【共幻社公式作品】ジャングルに虎がいる

2-19 結界

エピソードの総文字数=4,252文字

 窓を押し破った土砂に金茶色の蔓が密生し、長く伸びて水の底にまで届いている光景を目の当たりにして、英司は全身に冷たい痛みが走るのを感じた。

 英司は夜中にもこの場所に来た。武器になるものを探して、土砂に潰されていない部分はすべて歩き回ったのだ。だが、そのときには花も蔓もなかったはずだった。

 そしてこの廊下には今、明らかに妖怪のものだとわかる濃密な気配が充満している。

畜生……。
 毛穴という毛穴からどっと汗が噴き出すのを感じた。

 自分の心臓の音がうるさくてたまらない。

(ホールまでは10メートルもない。走ればすぐだ……。戻ったほうがいいのか?)
 だが英司は舌打ちをもらした。

 ホールへ逃げ戻ったとしても、ここと同じ袋小路であることに変わりはなかった。そしてこれがゲームである以上、小霧や茂は助けを求める対象にはなりえない。

くそっ、鉄パイプ……篤志さんトコに置いたままだ。
 あれだけ口汚く罵られたというのに、今も英司は手ぶらだった。その自分の迂闊さに苛立ちが湧き上がってくる。あのときコーラのペットボトルなんかぶらさげていた大馬鹿野郎を殴り倒してやりたい気分だ。
フクスケさんや小霧は俺とは立場が違う……。

そんなこと、今の今までまるっきり考えてなかった。

 同じようにこの状況に巻き込まれたように見えてはいても、茂や小霧は決して深刻な被害を受けることのないプレイヤーという立場に位置している。だが、英司は違う。ゲームに挑む気楽さでいることは許されない立場にいるのだ。

 果歩を守り、自分自身もまた生き残るために……戦うしかないポジション。

 例え丸腰で……戦う技術など何もなくても、だ。

篤志さんな戦えるのかもしれない。

どんなやつが出てきても、戦って……勝てるかも。


でも、俺は……。

 胃の底からじわりと苦みが上がってくる。

 篤志は小霧の操る水の魔物と対峙したときにも一歩も退かなかった。何の予備知識もなかったくせに……互角に戦い、そして倒した。その戦いを目の当たりにしたとき、英司はほとんど何もできずに狼狽えていただけだった。

 その無力さがたまらなく辛い。


 果歩を守らなければならない。


 あのとき、英司の頭にあったのはそれだけだ。

 だからかろうじて、あの場に留まっていられた。その思いだけが、恐怖を打ち消して震えを堪え、無様に泣き言をもらさずにいることを自分自身に強いていたのだ。

 そして今も……英司を支えているのはその思いだけだった。

やるしかない。

果歩を取りもどさなければ、俺はまた……。

 英司はゆっくりと呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けた。

 手近に落ちているコンクリートの破片は、どれも拳に包み込むことのできるような小さなものばかりだ。それを2個、3個と拾い上げる。

 気休めなのはわかっている。だがそれでも……何もないよりはマシだ。

出てこいよ、いるんだろう?

果歩をどこへやった。

 その英司の声に反応して、周囲に立ち込めていた妖怪の気配がふらっとごめいた。水底を這うように伸びた蔓が蛇のように身をくねらせ……。

 次の瞬間、甘い花の匂いがどっと湧き出して英司を包み込んだ。

 蔓草はハート型の葉を次々しとしげらせながら目を見張る勢いで成長し、狭い廊下の床も壁も天井も覆い尽くしていく。ホールへと続く開口部も蔓の形作る壁に遮られ、英司はその籠のような空間に閉じ込められていた。

これでもう君は逃げられないよ。
 視界の端にその男の影が過るのを、英司は見た。

 だがその影が去ったのとはまったく別の場所で、蔓がうねりながらコブを形作り始めていた。蔓の絡み合ったコブはいびつに膨れ上がり、人の形へと変化していく。

 背の高い、男の姿――。

 淡い金色の髪が、床を這うほどに長く伸びている。その伸び放題の髪の合間に見える顔は作り物のように美しく、柔和な印象でさえあった。蔦を操るプレイヤーの顔……なのかもしれない。

 だが英司は違和感をおぼえずにはいられなかった。

(敵……なのか、こいつが?)
 表情はまったく動かず、感情の片鱗さえ読み取ることができない。

 そして目の前に立っている男からは、例えばあの魔法陣に立っていた威月の酷薄そうな印象や、小霧の……人懐っこいように見えて根っから好戦的な気配のような〈妖怪らしさ〉がまったく感じられなかった。

 こうして英司を自らの結界に封じ込めているというのに、ほとんど威圧感さえ与えないほどに、この男の存在は物静かなのだ。

 頭部に白く光る角や、この甘い匂いがなければ、妖怪という存在に敏感な英司でもこの男の正体を見極めることはできなかったかもしれない。

怯えているね。
 口調も静かなものだった。

 言葉に同調して蔓が揺らめく。英司を包み込んだ結界全体が喋っているという感じだ。

果歩はどこだ。どこへやった。
あの女の子か?

――心配しなくても、殺しちゃいないよ。傷付けてもいない。あんな小さな子を戦わせるなんて。俺の趣味じゃないからね。

果歩を殺らなきゃゲームは終わらないんじゃないのかよ。

それともあんた、勝負を下りてくれんのか?

 英司はざわめく蔓の動きを目で追った。

 男の姿を形作る蔓のコブは単なる見せかけに過ぎない。それを英司は悟っていた。

(妖怪は核を使って魔物を操るとフクスケさんは言ってた。こいつも同じはずだ。どこだ……どこにある?)
殺す必要なんてないよ。あの子はもはや自力ではどうすることもできない。俺が完全に封じ込めている。君とあの男も同じように封じるよ。威月の手駒を完全に封じてしまえば、ルールの上では死と等しい。

俺にとってはそれで十分なんだよ。

そのほうが苦しまずにすむだろう? あの子も……それに君もね。

初耳だよ、そんなお優しい妖怪がいたなんてね。
(多分こいつは、直球勝負のプレイヤーじゃないんだろう。例えば小霧みたいな戦闘能力はないのかもしれない)
 それだけに、迂闊には手が出せなかった。

 妖怪たちのあいだにどんな取り決めがあってこのゲームが始まったのか、それはわからない。だが同じルールで勝敗を競おうとする以上、この男だって小霧と互角にやりあえるという自負があったはずなのだ。

 果歩を封じ込めたというその能力こそが、その自信を裏打ちしているに違いなかった。

君のなかまが小霧の水狐を倒すところを見ていたよ。見事な技った。小霧はきっと堪能したろうね。

でも俺は――ああいう力任せで野蛮なやり方は好みじゃない。

(こいつもやる気だ)
 男が発する言葉は今も穏やかだったが、戦いを前にプレイヤーが感情の高ぶらせていることはもう隠しきれてはいなかった。

 英司はあえて男の姿に背を向けた。床を覆い尽くしてのたうつ蔓に、一輪の白い花が割いている。

名乗り合いくらいはしておくかい?
 その花に視線をとどめて、英司は言った。

 もう声は震えてはいなかった。

■■■■■■■■■■■■■■■
 耳元で誰かがささやく声を確かに聞いた。

 果歩が目を覚ましたとき、そこはユニコーンのような男を見た場所ではなくなっていた。

 まず最初に視界に映ったのは、大きな亀裂。その亀裂を中心に染みの広がった真四角の天井全体が、次第に像を結ぶ。もともと作りつけられていた蛍光灯はすべて壊れていて、新たに裸電球の照明が取り付けられている。むき出しの配線が乱暴にステープルで打ち付けられていたが、出来栄えは素人の日曜大工というにもお粗末なものだった。あちこちでたるみ、ビニールテーブでぞんざいにつなぎたされているのに壁までは届かずだらりと邪魔くさく垂れ下がっているという有様だ。

 床にはあのホールと同じペパーミントグリーンの床材が敷き詰められていた。部分的にはめくれ上がったり、擦れて剥がれたりもしているが、さほど傷んではいない。床は土砂を取り除いてきれいに掃き清められ、医療用のベッドが6床、ヘッドレストを左右の壁に接するように3床ずつ列を作って並べられていた。

 果歩が寝かされていたのは一番奥まった窓際のベッドだった。そのベッドにだけは真っ白なシーツが敷かれているが、他のベッドはどれもくたびれたマットレスがむきだしのままだ。

 ここもまた、すべての窓が土砂に潰されている。

英司……?
 小さく呼びかけてみた。

 だが返事はない。

 果歩は身体を起こし、周囲の様子をうかがった。

 あのとき嗅いだ甘い花の匂いがまだ漂っているように感じられたが、すぐにそれは髪に染み付いた残り香なのだと気付く。髪はまだしっとりと水を含んで乾ききっていない。さほど時間は経っていないのだろう。

 着ている服からも同じ匂いがした。

 誰かが着替えさせたらしい。薄い水色のシンプルなワンピース。背中が全部ボタンで止められるようになっている。病院の入院患者のための寝間着だ。シーツと同じく洗いたてで清潔だったが、果歩には少しサイズが大きい。

 着ていた服も、靴も見当たらない。

……。
 仕方なく果歩は裸足のままベッドから降りた。

 そろそろと部屋を横切ってもとは廊下へ続く扉だったのであろう場所へ歩み寄った。今扉はなく、壁そのものも崩れてしまっているが。

誰か、いますか。
 崩れた壁越しに身を乗り出して、廊下の様子を探る。

 廊下には灯がなく、薄暗かった。

 果歩の寝かされていた部屋の灯りと、廊下の突きあたりにあるガラス張りの部屋――おそらくナースステーションだった場所との灯にはさまれて、そのくらい廊下にひとりの男が立っている。

 暗くて表情までは見えなかったが、男はじっと果歩を見つめているようだった。白衣を身にまとい、微動だにせずにそこに立ち尽くしている。
お医者さん……?
 そのかすかな呼びかけが届いたとは思えない距離だったが、男は一歩、足を動かした。そしてゆっくりと果歩のほうへと歩み寄ってくる。
…………。

 息苦しくなるほど時間をかけて、男は果歩の前に立った。少し腰をかがめて果歩の肩に手を置き、顔を覗き込む。

 そのときになってようやく、果歩は男の顔をはっきりと見ることができた。

 無精髭のこびりついた顎。

 がさがさに荒れた肌は土気色に変わっている。

 男の表情は憔悴したようにも見えるものだったが、強い意志を宿す双眸が……あのころと変わらずに果歩を見つめている。

俺を覚えているかい、果歩?
………………。
 身体の奥底から、滲み出すように恐怖感が広がってくる。

 果歩は男の顔をじっと見つめ、弾かれたように小さくうなずき、それから激しく首を降った。


 あがこの男の顔を……忘れることなどあり得なかった。

◆作者をワンクリックで応援!

3人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ