方を覚えるものでもないからだと思う。

では、どんな内容を教えているのかと言うと、聖書の話やら、社会問題やら倫理やらと色んな物事を教える。

* 聖書のことばかりを教える教師もいれば、その宗教の教義を教えたり、社会問題についてなど色んな教え方がある。

教科書はなく、副教材という扱いで聖書がある。

教える人間によって、味が変わるというのが宗教という授業だ。

あんまり、聖書、聖書、教義、教義ぃぃ、という授業は生徒は聴く耳を持たない。
それは若者が、昔々の宗教話やら、宗教の決まり事を聞いて、心が躍らないのは、理解していただけるのではないだろうか。

宗教は一時、とんでもなく影を落とした。
この平和と言われていた日本においても、一宗教によるテロ活動が行われ、化学兵器によって多くの人の命を奪ってしまった経緯がある。

ただでさえ、科学技術の発達により、目に見えるものに重きを置いてしまう現代人において、宗教は、極端に魂の救済を求める人だけのものになった。

だから、10代の生徒に宗教を教えるとなると、骨が折れることが多い。
受験で使わないので、軽く見ている生徒もいる。

つまらなければ、寝るし、内職もする。

ミッションスクールにしかない教科を教えるのに、前を向かせないのは勿体ない。

生徒が興味を持つために、何度も泣き、苦しんだ。
何年も試行錯誤を繰り返し、笑う顔やリアクションなど関心を少しずつ持たせる事ができた。

現代の教育は、「寝ている生徒のが悪いのだ。授業は何でも一生懸命受けねばならない」と言われる時代ではない。

つまらない授業をしている教師が悪い。

授業がつまらなければ、学校の評判にもつながる。

乾燥した話になるが、SNSで自分の意見を簡単にアップできる時代である。

「アイツの授業、クソつまんなっ」と書かれれば、影響を受けやすい10代だ。
流れで、そんな気分にもなる。

そして、その発言は、他校の生徒にも流れてしまうのだ。

勝手にマイナスの宣教をしてくれるのだから、怖いのだ。

私は、これまでの人生で何か特別活躍したわけではない。

偉いお坊さんでもなければ、禁欲生活を送っている神父様や修道女でもない。

中学、高校と大学は、平々凡々な生活を送ってきた。
生徒会に入っていたわけでも、部活で何か賞を受けたことがあるわけでもない。

面倒なことがあれば、避けたがるし。
何度も捕まりながら、同じレールの上に戻らされる。
そんな学生生活を送っていた。

特別すごい才能や誇れる力があるわけでもなく、なんとか教師になった。

運で繋いで、これまでやってきた。

そんな私の教師生活。

ずっと、生徒のリアクションばかりを気にした。
自分に自信がなかったのだった。
人一倍、敏感で、悲観的なのだ。

一歩、一歩、歩んできた教師生活は、あっさりと終わりを迎えてしまった。

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