パナギアの童女は茶室で微笑む ――その女は死を知らず、ただ眠るのみ――

〝茶の湯〟と〝アガペー〟の意外な関係 ~ 御大事の食事

エピソードの総文字数=5,243文字

「原初的なキリスト教のミサを行っていたときは普通に二種陪餐(ばいさん)で、先の〝コリント第一〟十一章あたりにもよく描かれています。またその一方で、パンのみを聖体とするケースも併存していました。これは礼拝後、パンの一部を家に持ち帰ってから食べる、あるいは教会に来れなかった病人に対して持ち帰る、などから派生したと考えられています。この時に、一つの杯から飲む聖体(ワイン)よりも、配る聖体(パン)としての意味合いも生じてしまったようです」
 なるほど、教会に通う人が増えれば、当然、今週は病気だから教会に行けない人というのもあるわけだ。小学校などでクラスメイトが病欠した際に、隣人が給食のパンを持ち帰るという、アレに動機は近いのかもしれない。瓶白は話を続けた。

「その後、中世にかけてローマ・カトリックが巨大化したときに、聖職者にも上下関係が生まれてしまいました。祭壇(オルタ)に近づく者は誰であれ、可能な限り純潔な人が望ましいとされという思想もあり、少なくとも聖職者には、聖体拝領を実践・管理するという業務があるために、祭壇(オルタ)に近づく必然性がある一方、非聖職者である平信徒が、ワインの聖体拝領から遠ざけられたのもまた必然的だった、と私は聞いています」
 瓶白の話に、俺は相づちを打った。

「なるほど。巨大化による階層化、即ち複数の聖職者ランクが発生するという権威勾配が生じたことから、平信徒が割りを食ったということか」
「金剛寺兄弟、権威勾配とは何でしょう?」

 瓶白が訊いてきたので、俺は答えた。
「権威が高い人と、権威が低い人。その二人の間にある、目には見えない〝この人、すご~い〟の差だ。軍隊等なら、階級章で誰が上で誰が下なのか、実に解りやすくなっている。
 あるいは軍隊でなくとも、巨大企業であるほど、平社員ならば社長や会長には気楽に話しかけにくい。そこには激しい権威の差、権威勾配があるからだ。組織が大きいほど、トップの人は〝この人、すご~い〟となる。聞いた話だと、社長しか使えないエレベータやトイレがある企業もあるらしい。ただ、権威勾配が大きすぎると〝言いたいことも言えないこんな世の中じゃ〟と、伝達を躊躇するなど、業務に支障があるために、例えば旅客機の操縦士・副操縦士の権威勾配は大きくならないように気をつけているらしい。操縦士のミスを指摘できない副操縦士など、宇宙空間におけるロボットの脚と同じく、飾りでしかない。
 一方で、俺や姐さんがバイトしている小さな組織、福音商会だと、階級は部長・社員・バイトの三段階しかなく、また部長が気さくな人なので、バイトの俺ですら躊躇なく、冗談を言いながら、共に食事をして、何でも相談できる。
 ローマ・カトリック教会が時代と共に巨大化・組織化されるに従って、聖職者の間にも法皇をトップとした階級が生じ、さらには聖職者と末端平信徒の間にも、見えない・超えられない壁ができたのだろう。瓶白がさっき話していた、高教会のルールが厳しいというのも、そういう組織化の弊害、ルール文書肥大化の欠点とも言える。
 ちなみに寺なら、こんな話は枚挙に暇がないぞ。住職は内陣(仏像などが設置された領域)に管理のためにいつでも入れるが、信者は、限られた日時のみしか入れない、など。
 前に瓶白が教えてくれた、教会における至聖所の概念も、似た概念なんじゃないのか?」

 瓶白は、俺の意見に満足したのか、話を続けた。
「確かに、そうなのかもしれません。
 他にもあるいは、ワインの入った聖餐杯(カリス)を平信徒に渡す事を止めたのは、急激に増えた、平信徒の粗暴さから守る、という意味があったのかも知れません。
 時代としてはこのあたりから、聖職者が平信徒の舌上にパンを与える形式ができた、と聞いています」
 それが一種陪餐(ばいさん)の始まりって訳か。瓶白は、続けて話した。

「私は今、聖体拝領のみに絞って話をしましたが、もう少し広い話をします。
 キリスト教の初期、使徒の時代に集会で行われていたのは、〝主の晩餐(ローズ・サパー)〟と呼ばれる行為でした。〝アガペーの食事(フィースト)〟あるいは、聖書の中の表現だと〝愛餐(あいさん)〟とも呼ばれるものです。金剛寺兄弟、愛餐(あいさん)について、おわかりでしょうか?」

 俺は、瓶白の問いに答えた。
愛餐(あいさん)?――ああ、ユダの手紙十二節にあるな。〝彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが~〟の部分か」

「はい、そうです。〝ユダの手紙〟はいつ頃書かれたのか、よくわかっていませんが、何度も話題に上っている、聖パウロが〝コリント第一〟を書いた頃は西暦五十五年頃と言われていますので、その時には既にアガペーの食事が行われていた、と考えられます」

「そういえば……今まで深く考えていなかったが、アガペーってそもそも何なんだ?男女間の愛(エロス)とは異なるというのは解るが、ソレ系を抜くとしたら、友情なんかを指すのか?」

「友情にはフィリアというギリシャ語が相当します。
 金剛寺兄弟、消去法で考えてみてください。一般的な他人を思いやる気持ちの内、エロスとフィリアを抜いた部分がアガぺーではないでしょうか?いわば、見ず知らずの人にも行われる〝無私の愛〟などがしっくり来ると思いますが、日本語ではなかなか難しい面があります。
 16世紀末、来日したイエズス会のポルトガル宣教師は悩んだあげく、〝アガペー〟のことを〝御大事〟と表現していた時もあったそうです」

 食べる事に満足した姐が、話に割り込んできた。
「そりゃ英語に堪能な夏目漱石も、〝I love you〟を〝月が綺麗ですね〟と言い換えねばならないぐらいに、日本語はその手の直接的な語彙表現が薄いからね。薄いよ、薄すぎる」
 姐は俺の頭部を見るが、安心しろ。俺はまだフサフサだ。十五歳から薄くてどうする?

 キュウリのサンドイッチ・濃厚乳脂肪(クリーム)黒酸塊(くろすぐり)ジャムを添えたスコーン・二色のクリームと苺とチョコレートを挟むという細かい手業が輝くマドレーヌのペストリーという、瓶白が準備した三種の無償の茶菓子を完食し、満喫し尽くした姐は、本調子で俺と瓶白の会話に加わってきた。
「さらにアタシからコメントを差し挟むと、アガペーそのものに、宗教的な共食、って意味があるのよ。いわば、礼拝に関する用語ね。オックスフォード聖書辞典(カンパニオン・トゥー・ザ・バイブル)にも記載されてる。
 アガペーの食事を、聖餐(エウカリスト)と考えても良いけど、むしろ聖餐(エウカリスト)前後の、信者同士の食事交流の意味も含んでいる」
 出たな、TOEIC満点女。姐はそのまま話を続けた。

「つまり、パンとワインのみならず、その他色々な料理を、信者が一体となって食べる行為を指して、アガペーとも言うの。
 普通、食事は家族単位で取るものなんだけど、実際の家族の垣根を乗り越えて、信者同士で仲良く取るのがアガペーの食事。主に、聖餐の前の食べるらしいんだけど。〝コリント第一〟でパウロが〝褒められない〟って言っていたのはこの事でしょ?一部教会員だけで盛り上がらず、また貧しい者をノケ者にせず、教会員全員で平等に仲良くヤレェ、って意味」
 なるほど、あのもったいぶって批判した部分は、そういう意味だったのか、と今更ながらに俺は気づいた。調子に乗って、姐は話を続ける。

「英語でいうコンパニオン、日本語では仲間とかの意味なんだけど、元々の語句の成り立ち、解る?実に、キリスト教的な単語なんだけど」
 姐は、俺に話を振りやがった。俺は全くの門外漢。
「いや。語の成り立ちまでは知らない……」
 そう俺は答えた。瓶白も同意見なのか、頚を横に振っている。

 姐は、ドヤ顔で講釈をたれ始めた。
「コンパニオンのスペルを三つに分けると解りやすい。まず、comはラテン語で〝共に(トゥゲザー)〟の意味。次のpanは食物のパンそのもの、ラテン語ならpanis。最後の接尾語、-ionはラテン語の形容詞の語幹に付く接尾語で〝…すること〟の意。だから、仲間(コンパニオン)っていうのは〝共にパンを食べること〟から来てる。カトリックもプロテスタントも関係なく、一緒にパンを食べる人は、仲間(コンパニオン)
 人類にとって、共食――共に食べる行為――って重要なのよね――ボッチ飯の、アンタの兄も教えてやりたいぐらいに」
 姐はそう言い捨てると、軽くため息をついた。

 すかさず俺は笑顔で言い放った。
「え、姐さん、俺の兄貴に説教するの?どうぞどうぞ」
「ン~、拒否するゥー」
 即答かよ。

 この遣り取りをスルーできない瓶白は、話に食いついてきてしまった。
「……あの、金剛寺兄弟のお兄様って、どのような方なのでしょうか?」

 瓶白が質問すると、姐さんは俺をじっと見る。俺?俺の役目?――しかたあるまい。弟の俺から言うのが筋か。俺は渋々と、口を開いた。
「――あ、あの……瓶白、世の中には、知らない方が良いことも……沢山あるんだ」
 パチパチパチパチと、満面の笑みで小さく手をたたく姐。
「ま、また今度、機会があったら説明する……ので、今日のところはお日柄も良く、穏便にこのままお忘れ願えれば、恐悦至極でございます……」
 途中から自分でも何を言っているのか解らなかったが、有り難いことに瓶白は、俺の意味不明な申し出に応じてくれた。さてと、話を元に戻さねば。

「それじゃ、俺たちは三人揃って濃茶を楽しんだり、今はアフタヌーン・ティーを楽しんでいる途中だが、これもアガペーか?」

「今日は日曜じゃなくて土曜だし、それにアンタは異教徒。いずれにせよパンとワインの聖餐(エウカリスト)とは無縁だからから、アガペーの食事とは呼べないと思うよ」

 姐がそう断言すると、瓶白が小さな声で話し始めた。

「それに関しては申し訳ありません。今回は、お濃茶の後、アフタヌーン・ティー形式となってしまいましたが……。
 本来の茶の湯でいいますと、まずは点心(てんしん)というのですが、いわゆる懐石料理(かいせきりょうり)を先にお出しするのが筋なのです。懐石料理の最後にデザートとして主菓子(おもがし)があり、それから一端仕切り直しての濃茶(おこいちゃ)、それから最後に、お干菓子(ひがし)薄茶(おうす)で締める、というのが元々の流れなのです。
 今日(こんにち)、茶の湯といえば、主に〝主菓子(おもがし)濃茶(おこいちゃ)〟や〝お干菓子(ひがし)薄茶(おうす)〟を取り扱うことも少なくないのですが、本来ならば、その前の懐石料理も重要な要素なのです」

 姐が瓶白の言動から何か気づいたらしく、話に割り込んできた。
「やっぱり、そうなの?――さっき、アタシも言いかけたけど、茶の湯って、どう見ても、キリスト教の影響をモロに受けているよね?」
 この中で、独り解っていない俺は少し焦った。
「何?どゆこと?」

「アンタさぁ~、アタシと瓶白さんの話をマジメに聞いてた?
 本来の茶事とは、濃茶の前に〝懐石料理〟が出るって、彼女言ったよね?それが〝アガペーの食事〟に相当するんでしょ。
 そして、主菓子(おもがし)が、カトリックらしく酵母(タネ)の入っていないパン――キリストの肉――、それから一つの茶碗で回し飲みする濃茶がワイン――キリストの血――って事。
 即ち、主菓子(おもがし)と濃茶は、両形式(ウトラキヰ)聖餐(エウカリスト)に相当する。
 そうでしょ、瓶白さん?」

 な、何だってぇーー!ΩΩΩ
 ミカシロにゴオウ、それは本当か!?

 次回、MMR(ミカシロさん・眼から梁を落とさせる・レポート)!
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★ユダの手紙12~13「彼らは、あなたがたの愛餐(あいさん)に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、自分の恥をあわにして出す海の荒波、さまよう星である。彼らには、まっくらなやみが永久に用意されている。 」

作者コメント
 何とか年内に、聖餐(エウカリスト)と茶の湯の関係性の話まで持ってこれました。あとは千利休とキリシタンの話で、茶会も終わりそうです。

ルターさんの出番が……(泣)
「とんでもプロテスタント外伝・すごいよ!!ルターさん」で返り咲きます(多分)

二種陪餐(ばいさん)から一種陪餐(ばいさん)になった経緯、すっかり書き忘れてましたので、後から加筆しました。(12/26 夜)

P. Toner, "Communion under Both Kinds", (1913)

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