パナギアの童女は茶室で微笑む ――その女は死を知らず、ただ眠るのみ――

脂滴る獣肉もいいが、レモン香る貝――マグダラのマリアも捨てがたい

エピソードの総文字数=7,616文字

 ガチャガチャと給仕をする音が奥から聞こえる。
「ところで、瓶白の今いるところが、茶室の水屋(みずや)(茶道具の収納場所 兼 水周り)にあたるのか?」
「はい、そうです、水屋というよりは、小さいキッチンがあります。散らかっているので、男子禁制でお願いします」
 そういうと、瓶白は洋茶道具《ティー セット》を持って入ってきた。
「今度は、温かいお茶とお茶菓子をお召し上がりください。紅茶を注ぐのは、砂時計の砂が落ちきった後になりますが」
 甘い柑橘、ベルガモットの香が立ち込める紅茶、恐らくはアールグレー。そして貝の形を模したMadeleine《マドレーヌ》、か。それらが、やたらと過度な装飾のある食器と共に振舞われた。カップとソーサーには、鮮やかに咲き誇る花模様、スプーンとフォークは、基本は銀だが、一部、模様に合わせて金色で彩られている。これほどまでに装飾過度な食器を、実際にこの眼で見たのは初めてだ。
「ありがとう瓶白。いい香りだ、アールグレイ?」
「そうです。マルタ騎士団で有名な、マルタ島のベルガモットで香り付けされた、アールグレイです」
「マルタ騎士団ってまだ活動してたっけ?十字軍末裔の」
「はい、〝ロドス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会〟という形でイタリアはローマにオフィスを持ち、医療援助を続けていると私は聞いています」
 ロドス島やマルタ島か、いつか行ける日が来るといいのだが。
「瓶白、かなり詳しいな」
「医療援助とか、興味がありますので。ただ、数学の成績が足を引っ張るために、〝おとなりさん〟の医学部は難しいと思っています」
 なおこの茶室は、十字大学・楽園大学という二大大学の目と鼻の先に存在する。お隣の国で言うところの、マサチューセッツ大学とボストン大学のような関係。また楽園大学には医学部がないので、〝おとなりさん〟とは十字大学を指すのだろう。ところで十字大学(ここ)の医学部って、難しかっただろうか?年中頭が沸騰している姐さんが入れるぐらいだから、臍で茶を沸かしたり、お腹のラッパがプゥと鳴るレベルじゃないか?あ、今思い出した。偏差値71。白い巨塔で有名な難波大学より若干下回るレベル。ただ、数学を難しいと述べるようじゃ、やや苦しいか。
「受験まで三年もあるから、まだまだ大丈夫だと思うけど。それはともかく、この食器は見るだけで、こちらの心を揺さぶってくるものがある。実に眼福」
「この食器ですか?組み合わせが酷くてすみません。陶器はロイヤルアルバート、銀食器(カラトリー)がクリストフルです」
「えーと、すまないが、寺と無関係な西洋的なモノはさっぱりわからん。一般人程度の知識だ」
「この銀色に加え部分的に金(パーシャリー・ゴールド)という派手な銀食器(カラトリー)は、祖母の趣味です。そして私も大好きです」
 なにやら楽しそうだ。彼女は、ギリシャ関連で防戦一方だったこともあるし、今度は好きなだけ話させてやろう。
「先ほどのマンション名前が決まった経緯、覚えていらっしゃいますか?」
「お婆さんの一声で、ル・ジャルダンに決定した件?」
「なぜ祖母がマンションをル・ジャルダンにしたのか、という理由は、単純にこの銀食器(カラトリー)が好きだったから、に違いありません。このクリストフルの銀食器(カラトリー)、シリーズ名を、エデンの園(ジャルダン・エデン)といいます。……祖母はここで美味しいお茶やお菓子を嗜み喜べる事に感謝しながら、瞑想に耽っていたそうです。先ほどは少々言葉足らずでしたが、この茶室は喜び、祈り、感謝の場でありながら、また、信仰、瞑想の場でもあったようです」
「ほほう、キリスト教徒でも瞑想は行うのか?」
「キリスト教徒といっても色々あるのですが、祖母はそうしていたようです。特に祖母の足が悪くなってからは特に、ここで早朝のミサ――ギリシャの正教会(オーソドックス)ではλειτουργια《リトゥルギア》というそうですが――の代わりに、聖句を選んで、瞑想していたそうです」

 なるほど、茶室でありながらも一人用の教会としても機能しているのだろうか。
「よく考えると一つ気付いたことがある。この茶室、瓶白から俺を見ると、真東を向いている事にならないだろうか?これは昔の教会建築のセオリーだった、と宗教建築の本で読んだ事がある」
 俺は腕時計で、この部屋の方位方角を確認しながら言った。
「そのようですね、私も詳しくはないのですが、古い建築様式、例えばビザンチン時代のバシリカ式教会ならば、キリスト教徒は教会の西の入口(・・・・)から入り、東側の至聖所(アプス)、つまり東側を向いて(・・・・・・)ミサを行うのが普通のようです。確か、キリストの救いの光が東から西に、という聖書の言葉から来ていると、伺った事があります。いつの間にか、聖堂の方向は、バラバラになりましたが」
 俺は瓶白の高説を聞き入りながら、マドレーヌを口にしていた。彼女はカップを暖めているお湯を建水(こぼし)(茶道具・捨てたお湯などを貯めておく壷)に捨て、紅茶をカップに注いだ。俺は、彼女の語句を脳内検索しながらも、俺は紅茶をストレートで楽しむ事にした。
「あー、わかった。〝ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう〟の、マタイ24:27が元ネタかな?」
「――金剛寺さんには、頭が上がりませんね」
「ま、そう仰らずに」

 そういえば、先ほどからやたらとフランス語が登場する。気になったので訊いてみた。
「色々と話を聞いていると、瓶白やそのお婆さんは、フランス贔屓なのか?」
「特に、それほどフランス贔屓ではないと思うのですが、……言われるまであまり気にした事がありませんでした。特に深い理由は無いのですが……そうですね、フランスがカトリック人口70%程度の国だからでしょうか?個人的には親近感があります。隣国のドイツだと、カトリックとプロテスタント、それぞれ30パーセント程度です。あ、でもこの食器のロイヤルアルバートはイギリス製ですよ」
「EUとはいえ、国によって、宗派様々な比率なのか。それは面白い。……ところでこの貝の形を模したマドレーヌ――恐らくこれもフランス語だろうが――もまた、美味だな。キメは細く、バターの風味は濃厚で」
「ありがとうございます。マドレーヌは人名です。フランス語でいう〝マグダラのマリア〟なのですが、いくら褒めても、私からはこれ以上、何も出ません……」
 彼女の小さく答えた声を聞いて、俺は喉が詰まりそうになり、思わず紅茶を流し込んだ。
「このマドレーヌは、先の茶請けのような菓子店の売り物では無く……」
「はい、私の手作りです。よければお売りしましょうか?かなり高いですよ?」
 悪乗りする瓶白に、遠慮します、とそっと答えた。

 しかし、ついぞさっきまでは見ず知らずの女子高生。今その人物から、お茶を振舞われ、手作りの菓子を饗されて……
「――実に不思議な話だが、瓶白という人物を、俺は徐々に知りつつある。今日初めて知ったばかりなのに」
至聖所(アプス)方面でのセクハラ発言は、今後、永久に禁止の方向でお願いします」
 笑いながら彼女は、俺の話にツッコミを入れてきた。セクハラが濡れ衣である事を説明せねばなるまい。
「あ、そっちの、アダムがイブを知って(・・・)身ごもらせたという創世記4:1的な『知る』ではなくて、一般的な日本語用法の『知る』なんだが……」
「――私も、金剛寺さんになら、少しぐらい知られても、いいと思っています。勿論、一般的な日本語用法としての『知る』の方ですが。但し、私の方には、ちょっとした根拠があります」
「それはどのような根拠なんだ?」
「――あ、これは困りました、口が裂けても言えません。瓶白家の企業秘密ということで、お願いします」
 何かマズイことを言ったか?セクハラ発言は先のを除けば、特にしていなとは思うのだが。

 そういえば、茶室入口にある〝日糧庵〟と書かれた字に関し、訊いていなかったので、軽く話題に上げてみた。
「そういえば野暮なことを訊くが、瓶白のお婆さんは、年齢的に戦争経験者?食べ物を大切にするような……」
「はい、昭和五年生まれです、若い頃、食べ物には苦労したそうです」
「なるほどね……だから、この茶室は『日糧庵』であり、その意味が、日々の糧を送れ、feed us daily breadsとなるのか」
 俺が独り言をいうと、瓶白は切迫した表情でこういった
「どうしてソレがわかったのです?どこにfeed us daily breadsと書いてありましたか?」
 瓶白、落ち着け、と俺はジェスチャーで促す。
「どこって、あの扁額の揮毫は、文字のクセからして、瓶白のお婆さんが書いたのでは?」
 と、いいながら、さっき俺が通った茶室入口に掲げられた文字を指差す。
「はい、そうです」
「日糧の上に書いてある数字が、feed usの意、日糧の字の下に書いて在る数字がdaily breadsだろ」
「そうなんですか?――いや、そうなのかな、とも思ったことはあるんですが、確証が持てなくて」
「あの数字は、な~んのヒネリも無い、初歩的な暗号だよ。しかも初心者レベル、単一換字式暗号」
 少し驚いた表情で、彼女は訊く。
「しかし、少し見ただけで、わかるなんて……」
「それはなんというか、ちょっとした暗号慣れ、さらに卑怯な裏技があるんだ」
「どんな裏技なんですか?」
「……御想像は御自由に」
 企業秘密に対し、俺も違う表現で応酬してみた。
「えッー!教えていただけないのでしょうか?」
「瓶白に企業秘密があるように、俺にも言いたくない秘密がある」
「――とても残念に思います」
「金剛寺の寺宝『泉女黒書(せんめこくしょ)』に関わる事なんだが、やはり詳細は話せない。代わりといっては何だが……」
 そう俺は切り返すと
「瓶白の名前、苗字ではなくて下の名を当ててみようか?そうだな――当たる確率はそれほど高くは無く、半ば勘だが」
「では、お願いします。当ててみて下さい、確か、一度もお話していないはずです」
「そうだな、みかしろ・とうこ――」
 俺は瓶白の表情を注意深く観察しながら訊いた。いわゆる、一種のコールドリーディングである。
「――これは、御婆さんの名前、だったよな」
「はい、そうです」
 ふむ、そうか。ならば、だ……
「そしてあなたの名前は、みかしろ―い――コホン、いのり―」
 彼女の瞳孔が広がる。ここだ。畳み込もう。
「瓶白いのり、ではないか?」
 ずっと彼女の眼を見ていたい気分だったが、笑顔によって隠されてしまった。
「御見事、大当たりです!でもいったいどうやって?」
「説明したいのは山々だが、そろそろ帰らないと多鹿部長に叱られることになる。そうだな、マドレーヌの代金として、また後日、解説させてくれ」
「金剛寺さんお待ちください、あと少しだけ私のわがままを訊いていただけますか?」
 そういって瓶白は一度水屋に入ったかと思うと、小さな紙切れを持ってすぐに帰ってきた。
「後ろの簡易キッチンには、薬箪笥があるのですが、その中に隠されていた、祖母からのメッセージです。どうも暗号のようで、私には何が書いてあるのかさっぱりわかりません。瓶白家の大切なものが示されている、らしいのですが。金剛寺さんならひょっとして、と思いまして……」

 俺はその紙を一瞥した。そこには次のような文章か記載されていた。


  くぉう゛ぁでぃす,ねぷてぃす?

  1
  [-00/00/20, 00/00/21]
  薔薇冠と 蟹は うたた寝 赤壺の下
  [-00/26/19,-01/44/54]
  パナギアの 孫は海星 坂の上

  2
  [01/25/28, 107/52/07]
  金もなく 銀もなく
  キリストの名で歩けば強くなる
  二人を結ぶ ユカリキリセ
  ないは あるなり その円環

  3
  [02/45/40, 109/37/33]
  ブルブルと 結ぶ心は 涼しかるらん
  義の太陽 翼を詰めるは エホヤダの箱
  満たされし奇しき薔薇壺 赤壺の蟹へ

  ぜはっだばぁるあしぇるたぁす


 そして例のごとく、いくつかの小さな数値も書き添えられている。

「ぱっと見では難しいな。何かヒントは?」
 俺はヒントを求める間、頭蓋骨の中に詰まった灰色の神経細胞を活性化させるべく、両目を閉じた。
「そうですね――〝薔薇冠と蟹〟の部分、これは祖母、〝パナギアの孫〟は、私を指していると思います」
「薔薇冠と蟹自体が何かの暗号?」
「祖母の洗礼名が、マリア・ザビエラなのです。薔薇冠が聖母マリアを、蟹がフランシスコ・ザビエルを指します。ザビエルの命を救った、蟹の話をすると長いのですが」
「そうなんだ。それじゃパナギアは?」
「これも聖母マリアを指すのですが、日本語だと〝(まった)き聖〟となります。私の洗礼名は、マリアです――どうでしょう?金剛寺さんの裏技で、この暗号、解らないものでしょうか?」
 人の裏技を何だと思ってやがるんだ、このお嬢さんは。
「瓶白、ところで今、お婆さんは何処にいらっしゃるんだ?」
「この茶室の南東方向に800mぐらいでしょうか。地下鉄で一駅の場所にある、第八日赤病院に入院しています。三ヶ月ほど前から意識がなく、もうお話すらできません。文字の筆圧から見て、この暗号文自体は、まだ意識のある入院前後に書かれたような気がします」
「そうなのか、お婆ちゃん子としては、大変だな」
 そう言えば、瓶白からは父母の話はあまり出てこない。俺の家と同じような環境なのだろうか?
 話しながら同時に簡単な計算をしてみる。瓶白の、病院は『南東方向800m』を言葉のままに鵜呑みすると、800と二の平方根の商で、南に566m、東に566mぐらいか。ここが北緯35度として、秒に直すと18秒と23秒。なるほど、この線かもな。

「――お気遣いありがとうございます」
「で、この暗号なんだが、解き方に関しては俺は今、何となく解った。詳しくは、調べてみないと何ともいえないが」
「本当ですか!?」
「ああ。ただ、解せないのが三段目の一部、これは京都・清水寺を指す〝御詠歌〟の一部なんだが、ちょっとおかしい。全体的に言えば、一段目が手がかりとなる大ヒントで、二段目がさっぱり不明、三段目には何らかのヒネリが入っている、そんなところだ。疑問点を踏まえていくつか調べたいことがあるが、たぶん解ける」
「この暗号文の解決、金剛寺さんにお頼みしてもよろしいでしょうか?」
 人助けというのは、心を鍛錬する者においては基本的な日常、日常茶飯事だ。茶室で茶飯事とはシャレが効いているな、俺。頼まれたからには断るわけにはいくまい。俺は片目を開け、応じた。
「まあいいさ。茶菓子の礼だ」
「ありがとうございます。あと、お頼み事ばかりで申し訳ありませんが、これは瓶白家内、家庭の事情ですので、どうか他言無用、ご内密にお願いいたします。二人だけの秘密にしていただけると……」
「了解」
 話も終わったことだろうから、俺は立ち上がって、帰り支度を始めた。瓶白は、預けた上着を持ってきて、俺に着せた。
「では、マンション管理人室で、このコピーを取りますね」
「いや、コピーは不要、資源と時間の無駄」
「もしかして……もう覚えられましたか、ひょっとして全文?」
「……そういうこと。もう、わかっただろ?直感像記憶。俺にとっては見ることは覚えることと同じ。一度見れば、いつでも思い出せる。その映像が目の前にあるかのように」
 だがそれは、絶望的な孤独をもたらすという弊害もあるが……実際、最初は興味本位の好奇心を俺に対して誰もが持つが、その後、異常に嫌われるのがいつものコースである。しまった、彼女が固まっている。
「ま、それはさておき……素晴らしいお茶とお菓子、美味しかった。ありがとう、瓶白」
「実にお粗末な物でしたが、お褒めの言葉、ありがとうございます」
 互いに深い礼を交わし俺は茶室を退室した。駐輪場まで御一緒します、と彼女は追いかけてきた。
「ところで、金剛寺さん、高校はどちらに通われるのですか?」
「俺?俺は中学校も高校も十字大付属」
 そういって、俺はその方角を指差した。
「そういえば瓶白はどの高校?」
 そう訊くと、彼女は別の方向を指す。
「楽園高校女子部です」
「なるほど、事実上女子高の、楽女(らくじょ)だったのか」
 それを聞くと俺は愛車ケッタマシン三号に(またが)り、瓶白に再度、図面と茶の礼を述べた。
「ではまた、お会いできる日を楽しみにしております。いつでも、谷川の水を(した)(あえ)ぐように、お茶を飲みに来てください」
 会釈するお嬢様に、軽く手を振り応えた。ところで、俺は鹿じゃないって。さらにいえば、むしろ谷川の〝お茶〟よりも、乳脂肪の多い〝マドレーヌ〟が気に入ったんだが。――また食べたくなる、クセになる(バター)の味わいだ。

 愛車を漕ぎながら、俺はフと考えた。さて、お会いできる日、と言われたところで、そもそもどうやって次の約束(アポ)を取ればいいんだ?学校は違うようだし。気は進まないが、あの声の低いドスの効いたマンション管理人に取り次いでもらうのか?そう考えていると、携帯電話が軽く振動(ヴヴ)った。なるほど、そういえば俺の携帯電話番号入りの名刺を、彼女に渡していたな。携帯電話を見ると、見知らぬ人から通信文(メッセ)が届いていた。

マグダラのマリア(マドレーヌ)の御代、高額ですので、お忘れなく〟

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★マタイ24:27「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」
★創世記4:1 「人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、『わたしは主によって、ひとりの人を得た』」
★コールドリーディング:事前の準備なしで、(表情などから)相手の情報を探る行為。
★feed us daily breads:元々はgive us this day our daily breadだが、giveをfeedに変更してある。元はマタイ6:11「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」であるが、この周辺は「主の祈り」として有名。
★詩篇42:1 「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ」

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