ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

4-7. 思い出せるようで思い出せないのは先々日の晩御飯

エピソードの総文字数=8,253文字

 水音。飛沫が上がる。

『まずいぞ、リズが……!』
「ええ、急がなくては」

 腹を刺されたリズが、海に落ちた。鋭剣(レイピア)の殺傷力それ自体はさほど高くない。おそらく――希望的観測に過ぎないが――まだ生きてはいるはずだ。
 とはいえ目の前の悪漢は、救けに向かうことを許してくれそうにない。

「残念だったなぁ、見えないお嬢ちゃん。同じ手は二度は食わねえのよお。居ると分かってりゃあ、見えずとも捉えることは難しくねんだなあ」
 楽しそうに両手にぶら下げた凶器を揺らして、歯茎を剥き出しにして笑っている。
「ホラホラぁ、イオリノスケぇ。お嬢ちゃんを助けに行きたいんだろう? そうだろう? ならさぁ……もっとかかってこいよお。打ち込んで来いよ斬り込んで来いよ突き込んで来いよお! 早くしないとお嬢ちゃん――死んじゃうぜい?」

 悔しいが、フザの言う通りだった。
 とはいえ、リズの魔術が通用しない相手だ。槍を握る両手に汗がにじむ。
 ――攻め手が無い。
 槍に持ち替えたのは、リズの援護を期待してのことだ。槍の間合い(リーチ)ならば、守るだけならばフザの二刀流も捌きやすい上に、複数人で囲むことも容易だ。その筈が、肝心要のリズがやられてしまった。

(さて、困った……!)

 時間はない。リズの安否が気にかかる。そして、敵の援軍も待ってはくれない。

 槍を手にフザを牽制しながら、しかし伊織介が攻めあぐねていたその時――

「リィィィィィィィィズゥゥゥゥゥゥウゥゥ!!!」
 腹の底に響くような大音声が轟いた。
「行くとは言ったがせめて手段をおい待て待て待て待てああああああああああ!?」
 直後、悲鳴。

 フランの叫びと、ル=ウの存外に情けない喚き声だった。それは魔女の舌から発せられたものではない。伊織介の遥か後方、メリメント号の艦尾甲板(クォーターデッキ)からの声だ。
 吠えて、フランは両手でル=ウを持ち上げていた。軽々と頭上に掲げられたル=ウは両手両足をばたつかせて抵抗しているが、フランの怪力の前では虚しい努力だった。
(ふね)の方は(わたくし)が受け持ちますわ! だからル=ウ、貴女は決めに行きなさいなっ!」
「ばっかお前わたしは前線に立てるタイプじゃないんだってあれほど」
「方位よし! 仰角よし! 宣託(オラクル)――だいたいよし!! 安心なさいなル=ウ、聖霊(プネウマ)も〝れっつごー〟と言っていますわ!」
「絶対適当(テキトー)だろそれぇぇぇ!」
 ル=ウの叫びを無視して、フランがどすんと足を踏み込む。
「問答無用! 魔女(ル=ウ)の宅急便、発射ァ!!」

 そのまま――投げた。ル=ウを。ピンネースの甲板に向かって。

「こんなのは御免だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 ル=ウが、飛んだ。文字通り、30メートルほど吹っ飛んだ。
 見た目以上に軽い身体だけあって、〝シェオルの十字〟を平然と振り回すフランにとっては、この程度の飛距離は朝飯前の仕事だった。

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬゥゥゥゥゥ!!」

 死んでも死なない身体でありながら、ル=ウは涙を浮かべて――黒衣(マント)の下から、四本の黒腕を生やす。
 そのままミズンマストの横帆(トプスル)にぶつかって勢いを殺し、合計六本になった腕で索具を掴みながら、慎重に伊織介たちの居る船尾甲板(クォーターデッキ)に降りてくる。

「――来て、やったぞ、イオリ! ご主人様の到着だ、歓迎しろ!」
 とん、と軽い身のこなしで着地。少々バランスを崩しながら、そして息を乱しながらも精一杯胸を張る。

「……嫁さんかいィ?」
 突然、上から降ってきた(・・・・・)ル=ウを見て、フザがにやにやと厭な表情を浮かべる。
「いえ。こんなのでも、上司です」
 伊織介は予断なく槍身を突きつけながら、フザに答えた。
「そうかい、イオリノスケの雇い主かよお。――じゃあ、まとめて犯すとするかねい」
 冗談めかした口調。それでも、この男は遊び半分で人を斬る。その言葉には、伊織介までもぞっとするような狂気がある。

「……イオリ。ちゃんとわたしを守れよ」
「流石の魔女様も、ああいう手合いは怖いんですね」
「ぬかせ。わたしは本来、後方に隠れてるタイプだって言ったろう。前線はぜんぶ怖いんだよ」
 軽口を交わすも――ル=ウも、伊織介もやるべきことは分かっていた。

(こんなに魔女を頼もしく感じるなんて)
 正直、手詰まりだったところだ。己の身体を弄くられることをも歓迎している自分に気づき、伊織介は自嘲する。
 わざわざ(・・・・)ル=ウがこうして出向いて来たのは、伊織介という()を直接操作するためだ――馬來鬼(ペナンガラン)の時のように。

「おうおうおう、今度はどんな手品が飛び出すのかねえ、たまらねえなあ!」
 フザが嘲るように野次を飛ばす。槍で牽制していなければ、伊織介どころかル=ウにまで飛びつかんとする勢いだ。
「そこまで言うなら見せてやるさ」
 ル=ウの言葉とともに、彼女の身体から伸びる四本の腕が外套(マント)の下に引っ込む。周囲の温度が下がったような感覚。ル=ウの髪が不自然にざわつき、深い青色の筈の瞳が金色に輝き始める。

「穢されし祝福の腕、奇跡なりしは呪いの具象――その醜き肉を晒せ。〝聖人の触腕(キルデア・キラル)〟」

 冷たい指先で伊織介の背中を優しく叩くル=ウ。すると、伊織介の服の下がこれまで以上にぼこぼこと蠢き始める。何か(・・)が皮膚の下で暴れている。

「ぐ、く――」

 痛みはない。しかし、身体の中を犯されるような不快感、言いようのない違和感に、伊織介は表情を歪ませた。覚悟してはいても、こればかりは慣れることが出来そうにない。

「――隙ありだぁ! チェェェェェェェイ!!」

 伊織介の集中が途切れたその瞬間を、見逃してくれるフザではない。容赦ない鋭剣(レイピア)の刺突が、伊織介を襲う。

 だが、伊織介が槍を振るまでもなく、その一撃はぴたりと止まる。
 フザが自ら止めたのだ。
「……へえ。なるほどなあ」
 一息で後方に跳ねて、距離を取るフザ。彼が警戒したものが――伊織介の背中側(・・・)から伸びていた。

 ずるり、ずるりと音を立てて、それ(・・)は伊織介の身体から這いずり出る。

 人の腿ほどの太さのそれは、よく見れば複数の腕が撚り集まったもの。長く、太く撚られた黒腕の集合体――長い尻尾のような触手が一本、伊織介の腰のあたりから伸びていた。

「これって……!」
 驚いたのは、伊織介の方だ。その触手には見覚えがある。
「そうだ。こいつの原型(モデル)は、お前が食らった鬼のモノ」

 〝馬來鬼(ペナンガラン)〟。腸を撚り合わせた触手を振るう、内蔵だらけの怪物。
 マスリパトナムで伊織介が戦い、そして喰らった存在。

「我が名は、〝闇鍋(カルデロン)〟の〝船喰らい(メハシェファ)〟――美味しく頂く、と言った筈だ。伊達でも酔狂でも無く、わたしはきちんと消化(・・)したのさ」

 伊織介に生えた長い長い尾。
 それは、黒腕に変換(アレンジ)されてはいるものの、馬來鬼(ペナンガラン)の触手そのものだった。


     * * *


「――ぐ、くははははは!! すげえなあ、すげえぜイオリノスケェ!」

 黒い触手に叩きつけられ、フザがよろめく――しかしよろめきながらも尚、突っ込んでくる。

「あなたの方がよほど、怖ろしいですよ……っ!」
 槍身でフザの刺突を捌き、そのまま身体を回転させて柄を叩きつける。フザが屈んで柄打ちを躱し、さらに袈裟斬りに繋げてくる、さらに半背を向けた状態の伊織介は触手をしならせて叩き込む。

 そういった打ち合いが、数合も続いていた。

「本当に人間とは思えんな、まったく!」
 フザの怖ろしいまでの気迫に、ル=ウが思わず弱音をこぼす。
 それもその筈だ。槍を振るうのは伊織介自身だが、伊織介の身体に生えた触手を操っているのはル=ウの方だ。ル=ウも出し惜しみ抜きの本気、それも二人羽織り状態で攻め立てているにも関わらず、フザは未だに倒れない。脇腹に銃創を負っているにも関わらず、だ。

「すげねえなあ! せっかくの複数プレイなんだあ、テンション上げていこうぜえ!?」
「僕はあなたとは違うんだ、楽しんじゃいませんよっ……!」
 槍と鋭剣が打ち合い、触手と打刀が打ち合う。ほぼ互角だった。
 槍の間合い(リーチ)は、数メートルにも伸びる触手と噛み合って、フザを攻め立てる。流石のフザも後手に回るようになる。しかしそこまでやって、ようやく互角とも言えた。

 ――いや、厳密には互角とは言い切れない。

「はーっ、はーっ、はーっ……」
 伊織介の息が乱れていた。触手は太く、長い。時には腕のようにしなり、時には尾のように伊織介を支える触手だが、しかしそんな重量物を身体にぶらさげて負担にならない筈がない。その負荷は、少しずつ伊織介を蝕んでいた。
 前回、馬來鬼(ペナンガラン)を喰らった時――ル=ウが魔術の発動を最後の最後に回したのも、そのためだった。この魔術は、あらゆる意味で伊織介にかかる負担が大きい。

余裕(・・)だねえ、イオリノスケのお坊ちゃんよお!」
 ぎらり、と右手の白刃が煌めく。とっさに伊織介は受けに入る――。
「ひゃはっ! ひーっかかったァ!」
 いつの間にか――伊織介の足には、細い(ロープ)が巻き付いていた。
「なっ……!」
 伊織介が目を見開く。文字通り、引っ掛けられた。フザが左手を引くと、伊織介の左足が引きずられて体勢が崩れる。

 フザはこの猛烈な打ち合いの最中でさえ、冷徹に罠を張っていたのだ。破壊された索具の中から、使える(ロープ)をいつの間にか拾って、伊織介の集中が途切れかけた瞬間を捕らえてみせた。

「はァい、俺が一本ンン!」
 フザの左眼が殺意と歓喜に燃える。鋭剣(レイピア)の刺突が、真っ直ぐ伊織介の頭に向けられる。
「イオリ!」
 ル=ウが叫んで、触手を防御に回した。どす黒い血が舞う。触手に、フザの鋭剣(レイピア)が深々と突き刺さっていた。
「しゃあっ! ()の尻尾、頂きィ!」
 鋭剣(レイピア)の刺さったままの触手を踏みつけて、フザが高らかに刀を掲げる。
「させるものか!」
「そうかよ!」
 槍の穂先が突き込まれる。一瞬の隙に足を踏ん張り、伊織介がフザの頭部を狙っていた。防御を捨てた一撃だ。
 だがそれも、フザは右腕を柄にぶつけて止めてしまった。みしみしと腕の骨を軋ませて、それでも尚、フザはにやにやと笑みを浮かべている。

 ――一瞬の膠着状態。フザと伊織介の荒い呼吸が静寂に響く。

「……化物(ばけもの)ですね、本当に」
「そんなものを生やしたお前さんに言われたかねえぜい」
 左の鋭剣(レイピア)が触手を抑えて。右手で槍を抑えたまま、フザがさらにぎりぎりと体重をかけてくる――この状況を、力づくで押し切ろうとしている。
 ここで押し込まれては、今度こそ本当にやられる。伊織介は両手で槍を握りながら、しかし――

「ええ。仰る通り――今の僕には、魔女(ばけもの)が付いてますから、ね」

 ――笑った。

「まったく――魔女遣い(・・・・)の荒い奴隷が居たものだね。前代未聞じゃないかい?」
 
 銃声。硝煙が吹き上がる。 

「ボク、巨漢は趣味じゃないんだ。斬り合い(セックス)なんてまっぴらごめんさ」

 少年のような口調でありながら、歌うような蠱惑的な響きを持つ声――短銃(ホイルロック)を構えたリズが、フザの背後に立っていた。
 その短銃は、伊織介の腰に残っていた筈の最後の一丁だった。最初に姿を現す直前に、掠め取っていたのだ。

「な――ば、かな。海に、落とした筈じゃあ……!?」
 フザの口から、血泡が噴き出した。その巨体がぐらりと傾ぐ。リズの放った銃弾が、背中を抉っていた。
「落ちたのは、鎧だけ。騙されたでしょう? ボク、演技派だからね」
 見れば確かに、リズの左足の具足が無い。海に落ちたと思わせるために、自ら鎧を落としたのだ。

 ――全てが計算尽く。

 とまでは、必ずしも言えないだろう。リズが海に落ちた振り(・・)をしたのはとっさの策、ひたすら隙を伺っていたのも作戦通り。しかし、フザがここままで隙を見せないのは想定外だった。ル=ウの魔術まで動員して、ようやく出来た僅かな隙――綱渡りの策ではあったが、確かに功を奏したのだ。
 右目に一発、脇腹に一発の弾丸を喰らって尚、大暴れしていたフザが、三発目にしてついに血を吐いた。
 効いている。傾いでいる。弱っている。不死身にすら思えたフザだったが、この化物じみた大男は、銃で死に得る人間だったのだ。
 

「ぐ、く、くはは、ぐへへはははは……」
 フザが笑っている。右目、脇腹、背中から止め処なく血を流して――尚、笑っている。
「ぐははははひひひひ! 傑作だ、こいつは傑作だあ! なあ! イオリノスケェェェ!」
 触手に突き刺さったままの鋭剣(レイピア)を捨て、ふらつく身体で、しかし再び伊織介に襲いかかる。

「なんてしつこいヤツだ……。伊織介。今度こそ本当に」
「ええ。きっちり、殺します(・・・・)
 呆れた風のル=ウの声に頷く。未だ戦意が折れないなど、本当に同じ人間とは思えない。

「やァってみろやああああ!!」
 吠えながら突っ込んでくるフザ。両手で刀を構えている――その一撃は、正真正銘、〝(いのち)〟を捨てたタイ捨流の一刀。
 だが、幾度となく打ち合った()だ。その神速の一刀は、既に見えている。
「お言葉に甘えてっ!」
 槍穂が鋭い軌跡を描く。刀の間合いの外から、半身で槍を突きこんだ。
「……チェェイストォ!!」
 一閃、槍先が落とされる。フザの剛剣が、柄ごと槍を斬り裂いたのだ。
 だがそれすらも伊織介は読んでいた。その瞬間には、既に槍は手放し左手は鞘を。右手は柄を掴んでいる。
「つぁッ!」
 裂帛の気合と共に、抜刀(・・)。左から、フザの首筋を狙った居合抜きだ。
「まァだだあ!! まだセックスは終わんねえ!!」
 その一撃すら、フザは右腕を掲げて受けてみせた。刃が腕に食い込むが、骨に当って止まる。片手の抜き打ちは、フザの豪腕を切り落とすには至らない。
「ひゃああ、たまんねえぜ!! 孕んじまう!!」
 右腕に刃を食い込ませたまま、尚もフザは身体ごと突っ込んでくる。体当たり(タックル)――ではなかった。大口を開けて、伊織介に噛み付こう(・・・・・)と、首から突っ込んでくる。

「……(ケダモノ)め。わたしのイオリに」

 だが、フザの凄まじい抵抗も、そこまでだった。その牙は、伊織介には僅かに届かない。

「わたしのイオリに――触れるなッッッ!!!」

 傷を負った、右腕側から、冷徹に。
 大きくしなった触手が、フザを強かに――ついに、打ち据えた。


     * * *


「名付けて、〝死んだふり作戦〟ですわ!」

 戦いの終わったピンネースの甲板で、フランが得意げに胸を張った。

「安直ですね」
「命名はフランさ。ボクじゃないよ?」
 リズは言って、くすくすと笑う。

 ようやく――ようやく、フザ=アルフォンソは倒れた。右目と右腕と脇腹と背中ととにかく全身から血を流して、船尾甲板に伸びている。
 フザが倒れたことで、ついにオランダ兵たちも降伏した。今は僅かな間の戦後処理だ。捕虜を船倉に閉じ込めて、船内を漁る。
 太陽は傾きかけていた。もうすぐ傍まで敵の重ガレオンが迫っていたが、ぎりぎりまで金品は略奪はしておくのが魔女の流儀だった。

「リズさん、傷は大丈夫なのですか……?」
 伊織介が心配そうにリズの顔色を伺う。確かに、海に落ちたのは偽装だったとはいえ、腹部を鋭剣で貫かれたのは事実だった筈だ。
「実のところ、ものすごく痛い。痛いよ。泣きそうさ」
 ちらり、とリズが上衣を捲ると、へその脇に痛々しい真っ赤な裂傷が覗いている。
「うわっ、ち、治療を――!」
「落ち着いてよ、イオリノスケくん。ボクの治療は特別なんだ。だから後回し」
「でも、血が……!」
「良いのさ。ボクの身体は、半ばまで妖精なんだ。物理的な傷では、ボクはそう簡単には死なないんだよ」
「リズはこう見えて、(わたくし)以上に頑丈なんですのよ? 見かけによらないでしょう」
 言って、フランとリズが交互に笑った。

「お前ら……!」

 そこに肩を震わせて乗り込んできたのはル=ウだった。

「なんでお前ら、いつの間にか仲良くなってるんだよ!」
「……そこですか?」
 伊織介が呆れた声を出す。
「そうだよ! わたしに内緒で作戦を立てやがって! わたしは、わたしは本当にリズがやられたと思ったんだぞ、心配したんだぞ! なのに――!」
 目に涙を浮かべて、拳を握ってル=ウが震えている。こう見えて、意外と情は深いらしい。確かに投げ方(・・・)には散々文句を言ったとはいえ、ル=ウは自分の意志で敵船に乗り込んだのだ。それも、リズを助けるために。

「作戦とは言っても、半ば即興(アドリブ)だよ?」
 リズが小首を傾げる。
「僕の腰から短銃を抜き取った後、リズさんは口の形で教えてくれました。〝大丈夫〟って……」
「ちゃんと伝わってたんだもんね。イオリノスケくんは優秀だ」
 小柄なリズが爪先立ちで、伊織介の頭を撫でる。
「でも、あんなにあっさりやられるとは思いませんでしたよ。二人で囲めると思ったのに」
「それはボクも想定外だった。あの変態剣士、強すぎるんだもの」
 子供のような小さな手で撫でられるのはこそばゆかった。
(わたくし)も、宣託によって分かっていましたわ! リズは無事だって!」
「フランも分かっててくれたんだね。えらいえらい」
 リズはフランの頭を撫でずに、尻を撫で回した。その手つきは妙にいやらしい。
「ああんっ」
 フランが妙な声で啼く。

「なんだよぉっ、わたしだけ仲間外れみたいじゃないかぁっ……!!」
 ル=ウが叫んだ。よほど気にしているようだ。
「いやいや、心配かけてごめんよ。ル=ウがそれだけ本気で引っかかってくれたから、あの変態剣士も騙し切ることができたんだよ?」
 リズは今度は、ル=ウの肩を撫でた。この中では最も背の高いル=ウだが、最も背の低いリズに慰められている様は、妙に子供っぽい。

()れるだけのものは()ったであるぞー! さっさと尻まくる(・・・・)のであるー!」
 メリメント号から、リチャードソンが呼んでいる。戦いは終わり、略奪も終わりの時間だ。

「ちょっと待って。あいつ(・・・)はどうする?」
 リズが顎で船尾甲板を指し示す。そこには、気絶したフザが倒れている筈だ。
「……気は進みませんが、きっちり殺しておきますか。もう二度とあんな化物とやり合うのは御免です」
 伊織介は、げんなりと肩を落とした。馬來鬼(ペナンガラン)よりも怖ろしい相手だった。

「いや待て――居ないぞ!?」
 ル=ウが叫んだ。慌てて船尾甲板に駆けつけると、血痕だけを残して、フザの姿が消えている。
「海に……飛び込んだ、のかしら」
 フランの言葉通り、血痕は甲板を伝って、船縁のところまで続いていた。
「泳いで逃げたって言うのですか? ……やっぱりもはや人間じゃないのでは……」
 伊織介は船縁から海面に目を凝らす。何者かが泳ぐ姿は確認できない。むしろ、北西から重ガレオンがぐんぐん近付いてきているのが目立った。
「……どの道、あの傷では長くは保つまい。さあ、(ふね)に戻るぞ。風のあるうちに距離を稼ぐ」
 冷静な口調に戻ったル=ウが指示を出す。

「まだ道半ばだ。だが今夜は……祝勝会だな」


     * * *


 鈍重な大型ガレオンの追撃も振り切って。

 メリメント号は、どんちゃん騒ぎのまま、風に乗って東へと進んだ。次に向かうは、アンダマン海東端――マラッカ海峡だ。

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