神と大統領と弾道ミサイル(仮)

神の取引

エピソードの総文字数=7,476文字

おめざめかね。

 見下ろすようにして立っているスーツの男が、ちょうど天馬をのぞき込んでいるところだった。

 天馬は半身を起こし、その男と視線を合わせる。

……?
 急に目覚めたせいかしばらく視界がぼやけていたが、やがて天馬は息をのむ。
……な、に……? プーチン登場、だと……?
 その男は、まぎれもなくプーチンだった。ロシア大統領にして、世界政治のキーパーソンの一人。もはや世界でも知らぬもののないほどの有名人であろう。
ふむ。意識は戻ったようだな。

 プーチンはしげしげと天馬を見やり、小さくうなずいた。

 天馬はまじまじとあたりを見渡す。部屋は医務室のようだった。医務室には自分とプーチン、そしてドアの近くにはスーツに身を包む女性が控えていた。若くて美形の女性だが、警戒した様子でこちらを注意深く監視している。護衛だろう。

 天馬は声を絞り出す。

ここは、どこだ……?
クレムリンの一室だ。

安心するがいい、君はいま守られている。

目が覚めたらクレムリン……異世界より異世界だな。
 しかも目の前にはプーチンである。これで戸惑わない人間がいるものか。
水でも飲め。ビジネス交渉はそれからとしよう。

 プーチン自らが、ベッド脇に置いてあった水差しを差し出してきた。

 喉がカラカラだった。プーチンは気が利く男らしい。

 プーチンは英語で話しかけてきていた。プーチンはロシア語、英語、ドイツ語がどれもネイティブだと言われている。わざわざ天馬がすぐ理解できる言葉を選んで使ってくれているのだ。

 天馬は奪うように水差しを取り、ごくごくと喉に流し込んだ。

 プーチンは医療用のラウンドチェアを引き寄せ、そこに腰を下ろした。

君は、各国の情報機関に狙われていた。我々がそれを救ったのだよ。

 言い聞かせるようにプーチンは強い語調で言った。

 天馬は眉をひそめる。

……は?

なんだその不思議な発想の転換は。守ったとでも言い張るつもりか?

貴様らがこの俺をさらったのだろう。

そうとも言う。

 プーチンはニヤリとほくそ笑んだ。

 コンビニに出かけたとき、家の近くに停まっていたバンのドアが突然開き、天馬に暴行を加えてきたことまでは記憶している。自分の能力を考えれば、かなり早い段階でこのような事態に陥る可能性もあるだろうと、早くも10代の時分から身構えていた。しかし天馬の予想に反し、なかなかそのような事件が発生しなかったので、身構える意識も忘れかけていた頃合いだったのだ。ようやく機会が巡って来たのかもしれない――。

 天馬は高飛車に言い放つ。

話を聞こう。

貴様らにこの俺の頭脳を貸してやるかどうか、決めるのはそれからにしてやる。

フフフ、面白い男だ。

君のwikipediaがネットで編纂されていたが、バカバカしくて腹を抱えて笑ったよ。

 プーチンは懐から、プリントアウトされた用紙を取り出し、天馬に差し出してきた。受け取ってみれば、天馬のwikipediaのページがプリントアウトされたものだった。

不動天馬

・IQ測定不能とされる歴史上最高の天才。

・途方もない知能の高さのため、異次元の男と言われる。

・一度見たものをすべて記憶することができる。

・5歳のころには、分厚い電話帳を完全に記憶してみせた。

・6歳のころには、古典版『源氏物語』を読み切った。

・7歳のころには、ラテン語版『ガリア戦記』を読みこなした。

・8歳で『ツァラトゥストラはかく語りき』に触れ、その思想を隅々まで理解した。

・9歳のころに受けた知能指数検査『スタンフォード・ビネー知能尺度第4版』において、人類史上初の『測定不能』をマークした。

・10歳で相対性理論を完全マスター。

・11歳の頃には『量子力学の数学的基礎』を読破した。

・数学者(※父親)が半年間の苦心のすえにようやく解いた問題を、不動大樹は脳内だけで一瞬で解いた。

・ミレニアム懸賞問題7つのうち、未解決6つについても思考し、すべての問いに対してわずか2週間で答えに行きついた。ただし論文は未発表。

・あまりにも人間離れした思考のために、人間ではないと疑われている。

ふん。自分の華麗な経歴を見せられたところで、今さらなんだというのだ。
 天馬は用紙を突き返した。
このwikipediaを編纂したのは君自身だろう。なかなか恥ずかしい男じゃないか。
……う……この俺のことを調べつくしたとでも言いたげだな……。
もっとも、君のような引きこもりの男だと、君自身で編纂しなければ他の誰もこれを書いてくれないだろうがね。ちなみにだ、君以外でこのページにアクセスした人間はほとんどいなかった。つい数日前までは。
ならば、ここ数日は大いにアクセスを集めたということか。俺が知識の片りんをつい披露してしまったせいなのだな。
我々が調査した範囲内においても、君自身が編纂したこの経歴にはひとつだけ疑念がある。『歴史上最高の天才』……これは誰にも証明できない。
 満足げに用紙を見やったプーチンは、用が済んだと言わんばかりにそれをびりびりと破き、そばのゴミ箱へと投げ捨てた。そしてプーチンは続ける。
仮にとてつもない知能指数を持って生まれてきても、君のように引きこもりのまま人生を終えてしまう人間とていたかもしれん。また仮に、それほどの知性の持ち主ならば、このような世の中で生きることに意味を見出さなかったかもしれん。

だから、断じるのは間違いだ。

俺自身が証明できればそれでいい。貴様がどう思おうが、俺の知ったことではない。
ここに書かれていない情報も数多い。我々が裏付けをとった限りでは、君は15歳から40歳までずっと引きこもりとして過ごしてきた。ネットゲームに明け暮れ、ネットの掲示板を荒らしまくり、毎日を無為に過ごしてきた。おそらくこれ以上にないほど愚かしい、無駄な人生の消費の仕方だ。
掲示板を荒らした覚えはない。たまに途方もない優しさを発揮してやって、質問に優しく答えたりしただけだ。
あらゆる質問・疑問に超長文の投稿で答える奇妙な人間として、かつては『ネット神』とも称されていたことがあるようだな。
俺ほどの才気の持ち主ならば、どこで何をやっても目立ってしまうのだ。
君はここ数日、すっかり人気者になったようだ。世界中が君を発見した。我々もまた同じだ。だからこうしてご招待させてもらったのだよ。
ふん、世界は今さら俺を見出したというのか。地球にはバカしかいないということの何よりの証明だな。
さて、ビジネス交渉といこうか。

ロシア政府は、君を特別待遇で迎える用意が出来ている。ロシアのために協力するつもりはないか?

曖昧だな。
手を貸してほしいのは、軍事技術の開発だ。宇宙兵器からゲリラ用兵器まで、君ならばどのような種類のものでも対応できるだろうが……君が書いたミサイルDIYや化学兵器DIYのコンセプトは素晴らしい。まずは途上国向けの新しい軍事コンセプトを確立させるためにも、極限まで開発コストを抑えて大量生産できるようなハイテク兵器を取りそろえるのが望ましいな。洗練された高度な技術を、できる限り安く大量にだ。
貧者のためのハイテクノロジー軍事技術というわけか。廉価、大量生産、ハイテクという矛盾するコンセプトはなかなか興味深い。
たとえ貧者でも、アメリカに対抗できるのだと思い知らせてやってほしい。世界の覇権はアメリカのものではない。人類皆、機会均等が保証されるべきだろう。
ははは。ロシアとて覇権を欲しがっているのは同じじゃないのか。どの口がそれを言う。
ロシアは覇権など求めていない。我々が求めてるのは安定した平和な世界だ。
ロシアの秩序の下にある平和だろう。
少なくとも、どこか特定の国家が我が物顔で世界を闊歩するような世界ではないことは確かだ。だからこそ、貧者に有用な兵器を与えるのは有意義だろう。
断らせてもらう、と言ったら?
簡単だ。

君はこのあと心地よい眠りにつく。そして永遠に目覚めない。なかなか上質な旅立ちができるだろう。

 そう言ってプーチンは微笑んだが、目は笑っていなかった。
選択肢がないのに交渉なのか。
それが我々の交渉のやり方だよ。
この俺が、脅しに屈すると思ったら間違いだ。
脅してなどいない。紳士的に対応しているのが君にはわからないのか?
なかなか興味深い紳士もあったものだな。だが俺に手下になるよう求めるなどナンセンスなことだ。
あらゆる報酬を約束しよう。

ロシア国籍も進呈するし、モスクワの一等地に豪奢な自宅も用意してやる。召使やボディーガードも死ぬまでつけてやろう。年俸も、平均的なモスクワ市民の100倍を約束する。

ロシア国籍は喜べるものなのか?

しかもモスクワ市民の100倍といえば聞こえはいいが、あまりに値切りすぎで笑いも出てこない。ゴーカルからの年俸の提示額は、年50億円だったのだぞ。それでもこの俺は断った。当然だが。

……いくらの提示だったら話を受けていたのだ?
この俺が金で動くと思ったら間違いだ。神が誰かの下っ端として働くわけもなかろう。本気を出すのは、この俺自身が大統領か、それに匹敵するような権力を一手に握ったときだけだ。
……君の快い協力を引き出すためには、大統領の椅子が必要ということか。
そういうことだ。
ふむ……。

だが、大統領としてトップになれば、誰からも報酬などは出ないのは当然だ。自分の金は自分で稼ぎださなくてはならない。それでもいいというのかね?

神が誰かに仕え、その施しを受けるはずがない。
実に愚かしい考えに聞こえるが。かえって君を報酬の支払いもなしで引き入れる機会とも言える。
愚かしいかどうかは俺が決める。俺に相応しい地位と権力をもらおうか。さすれば金などあとからついてくる。
報酬はゼロだ、本当にいいのか?
問題ない。
よろしい。君を大統領に任命しよう。
 プーチンの決断は早かった。さしもの天馬もこれには驚く。
何ッ!?

この俺がロシア大統領!?

いいぞ、世界はすぐに俺のものになる!

バカを言うな、ロシア大統領であるはずがない。仮にこの私が許しても、周りは誰もそれを許さないだろう。君には、ちょうどよい大統領の椅子がある。
……ほう……。

話を聞いてやる。

君にはオーレス共和国に飛んでもらうとしよう。アスタリア人の独立武装闘争についての理解はあるか?
ふん。世界の市民どもの99%が知らぬだろうが、この俺は知っている。まずオーレス共和国は、中東・中央アジアに位置する内陸の共和制国家だ。首都はオーレス。東の回廊は中国に接し、西にイラン、北にはタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンに通じている。百を越える民族が統制もままならず暮らしており、中央政府の支配も行き届いていない。アメリカからはテロ支援国家として敵視され爆撃や侵攻を受け、2001年からは首都オーレス周辺には現在5000のアメリカ軍が居座っている状態だ。
よろしい。君には知識の解説など不要で助かる。
アスタリア人は、東部回廊の一部に住まう山岳民だったはずだ。人口は5000~8000人弱といったところか。オーレスの統治はまともに行き届いておらず、アリエスタ人による実質的な自治が行われている。しかし近年ではアメリカが無理やり立て直したオーレス共和国政府が、地域の自治を認めず、内戦が繰り返されているとも聞く。たとえ内戦になっても、アスタリア人はあの近隣で取れる翡翠の産地の利権を守りたいと考えているのだろう。たかが翡翠、されど翡翠……。貧しい小国に暮らす民にとって重要な生活の糧になっているに違いない。
その通りだ。

アスタリア人は独立を望んでいる。民族は自決されるべきだ。当然、ロシアにはアスタリア人の独立を援助しなくてはならない大義がある。

ふん、何が大義だ。ただの国際政治ゲームだろう。

むしろアメリカを泥沼に引きずり込むために、ロシアがアスタリア人を煽っているともいえる。

アスタリア人は独立を願っている。それが大前提だ。そのうえで、ロシアは助けの手を差し伸べている。
たかだか人口1万人にも満たない地域が本当に独立するようなことがあれば、世界には1万もの国が出来てもおかしくない。アスタリア人の独立など現実的ではなかろう。
オーレス共和国のなかには多数の独立運動があり、同時並行して幾つもの小規模な内戦が行われている。もともとそういう国なのだよ。
かつては大英帝国もオーレスでつまづき、ソ連は侵攻に失敗してソ連邦崩壊の引き金を引いた。そして今まさにアメリカが泥沼に陥っている。オーレスが超大国の墓場だとされているのは、あの地域が誰にも統治できないからだろう。
我がロシアは、オーレス内のすべての武装闘争を援助している。アスタリアの独立闘争は、そのなかの、もっとも小さな一つに過ぎない。
それがアメリカの足を引っ張ることになってロシアにも好都合というわけか。……ただ、なぜアスタリアのような些細な独立武装闘争の話を出してくる?
アスタリア人の戦闘指揮を執っていた族長が戦死した。今は一人娘が担ぎ出されているものの、まだわずか15歳、そして将の器でもないようだ。だが下手にアスタリア人のなかから別の族長を選び出そうとすれば、今度はアスタリア人のなかで内紛が勃発しかねない。
ふん、どこの世界を見ても人間どもはクズばかりだな。神に生まれてつくづく良かった。
そこで、ロシア政府にひそかに打診があった。内戦に勝つための臨時の統治者・指揮官を派遣できないか……とな。
なるほど、そこに俺を向かわせようというのか?
大統領の椅子と似たようなものだ。なに、臨時の族長という響きが不満なら、大統領と名乗ってくれていい。
……ふむ、一蹴するような話でもないな……。

もしこの俺が本気を出せば、アスタリアを率い、たちまち世界征服も成し遂げられるに違いない。世界中が業火に包まれ、世界は我が下にひれ伏すことだろう。

アスタリアは新しい武器弾薬を必要としている。まさに、君に最初に求めたような貧者のためのハイテク兵器を量産していくにふさわしい舞台だ。しかもアメリカ軍を相手にしての実験場にもなってくれるのは、これ以上にない好都合……。そこで技術・ノウハウを確立し、世界の軍事常識の色を塗り替えてしまうとしよう。
なるほど、貴様のシナリオが見えてきた。さすが世界政治の舞台裏でうごめく大政治家といったところか……。

だがこの俺を好きなように操れると思ったら間違いだぞ?

神は誰にも仕えないと言ったな?

だが神は、取引なら応じるのだろう?

 そう言って、プーチンはニヤリと笑った。

 天馬もほくそ笑む。

フフフ……取引ということならケースバイケースだ。
いいだろう。君をアスタリアの臨時大統領として送り込んでやる。そこであらゆる廉価なハイテク兵器を新規開発し、実験し、そのノウハウのすべてをロシアと共有化してもらおうか。そしてアスタリアで新規開発した兵器について、どこにどれだけの輸出をするかは、クレムリンが決める。世界の軍事バランスのコントロールを担うのはロシアの役目だ。
世界最高の知性の片鱗を、貴様はタダで利用することができるらしい。実に小憎らしい話もあったものだな。
自称神の引きこもり風情が、明日からはいきなり大統領というわけか。つくづく感じるが……国際政治とは、実にふざけたシロモノだよ。
 プーチンは肩をすくめてみせた。だが本音なのだろう。
明日からである必要はない。今日から俺は大統領だ。

 天馬は当然のごとく言い放った。

 プーチンは後ろを振り向き、護衛と思しき女性に声を掛ける。

話は聞いていたな?
はっ。
 軍人らしい返事と挙動で、女性は進み出てきた。畏まった表情は、その美貌をいっそう引き立たせているように見えた。歳のころは20代半ばくらいだろうか。
エリカ・マリシェヴァだ。半分以上は日本人で、日本語のネイティブだ。主に翻訳のサポートをさせようと思って東京から呼び戻したのだが……君には必要なかったようだな。
俺は主要言語は読むことならできる。神だからな。今のところ会話まで可能なのは日本語と英語のみだが、その気になれば他の言語も対応できるだろう。だが、オーレス共和国はパシュトー語、ダリー語が中心だったはずだ。
アスタリア人はほぼロシア語、中国語でカヴァーできるはずだ。むしろパシュトー語やダリー語を身に付けているのは少数のエリートだけだろう。
よかろう。ならば良し。
 満足げに天馬はうなずき、今度はエリカを見やって問いただす。
貴様は日本語しかできないわけではなかろう。何ができるか、俺に教えておけ。
…………。

 エリカは眉間にしわを寄せ、ムッとした表情で無視を決め込んだようだった。

 代わりにプーチンが応じてくる。

案ずるな。

彼女はFSBのなかでも屈指のエリート工作員だ。知能は君には及ばないだろうが、工作活動から戦闘まで、幅広く副官としての任務を果たせることだろう。

ほう、FSBの工作員……。

ロシアにとっては、俺の監視役として張り付けておきたい……というわけだな。

伝達役と考えてもらおう。

もちろん君が何らかの事情で我々を裏切ったり、逃亡を図るようなことがあれば、彼女が君にトドメを刺すことになるがね。

大統領である俺がどこに逃亡するというのだ。

俺こそが国家だ。国家が逃亡を図るはずもない。

 当然のように天馬は断言した。

 絞りだすようなトーンで、懇願するようにエリカが口を開く。

大統領……辞令に反するようで誠に恐れ多いことではあるのですが……愚かしい言動を繰り返し、あまつさえ大統領を『貴様』呼ばわりするような下劣な男のサポートなど、私には……。
ふむ。しかし今は、この男の件についてブリーフィングを受け、最も状況を的確に把握しているのが君だ。どうしても嫌だというのなら後々要員交代してもいいが、それまでは担当してもらえないか。
……大統領の命令に背くようなことを口にし申し訳ございませんが……この男には極めて心理的抵抗を感じます。私では、ロシアにとって有用なサポートができかねるのではないかと……。
おそらく、誰をこの男に付けても同じ思いを抱くことだろう。その種のタチの悪い輩だ。だが、誰かが担わなくてはならない。
 反論を許さないといったような強い調子でプーチンが言うと、エリカが小さく口にする。
畏まりました……では、交代要員が見つかるまで……。
神に仕える権利をやろう。たかが工作員風情が一足飛びで神の副官とは、これ以上にないほどの大出世だな。

 傲岸不遜に天馬は言い放った。

 エリカは激しい屈辱に打ちのめされたのか、プルプル震えていたのだった。

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