地球革命アイドル学部

極貧少女と理想の世界(3)

エピソードの総文字数=2,907文字

――ここか。

 高校から、徒歩30分もかからない場所に九道道場はあった。もう築何年かわからないほど古い2階建ての木造一軒家。塀もなく、通路に面した玄関には、九道道場というすり切れた看板が大きく掲げられていた。

 裏手には昔ながらの銭湯の煙突が見えたし、周囲には地場の零細工場や、3階建てくらいの入居者が長らくいないような雑居ビルがあったりするくらいで、駅から離れた東京都北区の山の手では間々見るような光景だった。駅の方面にもう少し行けばマンションばかりになり、コンビニも姿を見せ始めるのだが、この辺りまで来ると開発に取り組む業者など出てこないだろう。

 西条女子高校からは微妙な距離だったから歩いて来たが、電車で2駅程度の距離感だ。駅に向かったり電車を待ったりすると結局30分は優に超えるので、高校生なら徒歩を選択するだろう。九道姉妹にとっては定期代も節約できる。

 俺が九道道場の玄関に手を掛けようとしたところ、そばの路地から、見知った顔の女生徒が姿を現した。生徒会長、桜丈菜月だ。

 うちの生徒がこの近辺に住んでいることは珍しいことではないが、つい先日、アイドル学部について意見を交わしたばかりなので、やや意外感はあった。

あ……大人の事情のダメ教師。
桜丈くんか。妙なところで会うな。
そこの銭湯のさらに向こうが私の家なのよ。何しに来たのアンタは。

 教師に対して「アンタ」呼ばわりも斬新である。だが、菜月は悪びれた様子もなさそうだった。もしかしたら胸襟を開いてくれているのかもしれないと考えるのは、いくら何でも都合よく考えすぎだろうか。

九道道場に見学に来たんだ。
いったい何で?
 菜月は声を上ずらせた。
実は今、九道姉妹をアイドル学部に誘ってる。その一環だ。
へえ! 校長は毒を喰らう気になったってわけ?
校長にまだその気はないようだが、ぶっちゃけ俺のほうの問題だ。ずばり、他にアテがない。

アンタのそういうところ、本ッ当にカッコ悪いわねー。まぁいいわ、私がダメ教師を追い返す立場でもないし、着いてきなさいよ。

え? 桜丈くんの目的も九道道場?

 菜月は右手を掲げてきた。その手には黒帯が握りしめられ、道着が結わえ付けられている。

私も九道道場の門下生。
マジなのか。君が武道なんかに興味を持つような生徒だとは思わなかったよ……。
実際、私は大して興味ないけどね。単なる運動の一環。スポーツクラブの代わりみたいなものかしら。
駅まで行くとスポーツクラブがあるが……毎日行き来するにはちょっと遠いか。

円香も千香も、私の幼馴染なんだよ。でもホラ、アイツらかなり貧乏してるでしょ。普段着てるズタボロの制服見てもわかるよね?

まぁ、それ以上に知っているつもりだが……。

だけど円香も千香も妙に堅物すぎて、いわれのないお金は受け取らないし、意味もなく驕られたりすることも拒否するタチなんだよ。だから、私はこの道場の門下生になってるわけ。

そうか、月会費を納める形なら、九道姉妹にも抵抗感はないわけだ。桜丈くんは意外と面倒見がいいんだな。だからこそ生徒会長に推されたんだろうけど。

アンタみたいな怪しい人物以外には、私は優しいつもりだけどね。それに私が生徒会長になったのは、大学の良い推薦枠をもらうためよ。本当は生徒会長なんて興味なかったんだけど、周りに推薦されたし渡りに船かなぁって。

推薦枠か。たしかに、最優先で椅子が回ってくるだろうな。
あっ、そうだ。アンタからもプッシュしてくれる? 早慶上智どこでもいいわ。

 まったくもって日本の教育も落ちたものだと正直思う。九道姉妹のような一点突破型の強烈な個性がなかなか浮き上がれず、菜月のようにバランス良く要領を追及した人間が上に立つシステムは、社会全体を強烈に停滞させ続けることになるだろう。教育に血眼になる諸国にも問題はあろうが、国際競争という観点からいえば、日本が衰退に向かっているのは必然すぎることだ。

プッシュの役目を拝命するのは構わないが、俺なんか何の影響力もないぞ。せいぜい職員会議で桜丈くんの名前が挙がったときにうなずくくらいか。

まぁそれもそうよね。考えてみれば、アンタに影響力を期待するのは間違いか。

ただこれだけは言える。桜丈くんなら余裕で推薦OKだろう。

私、結構手堅いタチなんだよね。安全第一、石橋は歩いて渡るの。

つまらない人生だな……と、極めつけにつまらない下等生命体である俺がほざいてみるテスト。

何その語尾、千香みたい。
叱られるつもりで言ったが叱られなかった。
こっちは悲惨なダメ教師に何か言われたって、正直痛くも痒くもないからね。
円香くんや千香くんみたいに何かをアグレッシブに追い求めてみようという姿勢はないのか?

私の場合、生きてりゃ勝ってる。なんとなく、そんな自信があるのよね。だからこそ石橋から落ちなければそれだけで勝つわけよ。わかる、この理屈?

よくわかるよ。なんか日本、もう終わった国なんだなぁとも思う。

ついでに、ちょっとした武道まで学んでるんだから、死角はないんじゃないかな。古くからある名門道場に通って心身鍛錬したっていう実績は、内申にもさらにプラスに働くし、大学の面接や将来の就職のときも有利でしょ。

すげえな。高校生の時分から、そこまで先読みして人生全体を考えられるものか。俺もほんの少しでいいから桜丈くんの賢さがあれば、まったく景色が変わっていただろうさ。

この世をば、わが世とぞ思ふ望月の、欠けたることもなしと思えば――これを習ったとき、妙に感銘したのよね。あ、これ私のことかもーって。

半ばまで頷くが、たぶん桜丈くんが考えているより世界は広いかもしれないぞ。まぁ年寄りのおせっかいだが。

 おそるおそる俺はアドバイスした。菜月がたしかに生きているだけで人生勝っていることはいささかも否定しないが、権力の中枢に君臨した藤原道長と同一視するのは如何なものだろうか。ここはさすがに高校生として、まだまだ世界認識の不足があるように思われた。

アンタごときに忠告を受けるなんて腹が立つんだけど。

 菜月がイラッとした素振りを見せたので、俺は話を切り替える。

やっぱり武道は役に立つものか?

私は週1~2回通えばいいほうの不真面目な門下生だから微妙かも。でも、いざとなったときの心構えを持ってるのと、持っていないのとじゃ、天と地の開きがあると思ったわね。アンタみたいな不良教師に襲われたときのための、護身術くらいにはなるかしら。

人聞きの悪いことを言うな。俺は襲うより、襲われて略奪される哀れな仔羊のほうだ。

 自信を漲らせて、俺は力強く断言した。
あはは! バッカみたい。

女子にも子供にも勝てる気がしないぜ。この俺は心身ともに至弱のゴミ虫。最低最悪にして最弱教師とは俺のことだ。

 俺が爽快にガッツポーズして見せると、菜月は手を叩いて喜ぶ。
自分のことよくわかってんじゃーん。悲惨極まる雑魚教師だけど、息するくらいは別にいいよ。
少しのフォローもないのかよぉ!
 俺は大げさに頭を抱えた。
事実だけに諦めなさい。いいよ、着いて来て。
 菜月は玄関に手をかけて俺を促してきた。素直に俺は菜月の案内に従って道場に入ったのだった。

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