地球革命アイドル学部

極貧少女と理想の世界(1)

エピソードの総文字数=7,388文字

 職員室。

 朝出勤すると、俺の席の前で2人の生徒が待っていた。やる気のない俺は勤務時間より大幅に早く来ることなどないから、俺の出勤を待っていたのだろう。

宗形先生、昨晩は本当にゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい。

 九道円香が、俺の姿を確認すると何度も頭を下げてきた。

 円香は、同じくらいの背丈、似たような子を伴っていた。妹の、九道千香(くどうちか)だ。

ちっす。

 九道姉妹は、我が校では知らぬ者なし。とくに姉のほうは、武道家としてしばしば『月刊武道』などに好意的に取り上げられており、未来の日本武道を担う逸材だとされていた。去年の空手部インターハイ優勝時には、その見た目と強さのギャップから、18時代のテレビニュースでも取り上げられたほどである。

おはよう。昨日は、あのあと大丈夫だったのか?

 スーパーの控え室に運ばれた円香は、救急車を呼ぶ直前で目を覚まし、騒ぎは大事になる前になんとか収まってくれていた。だから学校にも報告していないし、円香の自宅にも連絡はしていない。

こんな私のせいで心配させちゃってゴメンなさい。皆さまにはご迷惑ばかりかけてしまっていて毎日謝罪してばかりです。だいたい私のせいなんです。

 本当に円香のせいだから困る。
お姉ちゃんを介抱してくれて乙っした!

 妹の千香は、眉間にしわを寄せるほど真剣な面持ちで俺を見据えてきた。ガンを付けられているようにすら思えるほどだが、千香のひたむきさの表れかもしれない。妹のほうはバリバリの体育会系といった態度全開で、その華奢で可愛らしい印象とは目まいがしそうなほどのチグハグさがあった。

無事で何よりだ。びっくりしたよ。ともかく、一切気にしなくていいぞ。

それから、鶏肉をプレゼントしてくれてアザッす。KYなお姉ちゃんの借金申し出みたいなワガママにも付き合わせちゃってセンセンシャル。

――セ、センセンシャル……。

 たしかネットスラングの一種だったはずだ。「すみませんでした」という意味だろう。

 ただ、千香にはネットの住人というイメージがまるでない。その熱意漲る眼差しと、ツギハギされたボロボロの制服から、命がけで生き抜いてきたという野性味がひしひしと伝わってくるようだ。

 ネットスラングと体育会系の態度が意外とマッチしているのは、千香と相対したことによる新しい発見だった。いやもしかしたら、ネットスラングを忌避するのは俺たちの年代だからであって、今の若い層では体育会系の挨拶に転化してしまっているのかもしれない。

千香に昨晩の出来事を報告したんです。そしたら千香から、お礼するより先に、まずはお金を返済することが先決だって叱られちゃって。

清水の舞台から飛び降りる覚悟で貯金箱に手刀喰らわせました。28円全額出てきたので、お姉ちゃんの借入金全額返済できます。ありしゃす!

 言いながら千香がサッと両手で差し出してきたのものは……じゃらじゃらと1円玉が28枚である……。

 財布入れが意図せず膨らむだけという、普通なら嫌がらせそのものだ。だが九道家にとって1円玉がいかに貴重か俺には何となく感覚がつかめていたので、ありがたく受け取ることにした。返してもらう必要などまったくないのだが、本人たちが満足いくようにさせてあげるのも大人としての態度だろう。

手刀喰らわせた手のほうは大丈夫だったの?
手、っすか? 別に何とも……。貯金箱は瀬戸物でしたし、軽く真っ二つでしたよ?
そうなのかー……。ちなみに、貯金箱から幾ら出てきたか聞いていい? 単なる興味本位だけど……。

必死で全部数えて、367円もありました。一瞬、あれも買おうこれも買おうって思い浮かんだんですけど、散財しちゃいけないなって気を引き締め直してます。お金は千香に管理してもらわないと……。

お姉ちゃんはちょっとドジなところがあるんで、家のことは自分が仕切ってます。
ち、ちなみに……ぜんぶ1円玉?
そうですけど……?
 円香はきょとんとした。

俺の知ってる常識と色々違うな……。ただそれって、貯金箱のほうが高くない?

貯金箱は、郵便局とかで配られているのをタダでもらったものばかりですよ。我が家では、貯金箱は年に数回壊すので、予備は常に幾つもあるんです。千香が色々考えてくれて、さっそく新しい貯金箱に、今回の367円から200円分を投入しました。

 貯金箱に200回分も硬貨を投入する作業は、かなり骨が折れる作業であるような気がした。

九道家にとっては瀬戸物の貯金箱が、銀行の保管庫みたいなものなのかな……。

 手のひらにある、じゃらじゃらした1円玉の山に俺は視線を落とした。未だかつて、これほど貴重な1円玉にはお目にかかったことがない。

 俺は1円玉を机の引き出しに仕舞いながら言う。

そうだ、2人にちょっと依頼があるんだが、いいかな?

わかりました、ご依頼ならひとっ走り行ってきます。あんパンですか、ジュースですか? お金はないので奢らせてもらうことはできませんが、使いっ走りなら全力投球でいきます! どうぞダメな私を使ってください!

 自らパシリを買って出るスタイル全開である。そういえば円香は、学校内でも、パシリ志願者として恐れられているとは噂に聞いていた。たぶん本人のなかでは公に対する奉仕活動の一貫であり、世界人類のためになろうと懸命なのであろうが、それが転じて強烈なパシリ志願となっており、方々に使いっぱしり役がないかどうか要求して回っているという話だ。それゆえに円香は逆に恐怖の対象であり、学内の生徒たちを震え上がらせているという。

い、いや、誰も使いっぱしりなんて頼んじゃいない……。君たちに相談なんだが……。

肉体労働じゃなくて、まさかの相談……? 宗形先生、私はバカすぎるバカなんですよ。高校のテストも、いつも赤点ギリギリで、断トツの最下位なんです。

学校の成績なんて関係ないよ。

私ごとき残念大魔神に相談なんて逆効果でしかなくて、宗形先生が大変なことになるかもしれませんよ。それでも、いいんですか……?

 残念大魔神……さも小学生が頑張って考えたような造語に辟易しつつ、俺はうなずく。

まったく問題ない。君たちなら大丈夫だろう。

ううっ、宗形先生……。私なんかダメな子を頼ってくれるなんて……。どうなっても知りませんけど……とっても、とっても嬉しいです……。

お姉ちゃん、胸熱はまだ早いよ。まずは宗形先生の相談を聞いてみないと。自分らが命を捧げられるかどうかは、それ次第……。

 誰も「命を捧げよ」とは言っていないはずである。円香も「武人の本分は死ぬこと」だと言い切っていたし、千香もナチュラルに命を投げ出す覚悟があるようだった。

 なんなんだこの姉妹は……。2人の方向性は全然違うものの、妙な暑苦しさがある。

あっ、うん、そうだよね。宗形先生、お願いします!

 円香は燃えるような瞳で俺を見つめてきた。パシリ志願を誰からも相手にされなくなってしまった円香は、物事を頼まれるのに飢えていたのかもしれない。なるほど、だから昨日は「現実では誰にも求められない」と嘆いていたのか。

 それにしても、これだけ前のめりに相談を聞かれるとかえって困惑してしまう。

うちの高校で、アイドル学部っていうのを作ったんだよな。そこで、アイドルとして売り出していく子たちを探しているんだが――

 俺は姉妹の2人に、かいつまんでアイドル学部について話して聞かせていった。

 一通りの説明が済んだあとに、俺は聞く。

2人とも普通科だったよな? アイドル学部に転籍してみるつもりはないだろうか?

 やや慎重に、俺は2人に勧めてみた。今のところ、九道姉妹を第一号アイドル学部のメンバーとしてしまうのは、校長は簡単に許可しないだろう。だが俺には、他に転籍してくれそうな生徒というのは思い浮かばなかった。

 この九道姉妹でもダメなら、本当に外に探しにいかなくてはならなくなり、タレントスカウトを街中ですることを強要される可能性すらある。それだけは勘弁だ。

そもそもアイドルなんて、私たちに務まるんでしょうか? 千香はともかく、私なんてそんな……。

十分に大丈夫じゃないかな。君たちならそこらのタレントさんたちと並んでいても、まったく見劣りしないと思うよ。

私なんかのお話を聞かされる皆さまが可哀想です。日本中に迷惑をかけすぎて大変なことになるかもですよ。

アイドルだって色々な種類があるだろう。人前での話が嫌ならそれは避けてもいいんじゃないか。

誰得なんすか、自分がアイドルって。大草原不可避って感じです。

そりゃ君たちにファンが付けば、ファンの人たちが得するんじゃないか。将来の話だけど……。

 2人とも群を抜く美形の子であることは疑いなく、だからこそ円香の空手インターハイでの活躍が一部の業界で妙にクローズアップされているのだが、使い古したみすぼらしい制服を着用していることがさらに輪をかけて2人を浮き立たせていた。とくに妹の千香は、まだ今年入学したばかりなのに、制服はどこからか捨て値で入手したものであることは一目瞭然だった。拾ってきたのではないかと思わせるほどの古着である。1年の同級生たちはピカピカの制服ばかりのなかで、千香のボロボロの恰好がひときわ際立つというものだ。

 さしもの特待生待遇といっても、授業料が免除されたりはするだろうが、今どき制服を支給なんてことはないだろう。学校側としても、新品の制服を購入できない家庭があるという事情は想定外であるはずだ。

 ただ、そんな九道姉妹をバカにする女生徒はいない。全国で名を馳せる武道少女と敵対して得になることは一つもないはずだ。それに円香はパシラーとして名を馳せ恐れられていたし、千香は体育会系色が強すぎて普通の女子では近づけない。2人とも一種の畏怖の対象なのだ。

そんなダイナミック不謹慎、考えたこともなかったので素直にびっくりしました。自分なんかを誘ってもらってありしゃす!

 両腕をクロスさせるように引き、頭を下げる仕草をする女子はなかなかいない。

 ただ、2人とも意外なことに拒絶するような反応ではなかった。桜丈菜月のときも剣持胡伯のときも頭から拒否だったのと比べれば、九道姉妹の反応はずっとマシだ。

ドジすぎてドジな私にはアイドルさんなんか出来るとは思えませんよ! 千香は、私にできると思う?

マジレスするけど、お姉ちゃんにはちょっと難しいかもだよ。たぶん意外と頭を使う仕事じゃないかって思うし、お姉ちゃんみたいに能筋専門だと大変かも……。

 妹からストレートに「脳筋」呼ばわりされる姉は大丈夫なのか。

 しかし千香は親身な面持ちだったし、心からのアドバイスなのかもしれない。そして姉のほうは感じ入ったようにうなずき、妹に深く同意する。

そうだよね……! 私なんかがアイドルになったらみんな絶望の真っ暗闇だよね!

それに、自分たちが校長先生に特待生として迎えてもらえたのは、あくまで空手日本一を期待されたからだよ。今は武道に全力を挙げて取り組まないと。

 両立は簡単ではないということであって、どちらかに軸足を置くのなら可能ということなのだろうか。少なくとも、可能性ゼロではなさそうだ。

少しだけアイドル活動にもチャレンジしてみるっていうのはどうだ? 色んなことを経験しておくのは、決して損ではないはずだが。

宗形先生、自分もお姉ちゃんも、今はリア充してる場合なんかじゃなくて、高校のために全力を尽くして武道の道を究めることが必要なんです。自分たちは、余計なことに時間を取られているヒマはない立場っす。

宗形先生ゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい。ほんの一瞬でもアイドルをやってみたらなんて考えがよぎった私はやっぱりノータリンでした。私と千香は、この私立高校の授業料を全額免除してもらえているだけじゃなく、それぞれ特別給付金2万円づつを毎月支給して頂いています。私たちが暮らしていけるのはそのおかげです。こんなに良くしてくれている高校のことを誇りに思ってます。高校のために、天下無双の旗を全力で掲げなくてはならないんです。

 高校として月2万円の特別給付金を支払っているのは、特待生を少しだけ優遇するための「通学手当」程度の位置づけなのだが、九道家にとってはそれが切実な生活費用として計上されているらしかった。

これ以上強くなられると、高校としては困るばかりみたいだぞ……?

校長先生から受けた御恩は返せないほどです。だからさらに強くなって、今年のインターハイはさらに圧倒して優勝しようと誓っています。

お姉ちゃんはガクブルするくらい強くて自分じゃぜんぜん敵わなくて、こんな自分が特待生になってしまって正直スマンカッタ。でも、高校のためにお姉ちゃんを引き継いで強くなるっす。もっと、もっと強くなるっす……。それが高校への心からの恩返しだと思うんで。

 千香はさも切実な表情で、今にも涙を流さんばかりに語り、小柄な身体を打ち震わせた。

 すさまじいまでのアベコベぶりに、俺は半ば頭が混乱することしばしだった。

 もともと校長が、この九道姉妹を、高校の文武両道の宣伝のために特待生待遇でスカウトしてきた。彼女たちは高校のことを愛し、心から校長に恩義を感じていて、恩返しとして強くなり、インターハイではさらなる無双を見せつけようとしている。そのせいで高校の評判はガタガタになってしまっていて、シャレにならないほどの危機に陥っている。それを挽回するために、俺と一華がアイドル学部というふざけた構想の担当者を押し付けられ、四苦八苦する日々だ。どこをどうすれば歯車がここまでかみ合わなくなってしまうのか。一体全体、俺は何のためにアイドル学部創設に奔走しているのだ?


 ちなみに、校長が千香の特待生待遇を決めたのは去年の半ばころだ。千香がまだ中学3年になって間もないころだろうか。そのころは、それほど無双高校のレッテルを貼りつけられていた状況ではなかった。その後、円香が高校2年にして空手インターハイで圧倒的な優勝を飾り、それだけならよかったのだが、とても武道とは縁がなさそうな円香の顔立ちや体つきがSNSなどを通して狭い範囲で話題になり、それが新聞記事などになるに至って、話題がどんどん転がっていくほど円香の強さばかりがクローズアップされ、その名を聞けば不良も逃走する最強高校の烙印を押されるまでになったのである。

 去年の入試時に倍率1倍を下回り、うちの高校の急激な危機が発覚したときには、すでに千香の特待生待遇は決定事項であったのだ。

あんまり頑張らなくていいと思うよ本当に……。それよりアイドル学部に移ってもらったほうが……。

 九道姉妹の努力を別の方面に向けることで、少しでも空手部の力を弱める作戦もあるのではないかと俺には思われた。

 しかし円香の表情は真剣味を増す。

本当はバイトとかもどんどん入れて生活を成り立たせたいんですが、今はそれ以上に勝つことなんです。私がさらに圧倒すれば、高校の知名度向上に繋がるんだって信じてます。

呂布みたいなお姉ちゃんと比べたら全然ヘタれな自分を、『君なら絶対高校を支える逸材になれる』って励まして迎えてくれた校長先生には、感謝しても仕切れないっす。今でも胸熱です。中学生のころは、いずれ定時制に通ってバイトしながら、武道の道で頑張ろうって考えていたんですが、こんな立派な高校に特待生で迎えてもらえるなんて……。メンブレなんてしてるヒマないっす……。

 熱く語る千香の目には涙が光っていた。

 メンブレという言葉に一瞬戸惑ったが、これもネットスラングの一つで、メンタルブレイクを略したものだったはずだ。なかなか千香の言い回しは難しい……。

千香、泣くことないんだよ……。私なんて千香がいなくちゃ暮らしていけないくらい、普段から頼りっぱなしなんだから。ゴメンね千香、だいたい悪いのはいつも私のせい……。

本当は、お姉ちゃんのリアルチートっぷりに敵いそうもないから、頑張って家を支えようって思ってるだけで……。でも来年お姉ちゃんが卒業したら西条女子高はオワコンなんて、絶対言わせない……。

 切実に声を震わせ、千香は涙をぬぐった。静かに円香は千香の肩に手を回し、優しく慰めたのだった。

 純粋で美しい姉妹愛を見せつけられて言葉もないが、そろそろホームルームの時間だった。

 俺は今、担当するクラスを持っていないため、授業のための準備をすればいいだけだった。しかし2人は教室に戻らねばならない。

わざわざ返済に来てくれてありがとうな。君たち2人の義理堅さは十分すぎるほど理解したよ。ともかく、そろそろホームルームだから戻ったほうがいいだろう。

後生です宗形先生、返済した記録を付けて頂いても?
返済記録? だって28円だよ?
え? 28円ですけど……。

 そうだった、九道姉妹と向き合うのに、自分の常識的な金銭感覚を振りかざしてはいけない。たとえ1円でも、九道姉妹にとっては貴重なお金なのだ。

 俺は返済記録を付ける代わりに、自分の財布を取り出した。裏書として28円の記録が書いてある名刺を、財布に入れっぱなしだったのだ。円香が「借」と「貸」を取り違えて書いていたため、なぜか俺が28円を借りたことになっている借用記録だ。俺は名刺を取り出して差し出す。

これを返すという形でもいいかな?
はい! ありがとうございます。
お姉ちゃん、古い名刺を返してもらったのなら、新しい名刺を渡さないと。
あっ、そうだよね。えっと……。

 円香は、新しい名刺を俺に渡してきた。やはりペラペラの画用紙だ。さすがに一枚一枚がお手製なだけあって、微妙に違う字となっていた。


こちら、新しい名刺です。トンマで大迷惑な私なんかどうでもいいので、九道道場と千香のほうをよろしくお願いします。

自分も渡します。改めて、九道千香っす。オナシャス!

 姉である円香は「師範」だが、千香のほうは「師範代」と書かれていた。

 俺はタイミングを見て、あと一度だけ九道姉妹をプッシュしようと気持ちを固めていた。アイドル学部に初メンバーを獲得するのみならず、空手部の力をそぎ落とすという、一挙両得になりそうな作戦だったからだ。アイドルはともかく、空手部を弱めるためという話なら、校長も受け入れる可能性があるかもしれない。

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